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東福寺(とうふくじ)の国宝と地図 2011.2.12

まずは「東福寺」の動画をご覧ください。




2011.2.12 京都府の国宝建造物と彫刻探索の旅は続きます。

「東寺」を後にした僕は「京都市バス」に乗り込み次の目的地「東福寺」へ。

2009.8.14 以来の「東福寺」になります。

その時の様子はこちらへ

前回は真夏のくそ暑い日に来ました。

しかも奥さんと一緒だったのでどうしても早足でゆっくり回りきれなかった感があります。

ですんで今回は先ほど行った「東寺」同様心行くまで見て回りたいと思います。

東福寺バス停から徒歩で3~4分も歩くでしょうか「東福寺」に到着。

はっきり言ってこの「東福寺」はばかでかいです。

どこからが「東福寺」なのかがはっきりしないほどの大きさです。

三門、本堂、方丈、庫裏などからなる主要伽藍を中心に25の塔頭寺院があります。主要伽藍の北には洗玉澗(せんぎょくかん)という渓谷があり、西から東へ臥雲橋、通天橋、偃月橋という3本の橋(東福寺三名橋)が架かっています。

その中でも一番西に架かる「臥雲橋」から主要伽藍に入りました。

東福寺
「臥雲橋」


ていうかもうとっくに「東福寺」の境内に入っていたのだったことにさえ気づいていなかったです。

それほど「東福寺」は大きいお寺です。


東福寺について
ウィキペディア(Wikipedia)より
東福寺(とうふくじ)は、京都市東山区本町十五丁目にある臨済宗東福寺派大本山のお寺です。山号を慧日山(えにちさん)と号する。本尊は釈迦如来、開基は、九条道家、開山(初代住職)は聖一国師円爾(しょういちこくしえんに)。京都五山の第四位の禅寺として中世、近世を通じて栄えました。明治の廃仏毀釈で規模が縮小されたとはいえ、今なお25か寺の塔頭(たっちゅう、山内寺院)を有する大寺院です。

東福寺は京都市東山区の東南端、伏見区と境を接するあたりにあります。この地には延長2年(924年)に藤原忠平によって建てられた藤原氏の氏寺・法性寺(ほっしょうじ)の巨大な伽藍があった(法性寺は、JR・京阪東福寺駅近くに小寺院として存続している)。嘉禎2年(1236年)、九条道家(摂政・鎌倉将軍藤原頼経の父)は、この地に高さ5丈(約15メートル)の釈迦像を安置する大寺院を建立することを発願、寺名は奈良の東大寺、興福寺の二大寺から1字ずつ取って「東福寺」としました。5丈の釈迦像を安置する仏殿の建設工事は延応元年(1239年)から始めて、完成したのは建長7年(1255年)でした。高さ5丈の本尊釈迦像は元応元年(1319年)の火災で焼失、14世紀半ば頃に再興されますが、明治14年(1881年)の火災で再び焼失しています。なお、東福寺には巨大な「仏手」(現存部分の長さ2メートル)が保管されており、旧本尊像の左手部分のみが明治の火災の際に救い出されたものと推定されています。これは創建時の本尊ではなく、14世紀に再興された本尊像の遺物ですが、本尊の「高さ5丈」というのはあながち誇張ではなかったことがわかります。

九条道家は開山(初代住職)として、当時宋での修行を終えて帰国していた禅僧・円爾(えんに、1202-1280)を迎えました。円爾は駿河国(現在の静岡県)の人で、嘉禎元年(1235年)、宋に渡って径山(きんざん)興聖万寿禅寺の高僧・無準師範(ぶしゅんしばん、1178-1249)に入門。印可(師匠の法を受け継いだというお墨付き)を得て仁治2年(1241年)、日本へ帰国した。円爾ははじめ九州博多の承天寺に住したが、同寺が天台宗徒の迫害を受けて焼き討ちされたため、九条道家の援助で上洛、東福寺の開山に迎えられました。

東福寺の建設工事は30年以上に亘って続き、法堂(はっとう、顕教寺院の「講堂」にあたる)が完成したのは文永10年(1273年)でした。その後、元応元年(1319年)の火災をはじめたびたび焼失するが、九条家、鎌倉幕府、足利家、徳川家などの援助で再建されてきました。昭和51年(1976年)韓国の全羅南道新安郡智島邑道徳島沖の海底から、大量の荷を積んだジャンク船が発見、引き揚げられました(新安沈船)が、積荷木簡の中には「東福寺」「十貫公用」などの字が見られることから、この船は焼失した東福寺の造営料を名目として、鎌倉幕府公認で派遣された唐船(寺社造営料唐船)であることが推測されている。近代に入って明治14年(1881年)にも大火があり、仏殿、法堂、方丈、庫裏などがこの時焼失しました。現在の本堂、方丈、庫裏などは明治以降の再建だが、国宝の三門をはじめ、東司(便所)、浴室、禅堂などは焼け残り、中世の建物が現存しています。

東福寺からは歴代多くの名僧を輩出しており、「元亨釈書」の著者である虎関師錬(こかんしれん)、室町時代に画僧として活躍し、その後の仏画や水墨画に多大な影響を及ぼした吉山明兆(きつざんみんちょう)などが著名である。



ここで僕の大好きな国宝のご紹介
建造物
*東福寺三門
*竜吟庵方丈
以上




東福寺
東福寺境内図
パンフレットより


見づらいですが上の図のように「東福寺」にはたくさんの建造物があります。

図の下のほうの南側からおもな建造物をご紹介したいと思います。

東福寺
国宝「東福寺三門」

国宝「東福寺三門」(とうふくじさんもん)
応永12(1405)
五間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、両山廊付、各切妻造、本瓦葺
応永32年(1425年)の再建で、現存する禅寺の三門としては日本最古だそうです。
上層には釈迦如来と十六羅漢を安置しています。
「五間三戸」とは正面の柱間が5つ、うち中央3間が通路になっているという意味、「二重門」は2階建ての門ですが、「楼門」と違い、1階と2階の境目にも軒の出を作るものを言います。

本当に立派な門です。
こんなに大きな門はそうそうありませんよね。
「知恩院」の「三門」や「東大寺」の「南大門」と同じぐらい大きいです。

「三門」のすぐ北側には「本堂」(仏殿兼法堂)が建っています。

東福寺
「本堂」(仏殿兼法堂)

明治14年(1881年)に仏殿と法堂が焼けた後、大正6年(1917年)から再建工事にかかり、昭和9年(1934年)に完成しました。入母屋造、裳階(もこし)付き。高さ25.5メートル、間口41.4メートルの大規模な堂で、昭和期の木造建築としては最大のものと言われています。天井の竜の絵は堂本印象筆です。本尊釈迦三尊像(本尊は立像、脇侍は阿難と迦葉)は、明治14年の火災後に万寿寺から移されたもので、鎌倉時代の作です。

これまた超巨大な建物です。
「三門」と「本堂」を見るだけでも「東福寺」がいかにすごいお寺かがわかります。

さらにその西側には「東司」(とうす)と「禅堂」が並び建ちます。

東福寺
「東司」(とうす)

室町時代唯一、日本最大最古の禅宗式の東司(便所)の遺構で、多くの修行僧が一斉に用を足すことから百雪隠(ひゃくせっちん)とも呼ばれます。内部は中央通路をはさんで左右両側に円筒の壺を埋める。

東福寺
「禅堂」

貞和3年(1347年)に再建された豪壮な姿に往時の隆盛がしのばれる単層・裳階(もこし)付切妻造の建物で、中世期より現存する最大最古の禅堂です。

さらに「経蔵」と「鐘楼」があります

東福寺
「経蔵」
東福寺
「鐘楼」


さらに「方丈」と「庫裏」も大きいです。
東福寺
「方丈」

明治23年(1890年)の再建。正面前庭にある唐門は明治42年(1909年)に造営され、昭憲皇太后より下賜されたものです。庭園は近代の造園家、重森三玲によって昭和13年(1938年)に作庭され、方丈を囲んで四方に配される。釈迦成道を表現し、八相の庭と命名されている。鎌倉期庭園の質実剛健な風格を基本とし、これに近代芸術の抽象的構成をとり入れた枯山水庭園です。
*南庭 - 荒海の砂紋の中に蓬莱、方丈、瀛洲、壺梁の四仙島を表現した配石で、右方には五山が築山として表現されています。
*北庭 - 南の恩賜門内にあった敷石を利用し、石と苔を幾何学的な市松模様に配しています。
*西庭 - さつきの刈込みと砂地が大きく市松模様に入り、くず石を方形に組んで井田を意図しています。
*東庭 - 東司の柱石の余材を利用して北斗七星を構成し、雲文様の地割に配しています。

東福寺
「庫裏」

明治43年(1910年)に再建。方丈唐門とともに昭憲皇太后の恩賜建築です。切妻を正面とする禅宗式寺院の典型。

さらに秋には紅葉で有名な「通天橋」を渡ると「常楽庵」があります。
東福寺
「通天橋」

仏殿から常楽庵に至る渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)に架けられた橋廊で、天授6年(1380年)に春屋妙葩(しゅんおくみょうは)が谷を渡る労苦から僧を救うため架けたと伝えられる。昭和34年(1959年)台風で崩壊したが2年後に再建、その際橋脚部分は鉄筋コンクリートとなった。

「常楽庵」も大変素敵です。
前回来た時は行きませんでしたので今回はぜひと思い行ってみました。
「常楽庵」は主要伽藍の北側に位置します。開山円爾像を安置する開山堂とその手前の昭堂を中心とした一画。文政2年(1819年)焼失後、同9年(1826年)までに再建されました。昭堂の中央部分は2階建の楼閣となっており、伝衣閣(でんねかく)と称する。金閣(鹿苑寺)、銀閣(慈照寺)、飛雲閣(西本願寺)、呑湖閣(大徳寺塔頭芳春院)と並び「京の五閣」といわれています。
東福寺
「開山堂」


東福寺
「愛染堂」


そしてさらに東側の偃月橋(えんげつきょう)を渡ると「龍吟庵」(りょうぎんあん)があります。
しかしこの日は公開されていませんでした。
東福寺
偃月橋(えんげつきょう)

前回来た時の写真です。
竜吟庵方丈
国宝「竜吟庵方丈」

国宝「竜吟庵方丈」(りょうぎんあんほうじょう)
嘉慶元(1387)
桁行16.5m、梁間12.9m、一重、入母屋造、こけら葺
龍吟庵(りょうぎんあん)は、東福寺派の寺院で東福寺の塔頭です。
東福寺の主要伽藍の東北、本坊庫裏の背後から偃月橋(えんげつきょう)を渡った正面にあります。東福寺第三世住持、無関普門(大明国師)の住居跡で、東福寺塔頭の第一位に置かれているそうです。応仁の乱以前にさかのぼる室町時代初期に建造された現存最古の方丈建築。単層入母屋造、こけら葺。正面には両開き板唐戸の入口を設け、両端の柱間には遣戸をはめ込むなど、書院造に寝殿造風の名残もとどめているそうです。
東福寺
パンフレットより

方丈(ほうじょう)とは、1丈四方の面積を指す。またその広さの部屋や建物の事で、「方」には四角形の意味(ex.方墳、正方形)が在り、「丈」の長さをもつ「方」ということ。


「龍吟庵」(りょうぎんあん)
本坊庫裏の背後、偃月橋を渡ったところの山裾の平坦地に位置する塔頭で、東福寺三世・南禅寺開山である無関普門の塔所(墓所)として、入寂直前に創建されました。(毎年11月に一般公開)

とにかく「東福寺」は塔頭も大変たくさんあります。

「龍吟庵」(りょうぎんあん)以外のおもな塔頭をご紹介。
*芬陀院(ふんだいん)
元亨年間(1321-1324)に当時の関白であった一条内経が父の菩提を弔うために創建した塔頭で、水墨画を大成した雪舟の作と伝えられる名庭があることから雪舟寺とも呼ばれている。(公開塔頭)
*霊雲院
*明徳元年(1390年)に岐陽方秀が開いた塔頭で、肥後細川家の信仰をうけ、寛永年間(1624-44)に「遺愛石」と銘をつけた須弥台と石船を寄贈されたという。(公開塔頭)
*同聚院(どうじゅいん)
室町時代中期の文安年間(1444-1448)に東福寺第129世が開山した塔頭で、定朝の父・康尚の作といわれる本尊・不動明王坐像(重文)は、寛弘3年(1006年)に藤原道長が旧法性寺に建立した五大堂の中尊と伝える。(公開塔頭)
*光明院
明徳2年(1391年)に金山明昶(きんざんみょうしょう)により創建された塔頭で、重森三玲による「波心の庭」がある。(公開塔頭)
*天得院
正平年間(1346-70)に東福寺第30世・無夢一清禅師が開いた塔頭で、びっしりと杉苔に覆われた枯山水の庭園に凛と咲く桔梗の青や白の花が美しい。(6月中旬~7月上旬、11月1日~30日のみ一般公開)
*退耕庵
貞和2年(1346年)に東福寺第43世住持・性海霊見(しょうかいれいけん)によって創建された塔頭で、応仁の乱により一時荒廃したが、慶長4年(1599年)に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)によって再興された。(拝観には予約が必要)
*万寿寺(まんじゅじ)
かつては下京区万寿寺通高倉にあったとされ、京都五山の第五位として大いに栄えていた。天正年間(1573-1592)に現在地に移された。
*即宗院(そくしゅういん)
元中4年(1387年)、薩摩の武将、島津氏久の菩提のため、剛中玄柔和尚を開基として創設された。幕末期、当院の茶亭にて西郷隆盛が僧月照と倒幕計画を話し合った。
*勝林寺(しょうりんじ)
室町時代末期の天文19年(1550年)に東福寺第205世・高岳令松(こうがくれいしょう)によって創建された。本堂は近衛家の大玄関を移して建立。東福寺の鬼門に位置し本尊として仏法と北方の守護神として知られる毘沙門天を祀ることから「東福寺の毘沙門天」と呼ばれている。本尊である毘沙門天立像は平安時代の作。(秋季のみ一般公開)



あまりに大きすぎてどこからどこまでが「東福寺」なのか本当によくわかりません。

さすが京都五山の第四位のお寺です。

これからも何回も来なければなりませんね。

しかし今回はこれぐらいで勘弁してください。

他にももっと建物や門があるんですが回りきれませんでした。

次回にもっと詳しく探索してみます。

とりあえず今回はこのあと「金閣寺」や「銀閣寺」も見たかったので先を急ぎます。

再び市バスへ急ぐのでした。

次の目的地は「銀閣寺」こと「慈照寺」です。

「東福寺」公式ホームページへ

拝観料 無料

方丈 400円

通天橋・普門院 400円

駐車場 あります 無料

時間 9:00~16:00(11月は8:30~16:00)


大きな地図で見る






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教王護国寺(東寺)の国宝 2011.2.12 その一

教王護国寺(東寺)の国宝 2011.2.12 その二

教王護国寺(東寺)の国宝 2011.2.12 その三

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