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教王護国寺(きょうおうごこくじ)(東寺)の国宝と地図 2011.2.12 その一

まずは「東寺」の動画をご覧ください。




2011.2.12 2011年最初の国宝探索は京都です。

昨年は奈良「法隆寺」でした。

やはりその年の最初は好きな所で始めたいです。

そこでまず今年最初に訪れたのは「教王護国寺」(東寺)です。

京都のお寺もかなり探索しましたが、素晴らしいのに探索不足でどうもすっきりしなかったのが「東寺」なんです。

国宝建造物、彫刻共にすごい数がありしかも世界遺産です。

今回は納得するまで探索してみたいと思います。

というのも前回は奥さんと一緒に京都を回ってしかも熱い夏。

暑さにバテた奥さんを京都駅に待たせて一人「東寺」へ行ったもんで、早く回らなければと言う気持ちでいっぱいでなんか納得できるいまで見ていなかったような気がするんです。

と言うことで早速「東寺」へ。

今回は電車とバスを使った探索です。

なんといっても京都はこれが一番です。

僕の場合近鉄電車「生駒駅」から京都市バス、京都バス、地下鉄が1日1800円で乗り放題の切符をいつも使っています。

マイカーだと駐車場代だけでも相当お金がかかりますからね。

東寺
近鉄「東寺駅」


わが町東大阪から近鉄奈良線と京都線を乗り継いで「東寺駅」へ。

ここから200~300mのところに「教王護国寺」(東寺)はあります。

ここからは名前が長いので「東寺」でいきます。

東寺
「南大門」

東寺

明治28年(1895年)、三十三間堂の西門を移築したもの。九条通り(九条大路)に面しており、京阪国道口交差点から東へ約100mの場所にあります。

「南大門」から境内へと入ります。

教王護国寺(東寺)は世界遺産「古都京都の文化財」のひとつです。
世界遺産 「古都京都の文化財」について
世界遺産登録理由
京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市に点在する寺社等の総称。具体的には賀茂別雷神社(上賀茂神社)賀茂御祖神社(下鴨神社)教王護国寺(東寺)清水寺延暦寺醍醐寺仁和寺平等院宇治上神社高山寺、西芳寺(苔寺)、天龍寺鹿苑寺(金閣寺)慈照寺(銀閣寺)竜安寺本願寺二条城の 17件。京都は8世紀から17世紀の間、宗教・非宗教建築と庭園設計の進化にとり主要中心地であり、日本の文化的伝統の創出に決定的な役割を果たし、特に庭園は19世紀以降世界の他の地域において意義深い影響を与えたことなどが評価されたもの。



東寺について
ウィキペディア(Wikipedia)より
東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある東寺真言宗総本山の寺。「教王護国寺」とも呼ばれます。山号は八幡山。本尊は薬師如来。

東寺は弘法大師空海に下賜され、真言密教の根本道場として栄えました。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続しています。昭和9年(1934年)に国史跡に指定、平成6年(1994年)12月には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されました。

名称
東寺の正式名として「金光明四天王教王護国寺秘密伝法院」と「弥勒八幡山総持普賢院」の2つの名称があります。宗教法人としての公称は「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)、詳名は金光明四天王教王護国寺秘密伝法院です。

この寺には「東寺」および「教王護国寺」という2つの名称があり、百科事典等でも東寺を見出し語とするものと教王護国寺を見出し語とするものがあります。教王とは王を教化するとの意味であり、教王護国寺という名称には、国家鎮護の密教寺院という意味合いが込められています。宗教法人としての公称は教王護国寺であり、たとえば、五重塔の国宝指定官報告示の際の指定名称は教王護国寺五重塔となっています。そうした観点からは、近代以降の法人名としては教王護国寺が正式名称であるといえます。ただし、東寺という名称も単なる通称・俗称ではなく、創建当時から使用されてきた歴史的名称です。現代においても、南大門前の石柱には真言宗総本山 東寺とあり、南大門、北大門、慶賀門などに掲げられた寺名入りの提灯には東寺とあり、宝物館の名称を東寺宝物館とするなど、寺側でも通常は東寺の呼称を使用しています。

平安時代以降近世まで、公式の文書・記録等には原則として「東寺」という表記が用いられ、それが正式名称であり、「教王護国寺」という呼称は特殊な場合以外には用いられなかった。教王護国寺という名称は平安時代の記録類には一切見えず、正式の文書におけるこの寺号の初出は仁治元年(1240年)です。後宇多天皇宸翰の国宝「東寺興隆条々事書」(延慶8年=1308年)、後宇多天皇宸翰「庄園敷地施入状」、豊臣秀吉が2,030石の知行を認めた天正19年(1591年)の朱印状など、寺の歴史に関わる最重要文書にも明確に東寺と表記されています。

歴史
8世紀末、平安京の正門にあたる羅城門の東西に「東寺」と「西寺」(さいじ)という2つの寺院の建立が計画された。これら2つの寺院は、それぞれ平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺、さらには東国と西国とを守る国家鎮護の寺という意味合いを持った官立寺院でした。

南北朝時代に成立した、東寺の記録書「東宝記」によれば、東寺は平安京遷都後まもない延暦15年(796年)、藤原伊勢人という人物が造寺長官(建設工事責任者)となって建立したといいます。藤原伊勢人という人物については、公式の史書や系譜にはその名が見えないことから、実在を疑問視する向きもあるが、東寺では古くからこの796年を創建の年としています。それから20数年後の弘仁14年(823年)、真言宗の宗祖である弘法大師空海は、嵯峨天皇から東寺を賜った。この時から東寺は国家鎮護の寺院であるとともに、真言密教の根本道場となった。

東寺は平安後期には一時期衰退するが、鎌倉時代からは弘法大師信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として、皇族から庶民まで広く信仰を集めるようになります。中でも空海に深く帰依したのは後白河法皇の皇女である宣陽門院(1181 年 - 1252年)でした。宣陽門院は霊夢のお告げに従い、東寺に莫大な荘園を寄進した。また、「生身供」(しょうじんく、空海が今も生きているがごとく、毎朝食事を捧げる儀式)や「御影供」(みえく、毎月21日の空海の命日に供養を行う)などの儀式を創始したのも宣陽門院であった。空海(弘法大師)が今も生きているがごとく朝食を捧げる「生身供」の儀式は、21世紀の今日も毎日早朝6時から東寺の西院御影堂で行われており、善男善女が参列しています。また、毎月21日の御影供の日には東寺境内に骨董市が立ち「弘法市」「弘法さん」として親しまれています。

中世以後の東寺は後宇多天皇・後醍醐天皇・足利尊氏など、多くの貴顕や為政者の援助を受けて栄えました。文明18年(1486年)の火災で主要堂塔のほとんどを失うが、豊臣家・徳川家などの援助により、金堂・五重塔などが再建されています。何度かの火災を経て、東寺には創建当時の建物は残っていないが、南大門・金堂・講堂・食堂(じきどう)が南から北へ一直線に整然と並ぶ伽藍配置や、各建物の規模は平安時代のままです。


ここで僕の大好きな国宝のご紹介
建造物
*金堂
*五重塔
*大師堂
*蓮花門
*観智院客殿
彫刻
*五大菩薩坐像(金剛薩曙煤E金剛法・金剛宝・金剛業の4躯。後世作の中尊像は指定外)
*五大明王像(不動明王・降三世明王・大威徳明王・軍荼利明王・金剛夜叉明王 の5躯)
*梵天・帝釈天像
*四天王立像
*不動明王坐像・天蓋
*弘法大師坐像
*兜跋毘沙門天立像
*僧形八幡神坐像1躯、女神坐像2躯、附・武内宿禰坐像
絵画
*絹本著色真言七祖像(絵画)
*絹本著色五大尊像
*絹本著色両界曼荼羅(伝・真言院曼荼羅)
*絹本著色十二天像 六曲屏風一双
工芸品
*密教法具
*助鞫ノ穀糸袈裟・横被(けんだこくし けさ・おうひ)
*海賦蒔絵袈裟箱(かいぶまきえ けさばこ)
*紫檀塗螺鈿金銅荘舎利輦(したんぬりらでんこんどうそう しゃりれん)
書跡・典籍、古文書
*弘法大師筆尺牘(風信帖)(こうぼうだいしひつせきとく・ふうしんじょう)
*弘法大師請来目録
*後宇多天皇宸翰東寺興隆条々事書御添状(ごうだてんのうしんかん とうじこうりゅうじょうじょうことがき おんそえじょう)
*東宝記
以上


「南大門」をくぐるとすぐ正面にいきなり国宝「教王護国寺金堂」が堂々と建っています。
東寺
国宝「教王護国寺金堂」

国宝「教王護国寺金堂」(きょうおうごこくじこんどう)
慶長8(1603)
桁行五間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺
東寺の中心堂宇で、諸堂塔のうちもっとも早く建設が始められ、東寺が空海に下賜された弘仁14年(823年)までには完成していたと推定されます。当初の堂は文明18年(1486年)の土一揆で焼失し、その後1世紀近く再建されなかった。現存の建物は慶長8年(1603年)、豊臣秀頼の寄進によって再建したもので、奉行として片桐且元が任にあたりました。入母屋造本瓦葺きで、外観からは二重に見えるが一重裳階(もこし)付きです。建築様式は和様と大仏様(天竺様)が併用され、貫や挿肘木を多用して高い天井を支える点に大仏様の特色が見られます。内部は広大な空間の中に本尊の薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩の両脇侍像が安置されています。

とにかく大きくて堂々とした金堂です。

正面から見ると少々かわった屋根が付いていてその下に「大仏様」が顔を出すためのような扉が付いているのがわかるでしょうか?東大寺大仏殿にあるような...。

実際には「大仏様」はいませんけど。

さすがは国宝。本当にどっしりとしたお堂です。

お堂だけではなく中に安置されているご本尊「薬師如来坐像」と日光菩薩、月光菩薩も大きくて立派です。

薬師如来及び両脇侍像(重要文化財) 金堂本尊。中尊の像高2.88メートル、台座と光背を含めた総高は10メートルに達する巨像で、中尊の光背には七仏薬師像を配しています。台座の懸裳の下には薬師如来の眷属である十二神将像が配されています。仏師康正の作で、日本の仏教彫刻衰退期である桃山時代における佳作です。薬師如来像が左手に薬壺を持たず、坐法が左脚を上にする降魔坐である点、台座を古風な裳懸座とする点などに復古的要素が伺えます。

そして金堂のすぐ後ろにはお堂の中の雰囲気としては「東大寺法華堂」「三十三間堂」と並び僕が素晴らしいと思う「講堂」が建っています。

東寺
「東寺講堂」


東寺 講堂 立体曼荼羅
パンフレットより


東寺 講堂 立体曼荼羅
立体曼荼羅

パンフレットより

東寺 講堂 立体曼荼羅
パンフレットより


金堂の背後(北)に建っています。東寺が空海に下賜された弘仁14年(823年)にはまだ建立されておらず、天長2年(825年)空海により着工、承和2年(835年)頃完成しました。当初の堂は文明18年(1486年)の土一揆による火災で焼失し、室町時代の延徳3年(1491年)に再建されたのが現存する講堂です。単層入母屋造で純和様です。金堂が顕教系の薬師如来を本尊とするのに対し、講堂には大日如来を中心とした密教尊を安置します。すなわち、須弥壇中央には大日如来を中心とする五体の如来像(五仏、五智如来)、向かって右(東方)には金剛波羅密多菩薩を中心とする五体の菩薩像(五大菩薩)、向かって左(西方)には不動明王を中心とした五体の明王像(五大明王)が安置されています。また、須弥壇の東西端にはそれぞれ梵天・帝釈天像、須弥壇の四隅には四天王像が安置されています。以上、全部で21体の彫像が整然と安置され、羯磨曼荼羅(立体曼荼羅)を構成しています。これら諸仏は、日本最古の本格的な密教彫像であり、空海没後の承和6年(839年)に開眼供養が行われていますが(「続日本後紀」)、全体の構想は空海によるものとされる。21体の仏像のうち、五仏(重要文化財に指定)のすべてと五大菩薩の中尊像は室町時代から江戸時代の補作でありますが、残りの15体は講堂創建時の像で、平安時代前期を代表する密教彫像として国宝に指定されています。これら 21体の仏像の表す具体的意味について、かつては仁王経に基づく羯磨曼荼羅であると説明され、仁王経と金剛界法とを融合したものとも説かれるが、空海の真意が何であったかについてはさまざまな解釈があり、定説をみない。


前回はゆっくり見ることが出来ませんでしたが、今回はじっくり心ゆくまで見ることが出来ました。
そして改めて素晴らしさを実感出来ました。

ガイドさんがじっくり説明して下さったのも大変勉強になりました。

「講堂」に安置されている諸尊をご紹介しましょう。

*五仏坐像(重要文化財) - 金剛界大日如来を中心とし、周囲に宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来、阿上ゥ如来(あしゅくにょらい)を配す。大日如来像は明応6年(1497年)、仏師康珍の作。宝生如来、不空成就如来、阿上ゥ如来の各像は江戸時代の作で、阿弥陀如来像は頭部のみ平安時代の古像のものを流用し、体部は江戸時代の作です。
*五大菩薩坐像(ごだいぼさつざぞう)(国宝) - 金剛波羅蜜多菩薩を中心に、周囲に金剛宝菩薩、金剛法菩薩、金剛業(ごう)菩薩、金剛薩曙煤iさった)の各像を配します。中尊の金剛波羅蜜多菩薩像は江戸時代の作で国宝の指定外です。他の4体は後世の補修が多いですが、当初像です。一木造に乾漆を併用し、作風・技法ともに奈良時代風が強い。
*五大明王像(ごだいみょうおうぞう)(国宝) - 不動明王像を中心に、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王像を配す。東寺御影堂の不動明王像とともに、明王像としては日本最古の作例です。
*梵天坐像・帝釈天半跏像(ぼんてんざぞう・たいしゃくてんはんかぞう)(国宝) - 梵天像は法隆寺などにある奈良時代の像と異なり、4面4臂の密教像であり、4羽の鵞鳥が支える蓮華座上に坐す。帝釈天像は甲を着け、白象に乗り、左脚を踏み下げる。両像の台座、帝釈天像の頭部などは後補です。
*四天王立像(してんのうりゅうぞう)(国宝) - 4体のうち持国天像は表情に怒りをあらわにし、激しい動きを見せますが、他の3体の表現は抑制されています。多聞天像は後補部分が多く、作風も他の像と異なっています。

中央の一番徳の高い如来像が重文でその他の菩薩や明王や天が国宝というのもなんかいいですよね。

時間さえあればず~っとここにいられますよ僕は。

決して宗教心があるわけではないんですけど、僕が一番尊敬している「矢沢永吉」の次に来るのが「弘法大師空海」です。

弘法大師って日本の歴史上の人物で一番伝説の多い人物でしょう。日本全国にありすぎるほどにあります。

ホンマに僕の「心の師匠」です。

そしてこの「講堂」の「立体曼荼羅」を見るだけでもセンスの良さがわかりますよね。

「東大寺法華堂」は様子が変わってしまいましたけど、この「東寺講堂」はこのまま変わらずにいて欲しいです。

そして何度でも訪れてみたいです。

存分に「講堂」を満喫した僕でした。

さらにこの「講堂」の後ろには「食堂」があります。

東寺
「食堂」


講堂の後方、境内の北寄りに建っています。初代の食堂は空海没後の9世紀末から10世紀初め頃にかけて完成したと推定されますが、文禄5年(1596年)の地震で倒壊。2世紀以上後の寛政12年(1800年)にようやく再建工事が始められました。この江戸時代再建の食堂は昭和5年(1930年)に火災で焼失し、現在の建物はその後の再建で、昭和9年(1934年)に完成したものである。旧本尊の千手観音立像はこの時の火災で焼損したが、昭和40年(1965年)から修理が実施され、現在は寺内の宝物館に安置されています。現在の食堂には明珍恒男作の十一面観音像が本尊として安置されています。

この「食堂」で目に留まったのは「四天王立像」(旧食堂安置)です。

昭和5年(1930年)12月21日の「弘法市(終い弘法)」の日に食堂(じきどう)が失火で焼失した際、内部に安置されていた本尊千手観音立像と四天王像(いずれも旧国宝)も焼損。千手観音像は修復され、旧国宝指定解除はなされなかったが、四天王像は焼損の程度が大きかったため修復不可能と判断され指定解除されました。この四天王像は表面が黒焦げ状態にはなっているものの、像の概形は残っています。平成5年(1993年)から合成樹脂注入による表面の硬化が行われ、現在は再建された食堂に安置されています。像高3mを越える日本でも最大級の四天王像です。

本当に残念です。はっきりいって黒こげです。元の姿を見てみたかったです。
まあしかし「形あるものはいつか壊れる」です。

境内に入って3つのお堂だけでここまで引っ張ってしまいました。

この続きは次回にしたいと思います。

次回に続く時は相当気に入ったお寺のときだけです。

やっぱり「東寺」は素晴らしいです。

「東寺」公式ホームページへ

拝観料 境内自由

堂塔拝観料 大人500円、高校生400円、小・中学生300円

駐車場 あります 2時間600円(その後1時間毎300円)

時間 境内自由(堂塔拝観は8:30~17:00)



より大きな地図で 教王護国寺 を表示






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2008.2.24(1)(2)
2009.12.26
2010.4.11
2010.12.16
2011.3.4
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2008.2.24
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2008.2.24
2010.10.23
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2008.2.24
2009.11.8
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2009.12.12(1)(2)(3)(4)
2010.3.13
2010.3.22
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2008.3.2
2010.4.29(1)(2)



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2008.3.2
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2010.4.18


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2010.4.18


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