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世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」、丹生都比売神社(にうひつめじんじゃ)丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)慈尊院(じそんいん)

まずは慈尊院から丹生都比売神社の道を動画でご覧ください。
動画を見るには画面中央をクリックしてください。






2011.10.20 「高野山」探索記の続きをご紹介します。

「高野山」以外で立ち寄った3ヶ所をご紹介します。

まずは「高野山」に登る途中最初に立ち寄った「丹生都比売神社」(にうつひめじんじゃ)からご紹介します。

ここ「丹生都比売神社」は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の要素のひとつになります。

「丹生都比売神社本殿」と「丹生都比売神社楼門」及び史跡「丹生都比売神社境内」が世界遺産に登録されています。

「丹生都比売神社」は本当に山の中にひっそりとたたずむ神社です。

高野山


高野山


高野山


丹生都比売神社について
ウィキペディアより
丹生都比売神社(にふつひめじんじゃ、にうつひめじんじゃ)は、和歌山県伊都郡かつらぎ町にある神社です。式内社(名神大社)、紀伊国一宮で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社となっています。別称天野大社、天野四所明神。日本全国の丹生都比売神を祀る神社の総本社。また、高野山と関係の深い神社である。

国宝「銀銅蛭巻太刀拵」の他、本殿および楼門などの重要文化財を所蔵し、境内は国の史跡である。2004年7月、本殿、楼門および境内は、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録された。

祭神

以下の四柱の神を祀る。
第一殿 丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ。丹生明神)
第二殿 高野御子大神(こうやみこのおおかみ。狩場明神)
第三殿 大食津比売大神(おおげつひめのおおかみ。気比明神)
第四殿 市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ。厳島明神)

「丹」は朱砂(辰砂-朱色の硫化水銀)のことであり、その鉱脈のある所のことを「丹生」という。朱砂はそのまま朱色の顔料となり、精製すると水銀がとれる。丹生都比売大神は、朱砂を採掘する一族が祀る神であると考えられている。「丹生大明神告門(のりと)」では、丹生都比売大神は天照大御神の妹神であるとしており、稚日女尊と同一神とする説もある。

歴史

創建の年代は不詳である。「丹生大明神告門」では、祭神の丹生都比売大神は紀の川川辺の菴田の地に降臨し、各地の巡行の後に天野原に鎮座したとしている。「日本書紀」の神功皇后条に「天野祝」の名があり、当社の神官のことと考えられている。丹生都比売神の名の国史の初見は、「日本三代実録」貞観元年(859年)正月27日条である。延喜式神名帳では「紀伊国伊都郡 丹生都比女神社 名神大月次新嘗」と記載されている。

空海が高野山金剛峯寺を開く際に神領の一部を寄進したと伝えられ、高野山の鎮守神とされた。「今昔物語」には、密教の道場とする地を求めていた空海の前に「南山の犬飼」という猟師が現れて高野山へ先導したとの記述があり、南山の犬飼は狩場明神と呼ばれ、後に当社の祭神である高野御子大神と同一視されるようになった。鎌倉時代以降は、高野山上の僧が厳冬期の避寒のための当社に帯在したり、高野山で火災があったときに仮執務が行われたりなど、高野山との関係がより深くなった。修験道の修行の拠点ともなっていた。

鎌倉時代に、行勝上人により気比神宮の大食比売大神、厳島神社の市杵島比売大神が勧請されて、現在の形となった。行勝は若宮に祀られている。鎌倉時代ごろから紀伊国一宮を称するようになった。

現在の社殿は、室町時代に火事で焼失した後に再建されたものである。近世になって社領が没収され、完全に高野山に依存するようになったが、明治の神仏分離で高野山から独立した。しかし、今日でも多くの僧侶が当社に参拝しており、神前での読経も行われている。大正13年に官幣大社に列格した。



正直そんなにすごい神社には見えないんですが、すごい神社なんですね。

境内もそんなに広いとは言えないものです。

境内をご紹介します。

朱塗りの鳥居をくぐると朱塗りの太鼓橋?があります。

高野山


高野山


この橋の先にはさらに朱塗りの鳥居があります。
高野山


この鳥居をくぐると目の前に「楼門」が見えます。
高野山


そして「楼門」の奥に4つの本殿があります。

ちょっと見えにくいですが柱の奥の屋根が本殿の屋根です。
高野山


高野山

大変立派な朱塗りの本殿です。

境内はまあこれぐらいです。

しかし歴史と格は相当すごい神社なんです。

何といっても世界遺産ですからね。

時間も早かったんですが、誰も居ない静まり返った境内はなかなか素晴らしいものでした。

ここ「丹生都比売神社」を後にした僕は、「高野山」を巡り十分堪能して山をおりました。

そしてこれもまた世界遺産の「慈尊院」(じそんいん)と「丹生官省符神社」(にうかんしょうぶじんじゃ)に立ち寄りました。

この2つの寺社は前回も来ました。

しかしもう一度ご紹介しておきます。

高野山


慈尊院について
ウィキペディアより

慈尊院(じそんいん)は、和歌山県伊都郡九度山町慈尊院にある高野山真言宗のお寺です。山号は万年山。仏塔古寺十八尊第6番。

本尊の木造弥勒仏坐像は国宝。他に本堂弥勒堂、絹本著色弥勒菩薩像などの重要文化財を所蔵し、境内は国の史跡「高野山町石」の一部です。2004年7月に、本堂弥勒堂がユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されました。

歴史
弘仁7年(816年)、空海(弘法大師)が嵯峨天皇から高野山の地を賜った際に、高野山参詣の要所に当たるこの九度山の雨引山麓に、高野山への表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所(寺務所)を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場としました。

高齢となった空海の母・阿刀氏(伝承では玉依御前)は、讃岐国多度郡(現:香川県善通寺市)から息子の空海が開いた高野山を一目見ようとやって来たが、当時高野山内は7里四方が女人禁制となっていたため、麓にあるこの政所に滞在し、本尊の弥勒菩薩を篤く信仰していた。空海はひと月に9度(正確に9度というわけではなく、それだけ頻繁にということの例えだと言われている)は必ず20数kmに及ぶ山道(高野山町石道)を下って政所の母を訪ねてきたので、この辺りに「九度山」という地名が付けられました。

空海の母は承和2年(835年)2月5日に死去しましたが、そのとき空海は弥勒菩薩の霊夢を見たので、廟堂を建立し自作の弥勒菩薩像と母公の霊を祀ったといいます。弥勒菩薩の別名を「慈尊」と呼ぶことから、この政所が慈尊院と呼ばれるようになりました。空海の母がこの弥勒菩薩を熱心に信仰していたため、入滅(死去)して本尊に化身したという信仰が盛んになり、慈尊院は女人結縁の寺として知られるようになり、女人の高野山参りはここということで「女人高野」とも呼ばれています。

高野政所に関して「慈尊院」という名称が文献に現れた最も早い例は三条実行(藤原実行)の「鳥羽上皇高野御幸記」で、天治元年(1124年)、上皇が当地に行幸し、慈尊院の由来について尋ねたことが記されています。



ここ「慈尊院」も「丹生都比売神社」に負けず劣らずそんなに大きくはありません。

しかし世界遺産であり、弘法大師「空海」のお母上のお寺です。

そして僕がまだ見ぬ国宝「弥勒仏坐像」が安置されているお寺でもあります。

上の写真でもわかりますかね?カバーがかかっていますが、現在「多宝塔」が修復工事中です。

なのでそれ以外の「慈尊院」の建造物をご紹介します。

高野山


高野山
「大師堂」

「大師堂」です。

高野山
「弥勒堂」

「弥勒堂」です。

ここに僕のまだ見ぬ憧れの国宝「弥勒仏坐像」が安置されています。

次回の御開帳ですが、平成27年4月2日~5月21日のようです。

なんせ21年に1回だけの御開帳ですからね。

本当に超難関です。

しかし絶対どんなことがあっても見に来ます。

高野山
「本堂」

こんなもんです。

本当にこじんまりしています。

しかし何回も書いていると思いますが、お寺や神社は大きければいいというもんじゃありません。

そこにどんな歴史があるかがすべてです。

そういう意味では中身は十分すぎるほどすごいお寺なんですよ。

そしてここ「慈尊院」は「高野山町石道」(こうやさんちょういしみち)の始まりのお寺です。

「高野山町石道」(こうやさんちょういしみち)について

高野山町石道(こうやさんちょういしみち)は、慈尊院(和歌山県伊都郡九度山町)から高野山(和歌山県伊都郡高野町)へ通じる高野山の表参道で、弘法大師が高野山を開山して以来の信仰の道とされてきました。

国の史跡「高野山町石」として指定されています(1977年〈昭和52年〉7月14日指定、1997年〈平成9年〉3月6日追加指定)。 2004年7月に、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されました。

高野山への道標(道しるべ)として、1町(約109メートル)ごとに「町石(ちょういし)」と呼ばれる高さ約3メートル強の五輪卒塔婆形の石柱が建てられ、高野山上の壇上伽藍・根本大塔を起点として慈尊院までの約22キロメートルの道中に180基、大塔から高野山奥の院・弘法大師御廟まで約4キロメートルの道中に36基の、合計216基の町石が置かれています。慈尊院から数えて36町(1里)ごとには、町石の近くに「里石(りいし)」が合計4基置かれています。

町石は、弘法大師が開山した平安時代の頃は木製の卒塔婆だったと言われており、風雨にさらされるなどして老朽化したため、鎌倉時代の文永2年(1265年)頃に遍照光院の覚きょう上人が石造の町卒塔婆建立を発願し、20年の歳月をかけて弘安8年(1285年)に完成しました。現在でもその8割以上にあたる150本の石柱が建立当時のまま残り、今なお昔日の面影を伝えています。

かつては高野巡礼の人々が町石のひとつひとつに手を合わせて礼拝しながら登ったと言われていますが、現在では道も整備され気軽に歩けるハイキングコースともなっています。

この一帯は和歌山県高野山町石道玉川峡県立自然公園の一部をなします。

どうですか?やっぱりすごいでしょ?ぜひ「高野山」におこしの際は「慈尊院」にお寄りください。

そしてさらにここ「慈尊院」の本堂裏の階段を登ると、これまた世界遺産に登録されている「丹生官省符神社」(にうかんしょうぶじんじゃ)があります。

高野山


高野山


丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)について
丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)は和歌山県伊都郡九度山町にある神社。九度山町慈尊院集落の南部に位置します。

本殿は国の重要文化財(建造物)、境内は国の史跡「高野山町石」の一部。2004年7月、本殿がユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されました。

祭神

主祭神は以下の通り

丹生都比売大神
高野御子大神
大食都比売大神
市杵島比売大神

もとはこの四神に太神宮(天照大御神)、八幡宮(誉田別大神)、春日明神(天児屋根大神)の三社を祀り、神宮寺の神通寺をあわせ神通寺七社明神とも呼びました。

歴史

社伝では弘仁7年(816年)に空海によって創建されたという。高野山の領する官省符荘の鎮守とされ、応永3年(1396年)の文書に「官省符鎮守・神通寺七社」と記録がある(「官省符荘庁番殿原請文」)。

この他にも神通寺七社明神の記録があり、七社のほかに十二王子社・百二十番神社などの名前が挙げられている。また、「紀伊続風土記」によれば、七社のうち丹生・高野の両神は弘仁年間に空海が勧請し、十二王子と百二十番神の2社が同時に勧請され、気比・厳島の2神は文明年間に勧請されたと伝えられており、これら4社は天文年間の洪水によって昔の境内が沈んでしまったので移転したといいます。

1910年(明治43年)に九度山、入郷、慈尊院(現・九度山町)にあった諸社を合祀し、1946年(昭和21年)、丹生官省符神社の社号にあらためました。

ここ「丹生官省符神社」もはっきり言ってこじんまりまとまった神社といえるでしょう。

しかし世界遺産です。

4つの本殿に祀られている神様は、「丹生都比売神社」と全くおんなじですね。

本殿の形もよく似ているように思われます。
高野山


高野山
「本殿」


高野山


以上がこの日の僕の探索記の全てです。

「高野山」ももちろん素晴らしかったですが、その他の「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されているお寺神社も見ておくべきです。

これら全てを含めて世界遺産ですからね。

これで「紀伊山地の霊場と参詣道」の「高野山」部門は大体制覇したかな?と思います。

「あほか」とお叱りを受けるかもしれませんね。

そうなんです。

この世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」というのは範囲も特大に大きいですし3つの霊場すべて「吉野、大嶺」「高野山」「熊野」を制覇するのは大変なことです。

しかも「参詣道」も含めますからね。

日本の世界遺産の中でも一番奥が深いんではないかと思います。

これから何年もかかると思いますが、とにかく制覇してみたいと思っています。

「熊野」に至ってはまだひとつも手を付けていない状態ですからね。

でもとりあえずは「吉野、大嶺」と「高野山」制覇をねらいます。

「慈尊院」んも国宝「弥勒仏坐像」も絶対この目で見てみたいです。

また近じか訪れてみたいです。

どうぞお付き合いください。

それではまた!

拝観料 「慈尊院」「丹生官省符神社」共に無料

駐車場 あります(無料)

時間 境内自由







2008.5.4の「慈尊院」と「丹生官省符神社」探索記へ

★世界遺産と国宝探索記目次へ>>>



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