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「紀伊山地の霊場と参詣道 」カテゴリ記事一覧


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世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道 青岸渡寺(せいがんとじ)と熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)と地図

まずは青岸渡寺の様子を動画でご覧ください。

動画を見るには画面真ん中のボタンををクリックしてください。


2013.10.19 和歌山県の「青岸渡寺」と「熊野那智大社」に行ってきました。

これらは世界遺産 「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部であり、さらに「青岸渡寺」は「西国三十三箇所」の一番札所でもあります。

二つ同時に制覇できるチャンスです。

「西国三十三箇所」はすでに20ヶ所以上行っているのにまだ一番に行ってないのはおかしいと思い、今回訪れてみました。

なんでここまで行くのが遅くなったのか?

それは単純ですが、僕の住む大阪から一番遠いからです。

車で行くにも、電車で行くにもかなりの距離です。

そこで今回僕は、「バスツアー」という手段で行くことに決めたんです。

阪急交通社の日帰りバスツアーを利用しました。

ちなみに料金は、お弁当付きで3980円と格安でした。

ということで、この日は大阪ミナミの「なんばパークス」午前7時50分集合。

バスで一路和歌山へ。

本当に良かったのは、ツアーガイドの人が同行されていて、「西国三十三箇所」についてのことや、巡礼の際の作法についてなどを丁寧に説明してくださったことです。

今までかなり間違ったお参りの仕方をしていたことがわかり助かりました。

途中何回か休憩と「梅干屋さん」「かまぼこ屋さん」などに寄り、午後1時半すぎにようやく「青岸渡寺」に到着しました。

バスを降りて少し歩くと有名な「那智の滝」がありました。
青岸渡寺
「那智の滝」

那智の滝
那智の滝(なちのたき)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の那智川にかかる滝。一の滝における落差は133mであり、総合落差では日本12位だが、一段の滝としては落差日本1位を誇る。華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられている。

初めて見た「那智の滝」は本当に雄大で、迫力もありました。

この日はあいにくの天気でしたが、それが幸いしたのかもしれません。

というのも、ガイドさんによるとこのところ滝の水量が少なかったそうなんですが、雨のおかげで水量も増えたみたいでした。

バスではずっと降っていた雨も着いた途端やみました。

このあとさらにバスで上に登り駐車場へ。

そこからは徒歩でいよいよ「青岸渡寺」へ。

青岸渡寺


この日訪れた「青岸渡寺」と「熊野那智大社」は共に世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道の一部です。
世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道について
世界遺産登録理由
和歌山・奈良・三重にまたがり、桜で名高い吉野山などを含む「吉野・大峯」、熊野三山などを含む「熊野」、金剛峰寺などを含む「高野山」の3霊場と、大峯奥駈道や中辺路、伊勢路、高野山町石道などの参詣道(熊野古道)に大別される。千年余にわたる日本の宗教文化の発展に関して、ひときわ優れた証拠性を持ち、神道と仏教のたぐいまれな融合や、東アジアの宗教文化の交流と発展を例証するものであることなどが登録の決め手となった。

結構きつめの階段を上っていくと「山門」にたどり着きました。

青岸渡寺
「青岸渡寺山門」




青岸渡寺について
ウィキペディアより
青岸渡寺(せいがんとじ)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗の寺院。西国三十三所第一番札所。山号は那智山。本尊は如意輪観世音菩薩。

本堂および宝篋印塔は国の重要文化財。ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の一部。

歴史

熊野三山の信仰が都の皇族・貴族に広まったのは平安時代中期以降であり、青岸渡寺および隣接する熊野那智大社についても創建の時期等については判然としない。伝承では仁徳天皇の時代(4世紀)、天竺(インド)から渡来した裸形上人による開基とされ、同上人が那智滝の滝壺で得た金製の如意輪観音を本尊として安置したという。後に推古天皇の勅願寺となり、6世紀末 - 7世紀初に生仏聖(しょうぶつひじり)が伽藍を建立し、丈六の本尊を安置して、その胎内に裸形上人感得の如意輪観音を納めたという。以上はあくまでも伝承であるが、那智滝を中心とする自然信仰の場として早くから開けていたと思われる。中世から近世にかけて、隣接する熊野那智大社とともに神仏習合の修験道場であり、如意輪堂と称されたその堂舎は、那智執行に代表される社家や那智一山の造営・修造を担う本願などの拠点であった。

明治時代に神仏習合が廃されたとき、熊野三山の他の2つ、熊野本宮大社、熊野速玉大社では仏堂は全て廃されたが、熊野那智大社では如意輪堂が破却を免れ、のちに信者の手で青岸渡寺として復興した。寺号は秀吉が大政所の菩提を弔うために建てた高野山の青巌寺に由来すると言われる。



ここ「青岸渡寺」には残念ながら僕の大好きな国宝建造物や国宝彫刻はありません。

しかし僕の目標の一つ「西国三十三箇所」の第一番札所です。

ここで「青岸渡寺」の御朱印です。
青岸渡寺


そして御詠歌です。

「補陀洛や 岸打つ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬」

そしてご本尊は

如意輪観世音菩薩

です。

「山門」をくぐりさらに階段を登りきると「本堂」があります。

青岸渡寺
「青岸渡寺本堂」


青岸渡寺


ツアーで来ていますので、団体行動です。

本堂でみんなでお経をあげご住職からご説明を受けました。

今度からは一人でもお経はあげたいと思います。

なんかやっぱり気持ちが引き締まる思いがしました。

「青岸渡寺」の境内からも「那智の滝」を見ることが出来ます。

青岸渡寺
「三重塔と那智の滝」


三重塔と那智の滝のツーショットも絶景です。

そのほかの境内の様子を写真でご紹介しておきます。

青岸渡寺

青岸渡寺

熊野那智大社

青岸渡寺


さてこの「青岸渡寺」に隣接して「熊野那智大社」があります。


次は熊野那智大社について
ウィキペディアより
熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある神社。熊野三山の一つ。熊野夫須美大神を主祭神とする。かつては那智神社、熊野夫須美神社、熊野那智神社などと名乗っていた。また、熊野十二所権現や十三所権現、那智山権現ともいう。

熊野那智大社の社殿および境内地は、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の構成資産の一部。

境内
参道の長い石段の上は、右に青岸渡寺があり、左は朱の大鳥居と大社の境内が続いている。拝殿の奥には鈴門・瑞垣を挟んで本殿があり、向かって右から滝宮(第一殿)、証誠殿(第二殿)、中御前(第三殿)、西御前(第四殿)、若宮(第五殿)が並んでいる。正殿の第四殿が最も大きく、若宮の左手前には第六殿(八社殿)がある。

なお、現在は山の上に社殿があるものの、後述のように元来は那智滝に社殿があり滝の神を祀ったものだと考えられる。那智の滝は「一の滝」で、その上流の滝と合わせて那智四十八滝があり、熊野修験の修行地となっている。熊野三山の他の2社(熊野本宮大社、熊野速玉大社)では、明治の神仏分離令により仏堂が廃されたが、那智では観音堂が残され、やがて青岸渡寺として復興した。青岸渡寺は西国一番札所である。那智山から下った那智浜には補陀落渡海の拠点となった補陀洛山寺がある。

歴史
熊野三山の成立まで
『熊野権現金剛蔵王宝殿造功日記』によれば孝昭天皇の頃にインドから渡来した裸形上人が十二所権現を祀ったとされ、また『熊野略記』では仁徳天皇の頃に鎮座したとも伝えられるが、創成の詳細は不明。熊野那智大社は熊野三山の中でも熊野坐神社(本宮)・熊野速玉大社(新宮)の二社とは異なり、山中の那智滝を神聖視する原始信仰に始まるため、社殿が創建されたのは他の二社よりも後である。

一説には、那智山の奥にある妙法山に登るための禊祓の地だった那智滝が聖地化し、夫須美神が勧請されて当社が滝本で創建されたともいう。

祭神は熊野夫須美大神であるが事解男命(事解之男神)とする説がある。その熊野夫須美大神は伊邪那美神とされるが、熊野久須毘命とする説もある。

806年(大同元年)の『新抄格勅符抄』には766年(天平神護2年)熊野速玉男神(新宮の主神)とともに熊野牟須美神の記述があり、それぞれ神封戸が4戸あてられている。 しかし、その後は貞観元年(859年)1月27日、同年5月28日、貞観5年(863年)3月2日の速玉神と坐神(本宮の主神)が従五位上に昇階した事に関する『日本三代実録』の記事に牟須美神(ないし夫須美神)の記述がない。延長5年(927年)延喜式神名帳の牟婁郡6座中にも熊野速玉神社、熊野坐神社の二社のみが書かれている。

一方、永観2年(984年)の『三宝絵詞』では熊野両所として速玉神とともに当社主神の夫須美神を取り上げている。本宮・新宮と併せて熊野三山とする記述は永保3年(1083年)9月4日の『熊野本宮別当三綱大衆等解』が最も早く、これまでには三山共通の三所権現を祀る神社として成立していたと考えられる。また『中右記』の天仁2年(1109年)10月27日条の藤原宗忠らの参拝記録から、この頃までに現在の社地に遷祀されていたとされる。

那智一山の組織
那智一山の組織は平安時代末期に形成したと考えられるが当時の史料はない。後世の『紀伊続風土記』によれば、禰宜や神主が存在せず全員が社僧という修験者達の霊場であった。三山を管理する三山僧綱の下に那智一山の管理組織が設けられた。この中では社僧が東座と西座に分れ、それぞれ東の長官、西の長官がおり、一山を管理して執行と呼ばれた。また両座の下には隠居した執行10人で形成する宿老をはじめ、12人の講誦、75人の衆徒、66人の滝衆、85人の行人、12人の如法道場役人と7人の穀屋などがいて組織を構成した。

東座執行を受け持ったのは潮崎尊勝院で、山内でも最重要とされる飛滝権現(大国主)を祀り、滝衆や行人を統轄した。また、西座の執行は西仙滝院が担当した後、近世には米良実方院に替わった。穀屋には熊野詣の案内役をする熊野先達や比丘尼が奉納物を納め、後に御師や先達に属さない者を泊める宿坊も兼ねた。尊勝院と実方院、およびその坊・院は全国各地の旦那(檀家)場からの参詣者を泊める宿坊を営んでいた。

三山成立以降
『長秋記』長承3年(1134年)2月1日条によると、平安時代後期には三山とも天照大神を含む御子神の五所王子と眷属神の四所明神を加え、現在のような十二所権現を祀る形が整った。しかし那智は別格の滝宮を加えて十三所権現となっており、康暦元年(1379年)11月13日の『尼性周田地寄進状写』などに記録が残っている。建仁元年(1201年)10月19日には後鳥羽上皇が那智山に参詣し、その後の建暦2年(1212年)に上皇から寄進され熊野新宮領・190石のうち12石が那智社に与えられた。

承久の乱では後鳥羽上皇らが敗れて熊野は有力な支持者を失ったが、代わって修験道の発達に伴い、三山の御師と先達による組織づくりが盛んとなった。それまでにも仁平元年(1151年)2月15日の『源義国寄進状写』に那智の御師・高坊の名が記載されている。この他にも御師として熊野別当家の一族や、那智最古の家柄という尊勝院、廊之坊などがあり、それぞれ旦那(檀家)が全国に存在した。貞応2年(1223年)11月19日には一山が焼失したが、御師らによって再建された。

南北朝時代には、熊野の勢力を勧誘するために両朝から御師宛に護摩供料などの名目で寄進が行なわれ、貞和2年(1346年)8月18日には熊野三山の検校・道昭准后が、那智山の兵部卿律師御房に駿河国北安東荘内を安堵した例などがある。

続く室町時代には各地の神領荘園からの収入が現状し、那智山権現でも年貢米が駿河国の長田・安東両荘および美作国勝田荘からのみになった。このため、有力御師・先達の活動が重要さを増し、社頭の修理なども熊野山伏や比丘尼、十穀聖などの勧進に頼るようになった。文明10年(1478年)に畿内への課役による棟別銭で那智山の造営を行なったが、弘治年間の十二所権現造営の際は、賦算札に貴庶を勧進結縁させている。15世紀後半以降には、山内の堂塔や社殿の修理のために勧進を行う本願所として、妙法山阿弥陀寺や浜ノ宮の補陀洛山寺をはじめ御前庵主、大禅院、滝庵主、那智阿弥、理性院といった本願所により造営・修造が担われるようになり、那智七本願または那智七穀屋などと称された。なお、穀屋はこの七本願を指すという見方もある。

天正9年(1581年)には大名・堀内氏善が那智山への支配を強化した事に反発した御師・塩崎廊之坊が武力決起し、逆に氏善が廊之坊を攻撃した。一方で那智山内の実方院は堀内氏に付いて那智一山は二分され、廊之坊側が敗れると同年6月3日に一族東学坊などの跡職は実方院に与えられた。

近世以降
慶長6年(1601年)1月4日の『熊野那智山神領注文写』によると神領は633石余となっている。同年には紀州藩主浅野幸長によって那智山は市野々村と二河村(現・那智勝浦町)に300石を与えられた。寛政10年(1798年)大晦日に参拝した高遠藩の砲術家・坂本天山は、建造物が壮麗で香炉には火が絶えず、社人・社僧の数が多い事を『紀南遊嚢』に記している。

近世末期の那智大社には数多くの社僧坊舎があり、1873年(明治6年)に県社に指定されるとともに那智神社と称し、さらに熊野夫須美神社と改称した。1921年(大正10年)に官幣中社に昇格して熊野那智神社と改称、最終的に1963年(昭和38年)に熊野那智大社と改称して今日に至る。



熊野那智大社
「大鳥居」


前述の通り「青岸渡寺」と「熊野那智大社」は隣どおしにあります。

この「大鳥居」をくぐると「熊野那智大社」の境内です。

「大鳥居」をくぐり「二の鳥居」をくぐると右手に「拝殿が」があります。

那智大社
「熊野那智大社拝殿」


そしてその奥に左右に並び右から第一殿から第五殿が建っています。

熊野那智大社
「青岸渡寺」から見た手前が「第一殿」


そしてこれらの左前方に鍵の手に建つ第六殿、その手前に建つ御県彦社、これらを囲んで建つ鈴門及び瑞垣の計8棟が国の重要文化財に指定されています。

熊野那智大社
中央の横長の社殿が「第六殿」、その左は「御県彦社」


各社殿の屋根はいずれも檜皮葺き。第一殿から第五殿までの本殿は熊野造といわれ、切妻造妻入りの社殿の正面に庇を設け、四方に縁をめぐらした形式である。社殿正面は蔀(しとみ)とし、簾を釣って鏡を掛けている。第一殿から第五殿はいずれも同形式であるが、那智大社の主神熊野夫須美大神を祀る第四殿のみやや規模が大きい。また、右端の第一殿はやや後退した位置に建てられている。第六殿は八間社流造、御県彦社は一間社流造とする。これらの社殿の形式や配置は『一遍上人絵伝』など、中世の絵画資料にみえるものと等しく、古くから受け継がれていることがわかる。これら社殿群は江戸時代後期の再建ではあるが、規模が大きく質の高い建築で、中世以来の景観を今に伝えるものとして価値が高い。



朱塗りの社殿がとても鮮やかなのが印象に残りました。

家内安全を祈願しました。

境内の写真です。

熊野那智大社

熊野那智大社

熊野那智大社

熊野那智大社

熊野那智大社


今回はバスツアーで来たので「熊野三山」すべてを見ることは出来ませんでしたが、いずれはすべて制覇したいと思っていまっす。

少々疲れましたが来てよかったと思います。

世界遺産と西国三十三箇所をいっぺんにクリアできたのもよかったです。

また今回のバスツアーは「西国三十三箇所」を順に巡るツアーになっています。

料金も格安ですのでぜひ。

僕も残りのお寺を巡るのにまた参加したいと思っています。

詳しくは↓↓↓↓へ

阪急交通社


これからもぼちぼちながら小さな夢を叶えていきたいです。

それではまた!

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熊野那智大社ホームページ

〒649-5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1

拝観料 無料

最寄駅:JRきのくに線・紀伊勝浦駅または那智駅
バス:熊野交通路線バスで紀伊勝浦駅または那智駅より15~20分

大阪から国道168号線・国道42号線を経て紀伊勝浦へ (約4時間)
大阪から阪和自動車道を利用して、南紀田辺インターより田辺西バイパス、国道42号線を経て紀伊勝浦へ(約4時間)

名古屋から東名阪道・伊勢道・紀勢自動車道を利用し、大内山インターより国道42号線を経て紀伊勝浦へ(約4時間)

紀伊勝浦より約20分

駐車場
神社駐車場 30台 (神社防災道路通行料800円 必要)
※神社境内付近まで車でお越しになれますので、ご年配の方やお子様連れの方にお勧めです


大きな地図で見る

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2009.12.26
2010.10.23

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2008.2.24(1)(2)
2009.12.26
2010.4.11
2010.12.16
2011.3.4
2011.4.9
2011.8.15
2012.1.14

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春日大社
2008.2.24
2010.12.16
2011.8.15

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2008.2.24
2012.1.14

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2009.12.26
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2008.3.8
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2009.12.26
2010.10.23



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2008.2.24
2010.10.23
2011.3.19

唐招提寺
2008.2.24
2009.11.8
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2009.12.12(1)(2)(3)(4)
2010.3.13
2010.3.22
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2008.3.2
2010.4.29(1)(2)



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2008.5.4(1)(2)
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2008.5.4
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大阪府には国宝建造物5件国宝彫刻4件があります


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2008.3.22
2011.10.1


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2008.3.30
2010.4.18

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2008.3.30
2010.4.18


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2008.3.30
2010.4.18


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泉佐野市

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交野市

獅子窟寺


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