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興福寺南円堂の国宝、秘仏「不空羂索観音坐像」と「北円堂」特別公開に行ってきました

まずは興福寺の風景を動画でご覧ください!




2013.4.13 奈良の「興福寺」へ行ってきました。

今回の目的は、普段は10月17日の1日のみ公開される「南円堂」が4月12日から6月2日までの間休まず特別公開されるのを拝観することです。

これは「南円堂」創建1200年を記念して行われるものです。

これに伴い国宝「興福寺北円堂」も特別公開されています。

国宝好きにとっては又とないチャンスですんで行かないわけにはなりません。

「南円堂」「北円堂」が同時に公開されるということは、「興福寺」に現在ある国宝建造物と国宝彫刻を一度に全部見られるということです。

こんなことは次いつあるかわからないことなんです。

ですので早速4月13日に行ったわけです。

今回は電車での探索です。

いつものように近鉄電車に乗り近鉄奈良駅へ。

駅から「興福寺」へは5分もかからない距離です。

このブログを初めて以来幾度も通った「興福寺」への道ですが、今回はいつにもましてワクワクしました。

これも何回も書いていますが、国宝建造物、国宝彫刻を探索するにあたって、ここ「興福寺」そして「東大寺」「法隆寺」は絶対避けては通れない所です。

だから何度でも通っています。

8時50分頃「興福寺」に到着。

ここ「興福寺」は世界遺産「古都奈良の文化財」のひとつです。

世界遺産「古都奈良の文化財」とは

世界遺産登録理由
奈良市内に点在する寺社等の総称で、東大寺興福寺春日大社元興寺薬師寺唐招提寺平城宮跡春日山原始林からなる。日本建築と日本美術の進化のひときわ優れた証拠性を有し、それらは中国と朝鮮との文化的つながりの結果であり、後世の発展に重要な影響を与えることになったことなどをはじめ、世界的に見ても高い文化的価値を有するとして、1998年に世界文化遺産に登録されました。



興福寺について
ウィキペディア(Wikipedia)より
興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。南円堂は西国三十三箇所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。

歴史

創建

藤原鎌足夫人の鏡大王が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、天智天皇8年(669年)山背国山階(現京都府京都市山科区)に創建した山階寺(やましなでら)が当寺の起源である。壬申の乱のあった天武天皇元年(672年)、山階寺は藤原京に移り、地名の高市郡厩坂をとって厩坂寺(うまやさかでら)と称した。

和銅3年(710年)の平城遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けた。この710年が実質的な興福寺の創建年といえる。中金堂の建築は平城遷都後まもなく開始されたものと見られる。

その後も、天皇や皇后、また藤原家によって堂塔が建てられ整備が進められた。不比等が没した養老4年(720年)には「造興福寺仏殿司」という役所が設けられ、元来、藤原氏の私寺である興福寺の造営は国家の手で進められるようになった。

南都北嶺

興福寺は奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、特に摂関家藤原北家との関係が深かったために手厚く保護された。平安時代には春日社の実権をもち、大和国一国の荘園のほとんどを領して事実上の同国の国主となった。その勢力の強大さは、比叡山延暦寺とともに「南都北嶺」(なんとほくれい)と称された。寺の周辺には塔頭と称する多くの付属寺院が建てられ、最盛期には百か院以上を数えたが、中でも天禄元年(970年)定昭の創立した一乗院と寛治元年(1087年)隆禅の創立した大乗院は皇族・摂関家の子弟が入寺する門跡寺院として栄えた。

鎌倉・室町時代の武士の時代になっても大和武士と僧兵等を擁し強大な力を持っていたため、幕府は守護を置くことができなかった。よって大和国は実質的に興福寺の支配下にあり続けた。安土桃山時代に至って織豊政権に屈し、文禄4年(1595年)の検地では、春日社興福寺合体の知行として2万1000余石とされた。

平重衡の兵火による焼失

興福寺は、創建以来たびたび火災に見まわれたが、その都度再建を繰り返してきた。中でも治承4年(1180年)、源平合戦の最中に行われた平重衡の南都焼討による被害は甚大で、東大寺とともに大半の伽藍が焼失した。 この時、興福寺再興に奔走したのは焼失直後に別当職に就いた信円と解脱上人貞慶であった。現存の興福寺の建物はすべてこの火災以後のものである。なお仏像をはじめとする寺宝類も多数が焼失したため、現存するものはこの火災以後の鎌倉復興期に制作されたものが多い。興福寺を拠点とした運慶ら慶派仏師の手になる仏像もこの時期に数多く作られている。

江戸時代の享保2年(1717年)の火災の時は、時代背景の変化もあって大規模な復興はなされず、この時焼けた西金堂、講堂、南大門などは再建されなかった。

廃仏毀釈による破壊

江戸時代は21000石の朱印を与えられ保護された興福寺だが、明治元年(1868年)に出された神仏分離令は、全国に廃仏毀釈の嵐を巻き起こし、春日社と一体の信仰が行われていた興福寺は大きな打撃をこうむった。子院はすべて廃止、寺領は没収され、僧は春日社の神職となり、境内は塀が取り払われ、樹木が植えられて、奈良公園の一部となってしまった。一時は廃寺同然となり、五重塔、三重塔さえ売りに出る始末だった(さすがに買い手はつかなかった。この件は廃仏毀釈の行き過ぎぶりを語るときによく引用される)。それにさきがけ、興福寺別当だった一乗院および大乗院の門主は奈良華族として還俗させられていた。

行き過ぎた廃仏政策が反省されだした1881年(明治14年)、ようやく興福寺の再興が許可された。1897年(明治30年)、文化財保護法の前身である「古社寺保存法」が公布されると、興福寺の諸堂塔も修理が行われ、徐々に寺観が整備されて現代に至っている。 しかし、寺に塀が無く公園の中に寺院がある状態、所謂「信仰の動線」が欠落していると称される状態は、この時の名残である。

現在

1998年に世界遺産に登録され、1999年から日本国の史跡整備保存事業として、発掘調査が進められている。
中金堂再建中。南大門再建計画中。

伽藍と文化財

かつての興福寺には中金堂(ちゅうこんどう)、東金堂(とうこんどう)、西金堂(さいこんどう)の3つの金堂があり、それぞれに多くの仏像が安置されていた。寺の中心部には南から北に南大門、中門、中金堂、講堂が一直線に並び、境内東側には南から五重塔、東金堂、食堂(じきどう)が、境内西側には南から南円堂、西金堂、北円堂が建っていた。この他、境内南西隅の一段低い土地に三重塔が、境内南東部には大湯屋がそれぞれ建てられた。これらの堂宇は、創建以来たびたび火災に見舞われ、焼失と再建を繰り返してきた。明治期以降、興福寺の境内は奈良公園の一部と化し、寺域を区切っていた塀や南大門もなくなり、天平時代の整然とした伽藍配置を想像することは困難になっている。


ここで僕の大好きな国宝のご紹介。
国宝26件重文44件
特に国宝彫刻は17件でわが国の国宝彫刻の14%を占めるというすごさ!
建造物
*東金堂 
*五重塔 
*北円堂 
*三重塔 
彫刻
*文殊菩薩坐像(東金堂) 
*維摩居士坐像 定慶作(東金堂) 
*四天王立像(東金堂) 
*十二神将立像(東金堂) 
*弥勒仏坐像 運慶作(北円堂) 
*無著・世親立像 運慶作(北円堂) 
*四天王立像(北円堂) 
*不空羂索観音坐像 康慶作(南円堂) 
*四天王立像(南円堂) 
*八部衆立像 8躯(国宝館・旧西金堂) 
*十大弟子立像 6躯(国宝館・旧西金堂) 
*金剛力士立像 2躯(国宝館・旧西金堂) 
*天燈鬼・龍燈鬼立像(国宝館・旧西金堂) 
*法相六祖坐像 6躯 康慶作(国宝館・旧南円堂) 
*十二神将像(国宝館・旧東金堂) 
*仏頭(国宝館・旧東金堂) 
*千手観音立像(附:像内納入品)(国宝館・旧食堂) 
その他
*金銅燈篭 
*梵鐘 
*華原磬 
*日本霊異記上巻 
*興福寺金堂鎮壇具
以上



やはりすごいお寺です。

今日は4件の国宝建造物と17件の国宝彫刻を一気に拝観します。

ということは日本の国宝彫刻の17%を一気にみられるということになります。

さて「南円堂」公開は9時からです。

現在再建中の「中金堂」の前に普段は無い発券所がありました。

100人ぐらい並んでいたでしょうか。

興福寺


「南円堂」と「北円堂」共通券は1200円です。(団体1100円、PITAPA、ICOKAなどの交通機関のプリペイドカードがあれば1100円)

興福寺

もれなくこのストラップとあと「南円堂」に入る際履物をいれるエコバックがもらえますよ。

入場券を購入して早速「南円堂」へ。

興福寺
「興福寺南円堂」


「南円堂」についてウィキペディア(Wikipedia)より

南円堂(重文)は弘仁4年(813年)、藤原北家の藤原冬嗣が父・内麻呂追善のため創建した八角堂。現在の建物は寛政元年(1789年)の再建である。創建時の本尊は、もと興福寺講堂に安置されていた不空羂索観音像であった。この像は天平18年(748年)、その前年に没した藤原房前の追善のため、夫人の牟漏女王、子息の藤原真楯らが造立したものであった。堂は西国三十三所の九番札所として参詣人が絶えないが、堂の扉は常時閉ざされており、開扉は10月17日の大般若経転読会という行事の日のみである(2002年秋、2008年秋に特別開扉が行われた)。堂内には本尊不空羂索観音坐像のほか、四天王立像と法相六祖像を安置していたが、法相六祖像は国宝館に移されている。

木造不空羂索観音坐像(国宝)-運慶の父である康慶一門の作で、文治5年(1189年)に完成。坐像で高さ336センチの巨像である。
木造四天王立像(国宝)-鎌倉時代の作。この四天王像は南円堂本尊の不空羂索観音像と同様、運慶の父・康慶一門の作であると長らく信じられていたが、藤岡穣が1990年に発表した論考で、現在中金堂(仮金堂)に安置されている四天王像が、もと南円堂にあった康慶作の像であると指摘して以降、これが定説となり、現・南円堂の四天王像は他の堂から移されたものであることが明らかになっている。



ここどふと思ったことがありました。

このブログ上で「南円堂」に安置されている国宝「木造不空羂索観音坐像」と「木造四天王立像」をていましたがすでに拝観済みとしていましたが、よくよく考えると拝観していないことに気づきました。

以前「北円堂」を拝観した時に勘違いして「南円堂」を拝観したと思い込んでいました。

ですのでこれが初めての「南円堂」拝観ということになります。

他にもこんな勘違いがないかブログを改めて見ましたが、ほかには間違いはありませんでした。

申し訳ありません。

というこで「南円堂」拝観です。

「南円堂」の北川から入場します。

するとお堂の中心に「南円堂」のご本尊、国宝秘仏「木造不空羂索観音坐像」が座っておられました。

想像以上に大きくて迫力のある仏様でした。

力強い表情で眉間に目がありますので合計3つの目をお持ちです。

手が4本、うち2本で合掌されています。

すべての人々を救ってくださるそうです。

一見の価値ありです。

そしてご本尊の四方を国宝「木造四天王立像」が守っています。

存在感抜群で、それほど広くない堂内は迫力満点でした。

やっぱり来てよかったという気持ちになりました。

まだ時間も早かったからかもしれませんが、結構ゆっくり見ることが出来たのもよかったです。

次いつ見られるかわからないので、十分目に焼き付けておきました。

そして次に国宝「興福寺北円堂」へ。

興福寺
国宝「興福寺北円堂」




「南円堂」についてウィキペディア(Wikipedia)より

北円堂(国宝)は養老5年(721年)、藤原不比等の一周忌に際し、元明上皇、元正天皇の両女帝が長屋王に命じて創建させたもの。現在の建物は承元2年(1208年)頃の再建で、興福寺に現存している建物の中では最も古い建物になる。法隆寺夢殿と同様、平面が八角形の「八角円堂」である。現在、回廊の復元計画中。

*木造弥勒仏坐像(国宝)-晩年の運慶が一門の仏師を率いて建暦2年(1212年)頃に完成したもの。
*木造法苑林菩薩・大妙相菩薩半跏像-弥勒仏の脇侍像だが、制作年代は室町時代に下る。
*木造無著菩薩・世親菩薩立像(国宝)-無著・世親の兄弟は5世紀頃のインドで活動した唯識教学の祖で、興福寺が属する法相宗では尊ばれている。本尊弥勒像と同じ頃、運慶一門の作。鎌倉時代のリアリズム彫刻の頂点をなす作品、日本の肖像彫刻の最高傑作の1つとして高い評価を得ている。
*木心乾漆四天王立像(国宝)-堂内の他の諸仏より古く平安時代ごく初期の像である。弘安8年(1285年)の修理銘によると、本来は大安寺のもので、延暦10年(791年)に造立されたという。



こちらは3回目になると思います。

もちろん本尊の「運慶」作、国宝「木造弥勒仏坐像」もさることながら、僕の一押しは国宝「木造無著菩薩・世親菩薩立像」です。

まるで生きていて、いまにも動き出しそうなぐらいの像です。

なんともいえない表情をされています。

それにしてもこの狭いお堂の中に3件7体の国宝彫刻が安置されているという素晴らしさ。

この2つのお堂の拝観料1200円は決して高くはないと思います。

やはり仏像というものは直に見ることが一番で、逆にじかに見なければ本当の良さはわからないものなんではないでしょうか?

この時点で5件の国宝彫刻と1件の国宝建造物の拝観終了。

次は奈良のシンボル国宝「興福寺五重塔」と「興福寺東金堂」です。

興福寺
国宝「興福寺五重塔」右と「興福寺東金堂」左


何度見てもいいツーショットです。

*五重塔(国宝)は天平2年(730年)、光明皇后の発願で創建された。現存の塔は応永33年(1426年)頃の再建である。高さ50.1メートルで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い。 


「東金堂」についてウィキペディア(Wikipedia)より

*東金堂(国宝)は神亀3年(726年)、聖武天皇が伯母にあたる元正天皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊を安置する堂として創建した。治承4年(1180年)の兵火による焼失後、文治3年(1187年)、興福寺の僧兵は飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)講堂本尊の薬師三尊像を強奪してきて、東金堂本尊に据えた。東金堂はその後応永18年(1411年)に五重塔とともに焼け、現在の建物は応永22年(1415年)の再建の室町時代の建築である。様式は、唐招提寺金堂を参考にした天平様式。平面規模は、創建時の堂に準じている。堂内には以下の諸仏を安置する。

*銅造薬師三尊像(重文)-中尊は応永18年(1411年)の火災後の再興像で室町時代の作。脇侍の日光菩薩像・月光菩薩像は応永の火災の際に救出されたもので、奈良時代の作である。
*木造維摩居士坐像(国宝)-本尊薬師如来の向かって左に安置。鎌倉時代、建久7年(1196年)、定慶の作。維摩は大乗仏教の重要経典の一つである「維摩詰所説経(維摩経)」に登場する伝説上の人物で、在家仏教徒の理想像とされる。興福寺では山階寺の創建直後に藤原鎌足が維摩経を講賛・供養する維摩会を始めさせ、以後、最重要の法会の一つとして現在に至るまで毎年10月に執り行われている。その経緯などから維摩は藤原氏の篤い信仰を集め、また興福寺においても特に重要な存在と見なされている。実在の老人のようにリアルに表現されている。
木造文殊菩薩坐像(国宝)-本尊薬師如来の向かって右に安置され、上記維摩居士像と対を成す。作者は不明だが、維摩像と同じ頃、定慶の手になるものと推定される。維摩経のクライマックスにあたる文殊と維摩の問答の場面を表現したものである。
*木造四天王立像(国宝)-堂内四隅に安置。堂内の他の像より古く、平安時代前期の重厚な作風の像。
*木造十二神将立像(国宝)-薬師如来を守護する12の眷属の像。鎌倉時代、建永2年(1207年)頃の作。各像のダイナミックな姿勢と12体の個性を彫り分けた群像表現が見所である。


上記の通り「東金堂」には4件の国宝彫刻が安置されています。

ここでの僕のおすすめは国宝「木造維摩居士坐像」です。

維摩居士の像としては唯一のものなのではないでしょうか。

やはり仏様とは見た目も違いますし、なんとなくユーモラスにも見えます。

「東金堂」は常に公開されていますのでぜひ。

この時点で9件の国宝彫刻と3件の国宝建造物の拝観終了。

続いては「国宝館」です。

興福寺
「国宝館」


ここ「国宝館」には8件の国宝彫刻が安置されています。

*乾漆八部衆立像(国宝)-奈良時代の作。もと西金堂本尊釈迦如来像の周囲に安置されていた群像の1つ。五部浄、沙羯羅(さから、しゃがら)、鳩槃荼、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、畢婆迦羅(ひばから)の8体が揃って現存するが、五部浄像は大破して胸から下の体部が失われている。中でも三面六臂(手が6本)の阿修羅像が著名である。
*乾漆十大弟子立像(国宝)-奈良時代の作。八部衆像とともに、西金堂本尊釈迦如来像の周囲に安置されていた群像の1つである。当然ながら制作当初は10体の群像であったが、4体は明治時代に寺外へ流出し、舎利弗、目犍連(もくけんれん)、伝須菩提、富楼那、迦旃延、伝羅睺羅の6体のみが寺に現存する。寺外に流出した4体は、明治時代の古写真に写っているが、いずれも破損が激しい。これら4体のうち、大倉集古館旧蔵の1体(伝優波離像)は関東大震災で焼失した。他の3体は以下の所蔵先に現存するが、いずれの像も原形を留めていない。
伝阿難像(個人蔵) - 大破していた像の欠失部分を補って復元したものとされるが、詳細不明。
伝大迦葉像(大阪市立美術館蔵) - 頭部のみ残存。
像名不詳心木(東京藝術大学大学美術館蔵) - 両足先と衣の裾の部分がかろうじて残存する。
*銅造仏頭(国宝)-白鳳時代の作で、頭部のみ残っているが、白鳳文化を代表する作品。旧山田寺仏頭とも。元来、飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)講堂本尊薬師三尊像の中尊像の頭部で(前記)、東金堂にあったが、室町時代の火災で頭部だけがかろうじて焼け残った。(この火災により、右耳付近が大きく変形している)。この頭部は新しく作った本尊像の台座内に納められて長らく人目にふれず、1937年(昭和12年)に再発見された。この時には他に、類例の少ない銀製の仏像の腕(重文)も発見されている。
*木造仏頭(重文)-廃絶した西金堂の旧本尊・釈迦如来像の頭部。鎌倉時代。頭部のほかに両手の一部、光背を飾っていた飛天像と化仏(小型の仏像)も残っている。従来、運慶の兄弟子・成朝の作とされていたが、近年、興福寺別当(住職)信円の日記の記述から、文治2年(1186年)正月に運慶によって作られたとする説が有力となっている。
*木造金剛力士立像(国宝)-もと西金堂安置。鎌倉時代。定慶作とする説もある。
*木造天燈鬼・龍燈鬼立像(国宝)-もと西金堂安置。大きな燈篭を、天燈鬼は肩にかつぎ、龍燈鬼は頭上で支える。架空の存在を写実的かつユーモラスに表現した、鎌倉期彫刻の傑作である。龍燈鬼像は運慶の子息である康弁の建保3年(1215年)の作で、天燈鬼も同人か周辺の仏師の作と思われる。
*木造法相六祖坐像(国宝)-運慶の父・康慶一門の作。玄賓、行賀、玄昉、神叡、常騰、善珠という、法相宗の6名の高僧の肖像。南円堂の本尊の周囲に安置されていた。行賀像と神叡像は、奈良国立博物館なら仏像館に寄託。
*木造千手観音立像(国宝)-もと食堂(じきどう)本尊。現在は、食堂跡地に建つ国宝館の中央に安置される。高さ5.2メートルの巨像で、像内納入品の銘記から鎌倉時代、寛喜元年(1229年)頃の完成と推定される。この千手観音像は記録によると造像開始から完成まで4半世紀の歳月を要した。当初の造像担当者であった成朝は運慶の父康慶の兄弟子にあたり、康慶よりも正当な慶派の後継者であった。しかし成朝は病弱であったため千手観音像の制作途中で亡くなったと推定されている。その後放置されていたものが何らかの理由で制作が再開され、別の仏師の手により完成された。像の部材は制作が中止されている間風雨に晒されていたらしく、内部の木肌は酷く痛んだ状態であった。
*板彫十二神将像(国宝)-平安時代11世紀半ばの作。日本では珍しい、檜板に浮き彫りにした仏像で、現在は剥落しているが、もとは彩色されていた。12面完存している。像容は誇張的にデフォルメされており、武神像でありながらどこかユーモラスな雰囲気が漂う。厚さ3cmほどの板に彫られたとは思えないほど立体感と奥行きが感じられ、特に顔や手足の筋肉は微妙な段差と起伏によって巧みに表されており、作者の高い技量を見て取ることが出来る。10世紀末期に活躍した画僧・玄朝(源朝)の図様を元に制作された。江戸期の文献には、この板彫を指すと見られる十二神将像が東金堂にあったという記載があるが、それ以前の伝来については解っていない。十二神将は薬師如来を守護し、仁和寺の薬師如来坐像の台座には十二神将を彫った作例があることから、元々は薬師像の台座側面に貼られていたと推測される。


今最も注目されている「阿修羅像」は国宝「乾漆八部衆立像」の中の一体になります。

何回見ても何とも言えない表情でたしかに魅力的です。

やはりこの像のまえにはたくさんの人が集まっています。

その向かいには国宝「乾漆十大弟子立像」が並びます。

そして「木造法相六祖坐像」もあり、仏様以外の国宝彫刻がたくさんあるのも特徴でしょうか。

「乾漆八部衆立像」「乾漆十大弟子立像」の一部は、所々腕や指が欠損してりるものがあります。

いろいろな歴史を乗り越えて現在に至ったのがこれらからもわかります。

ここ「国宝館」での僕のおすすめは「木造天燈鬼・龍燈鬼立像」です。

あまり目立ちませんが、「かなりオモロイ顔」をしています。

なんで鬼が灯篭を持っているのか意味がわかりませんが、とにかくなんか笑える像です。

国宝彫刻でみて笑えてくるのは、この像以外にないと思いますよ。ぜひ。

館内中央に安置されている国宝「木造千手観音立像」も巨大な像で、迫力満点です。

ちょうど「阿修羅像」と対面に立っています。

その他にもたくさんの文化財が安置されています。

「法隆寺大宝蔵院」と並ぶ「宝の蔵」と言えるでしょう。

これで現在「興福寺」に安置されている17件の国宝彫刻をすべて肉眼で拝観することが出来ました。

ただし「木造法相六祖坐像」「乾漆十大弟子立像」の一部は他所に安置されています。

改めて「興福寺」の素晴らしさを実感しました。

間違いなく日本を代表するお寺の一つだと思います。

文化財に興味がおありなら、必ず訪れて欲しいお寺でもあります。

6月2日まで「南円堂」「北円堂」は公開されていますので、ぜひ一度お越し下さい。

僕も初めての体験でとても有意義な一日になりました。

機会があれば期間中にもう一度くらい行ってみたいと思いました。

最後に国宝「興福寺三重塔」やその他の写真をどうぞ。

興福寺
国宝「興福寺三重塔」

康治2年(1143年)、崇徳天皇の中宮・皇嘉門院により創建された。治承4年(1180年)の大火による焼失記録はないが、現在の塔は建築様式から大火後まもなく再建された鎌倉建築と考えられる。

興福寺
北側から見た「南円堂」


興福寺
「一言観音」


興福寺
現在再建中の「中金堂」


興福寺
「北円堂」の南側にある「西金堂跡」


興福寺
「南大門跡」


それではまた!

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拝観料 国宝館 大人 大学 500円 高校 中学 400円 小学150円
    東金堂 拝観料大人 大学 300円 高校 中学 200円 小学100円
「南円堂」「北円堂」共通券 6月2日まで 1200円

住所 奈良県奈良市登大路町48番地

駐車場 あります 有料 1000円

アクセス 近鉄奈良線近鉄奈良駅下車徒歩7分


大きな地図で見る

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亀吉の探索済みの京都府の世界遺産と国宝スポット
亀吉の探索済みの奈良県の世界遺産と国宝スポット
奈良県には国宝建造物64件国宝彫刻70件があります 
奈良のお寺・神社一覧(178件)

奈良公園周辺

興福寺
2008.2.24
2009.12.26
2010.10.23

東大寺
2008.2.24(1)(2)
2009.12.26
2010.4.11
2010.12.16
2011.3.4
2011.4.9
2011.8.15
2012.1.14

正倉院

春日大社
2008.2.24
2010.12.16
2011.8.15

元興寺
2008.2.24
2012.1.14

平城宮跡
2009.12.26
2010.5.1

春日山原始林

平城京左京三条二坊宮跡庭園

新薬師寺

十輪院
2008.3.8
2012.1.14

奈良国立博物館
2009.12.26
2010.10.23



奈良南西部及び西の京
佐保、佐紀路辺り


薬師寺
2008.2.24
2010.10.23
2011.3.19

唐招提寺
2008.2.24
2009.11.8
2010.6.5(1)(2)

秋篠寺

般若寺

法華寺
2008.3.8
2010.3.22

海龍王寺


旧柳生街道

円成寺


天理市

石上神宮


奈良市西部

長弓寺

霊山寺


斑鳩の里

法隆寺 
2008.3.2(1)(2)(3)(4)
2009.12.12(1)(2)(3)(4)
2010.3.13
2010.3.22
2010.4.11

法起寺

中宮寺


葛城市

当麻寺
2008.3.2
2010.4.29(1)(2)



飛鳥 桜井

岡寺

聖林寺

長谷寺
2008.3.2
2011.4.29

安倍文殊院new


宇陀市

室生寺

宇太水分神社


五條市

栄山寺


吉野

金峯山寺
2008.3.16
2010.10.16

吉野水分神社

赤字は世界遺産
亀吉の探索済みの滋賀県の世界遺産と国宝スポット
滋賀県には国宝建造物22件国宝彫刻4件があります


大津市

石山寺

園城寺 
2008.4.12
2010.8.7
2011.10.29

日吉大社

延暦寺


野洲市

御上神社

大笹原神社


蒲生郡

苗村神社


彦根市

彦根城


長浜市

渡岸寺(向源寺)

竹生島 宝厳寺と都久夫須麻神社


犬上郡

西明寺


愛知郡

金剛輪寺


湖南市

善水寺

常楽寺

長寿寺

赤字は世界遺産
亀吉の探索済みの和歌山県の世界遺産と国宝スポット
和歌山県には国宝建造物7件国宝彫刻5件があります


高野山

金剛峰寺
2008.5.4(1)(2)
2011.10.20(1)(2)(3)(4)(5)

金剛三昧院
2008.5.4
2011.10.20

慈尊院と丹生官省符神社と丹生都比売神社
2008.5.4
2011.10.20


岩出市

根来寺


海南市

善福院

長保寺


日高郡

道成寺

赤字は世界遺産

亀吉の探索済みの兵庫県の世界遺産と国宝スポット
兵庫県には国宝建造物11件国宝彫刻1件があります

姫路市

姫路城


神戸市

太山寺
加古川市

鶴林寺
小野市

浄土寺
加西市

一乗寺
加東市

朝光寺

赤字は世界遺産
亀吉の探索済みの大阪府の国宝スポット
大阪府には国宝建造物5件国宝彫刻4件があります


大阪市

住吉大社
2008.3.22
2011.10.1


藤井寺市

葛井寺
2008.3.30
2010.4.18

道明寺
2008.3.30
2010.4.18


河内長野市

観心寺
2008.3.30
2010.4.18


堺市

桜井神社


貝塚市

孝恩寺


泉佐野市

慈眼院


交野市

獅子窟寺


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