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唐招提寺金堂(とうしょうだいじこんどう)と地図

まずは「唐招提寺」の様子を動画ででご覧下さい!




2009.11.8 世界遺産「古都奈良の文化財」のひとつ、「唐招提寺」へ行ってきました。

2度目の「唐招提寺」です。

というのも、国宝「唐招提寺金堂」の修復工事が終わり2009.11.1~3にかけて、落慶法要が営まれ、11.4から拝観が始まったからです。

前回訪れたときははっきり言って、物足りませんでした。

やっぱり金堂を見なければ、「唐招提寺」に行った意味が半減されてしまいます。

朝7時前に家を出発。

わが町東大阪から近鉄電車奈良線で西ノ京駅まで向かいました。

西ノ京駅を降りると「薬師寺」がありますが、今日は「唐招提寺」一本でいきます。

駅から焼く10分ぐらい歩くと「唐招提寺」に到着しました。8時すぎでした。
唐招提寺

「南大門」の拝観受付には、すでに20~30人が並んでいました。
唐招提寺

さすがだなと思いました。
唐招提寺 南大門
「南大門」

「南大門」は開いていて、そこからはすでに国宝「金堂」が見えていました。
唐招提寺 金堂
国宝「唐招提寺金堂」

「南大門」から「金堂」までは50mぐらいあるでしょうか。
それでも迫力が伝わってきました。
開門までの30分ぐらいの間ず~っと「金堂」を眺めていました。
ず~っと眺めていても飽きない素晴らしい建物です。
そのうちに「金堂」の3枚の扉が開け放たれました。
唐招提寺 金堂2


8時半いよいよ開門です。
唐招提寺

ここ「唐招提寺」は世界遺産「古都奈良の文化財」のひとつです。
まず世界文化遺産 古都奈良の文化財とは?
奈良市内に点在する寺社等の総称で、東大寺興福寺春日大社元興寺薬師寺唐招提寺平城宮跡、春日山原生林からなる。日本建築と日本美術の進化のひときわ優れた証拠性を有し、それらは中国と朝鮮との文化的つながりの結果であり、後世の発展に重要な影響を与えることになったことなどをはじめ、世界的に見ても高い文化的価値を有するとして、1998年に世界文化遺産に登録されました。

いよいよ境内へ入りました。
金堂がだんだん近づいてきました。





唐招提寺について
ウィキペディア(Wikipedia)より
唐招提寺は、南都六宗の一つである律宗の総本山で本尊は廬舎那仏
開基(創立者)は社会の教科書でおなじみの鑑真。
唐招提寺は唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、故・新田部親王の旧宅跡を朝廷から譲り受け、寺としたものだそうです。
金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により、完成したといわれます。
「続日本」』等によれば、唐招提寺は唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、新田部親王(にいたべしんのう、天武天皇第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲り受け、寺としたものです。寺名の「招提」は、サンスクリット由来の中国語で、元来は「四方」「広い」などの意味を表わす語であったが、「寺」「院」「精舎」「蘭若」などと同様、仏教寺院(私寺)を指す一般名詞として使われていました。つまり、唐招提寺という寺号は、「唐僧鑑真和上のための寺」という意味合いです。
遣唐使船に同乗し、琉球を経て天平勝宝5年(753年)12月、薩摩に上陸した鑑真は、翌天平勝宝6年(754年)2月、ようやく難波津(大阪)に上陸しました。同年4月、東大寺大仏殿前で、聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇らに菩薩戒を授け、沙弥、僧に具足戒を授けました。鑑真は日本で過ごした晩年の10年間のうち、前半5年間を東大寺唐禅院に住した後、天平宝字3年(759年)、前述のように、今の唐招提寺の地を与えられました。大僧都に任じられ、後に大和上の尊称を贈られた鑑真は、天平宝字7年(763年)5月、波乱の生涯を日本で閉じました。数え年76でした。
唐招提寺の寺地は平城京の右京五条二坊に位置した新田部親王邸跡地で、広さは4町でした。境内の発掘調査の結果、新田部親王邸と思われる前身建物跡が検出されています。また、境内から出土した古瓦のうち、単純な幾何学文の瓦(重圏文軒丸瓦と重弧文軒平瓦の組み合わせ)は、新田部親王邸のものと推定されています。寺内に現存する2棟の校倉造倉庫のうち、経蔵は新田部親王宅の倉庫を改造したものと思われますが、他に新田部親王時代の建物はありません。
「招提寺建立縁起」(「諸寺縁起集」所収)に、寺内の建物の名称とそれらの建物は誰の造営によるものであるかが記されています。それによると、金堂は鑑真の弟子でともに来日した如宝(? - 815年)の造営、食堂(じきどう)は藤原仲麻呂家の施入(寄進)、羂索堂(けんさくどう)は藤原清河家の施入でありました。また、講堂は、平城宮の東朝集殿を移築改造したものでありました。金堂の建立年代には諸説ありますが、おおむね8世紀末と推定され、鑑真の没後に建立されたものです。
伽藍の造営は鑑真の弟子の如宝、孫弟子の豊安(ぶあん)の代にまで引き継がれました。平安時代以後、一時衰退しましたが、鎌倉時代の僧・覚盛(かくじょう、1193年 - 1249年)によって復興されました。

ここで僕の大好きな国宝をご紹介します。
国宝
建造物
*金堂
*講堂
*鼓楼
*経蔵
*宝蔵
彫刻
*鑑真和上坐像(御影堂安置)
*盧舎那仏坐像(金堂安置)
*千手観音立像(金堂安置)
*薬師如来立像(金堂安置)
*梵天・帝釈天 立像(所在金堂)
*四天王立像(所在金堂)
その他
*舎利容器(白瑠璃舎利壺(鑑真和上将来舎利納入)1口、方円彩糸花網1枚、金亀舎利塔1基)
以上
唐招提寺 金堂3
国宝「唐招提寺金堂」

国宝「唐招提寺金堂」(とうしょうだいじこんどう)
奈良時代
桁行七間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺
ウィキペディア(Wikipedia)より
奈良時代建立の寺院金堂としては現存唯一のものである(奈良・新薬師寺の本堂は奈良時代の建築だが、元来は食堂として建てられたものである)。2000年から解体修理(「平成の大修理」)が行われ、2009年11月1日-3日に落慶行事が行われました。寄棟造、本瓦葺きで、大棟の左右に鴟尾(しび)を飾ります。このうち西側の鴟尾は創建当初のもので、東側は鎌倉時代の元亨3年(1323年)の補作であったが、いずれの鴟尾も劣化が甚だしいため、平成の大修理に伴い、屋根上から下ろして別途保管することとなり、屋根上には新しい鴟尾が飾られています。
古い鴟尾は新宝蔵に展示されています。
正面7間、側面4間(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表わす)で、手前の7間×1間を吹き放し(壁、建具等を設けず、開放とする)とすることがこの建物の特色である。吹き放しとなった堂正面には8本の太い円柱が並び、この建物の見所となっています。建物は文永7年(1270年)と元禄6年 - 7年(1693年 - 1694年)に修理されている。特に元禄の修理は大規模で、当初は垂木の上に直接屋根瓦を葺いていたものを改めて屋根裏を設け、近世風の小屋組とした。そのため屋根高は創建時より2メートル以上高くなっている。外面の各所に打ちつけられた長押も元禄材で、創建当初は現状よりせいの低い長押が用いられていました。明治31年から32年(1898年 - 1899年)の修理では屋根裏の構造を再度改め、洋小屋組(西洋風のトラス組)としています。何度も修理が重ねられて来たが、平成の大修理に伴う調査の結果、当初材が良好に残存していることがわかりました。地垂木は9割が当初材であり、扉も当初材を加工して使用しています。2005年、奈良県教育委員会の発表によれば、金堂の部材には西暦781年以降に伐採されたヒノキ材が使用されており、建立は同年以降ということになります。
堂内には中央に本尊・廬舎那仏坐像、向かって右に薬師如来立像、左に千手観音立像の3体の巨像を安置するほか、本尊の手前左右に梵天・帝釈天立像、須弥壇の四隅に四天王立像を安置する(仏像はいずれも国宝)。廬舎那仏、薬師如来、千手観音の組み合わせは他に例がなく、経典にもみえないことからその典拠は明らかでありません。東大寺(本尊は廬舎那仏)、下野薬師寺、筑紫観世音寺を「天下三戒壇」と称するが、唐招提寺の三尊は廬舎那仏・薬師・観音の組み合わせで天下三戒壇を表しているとする説もあります。
唐招提寺
「平成の鴟尾(しび)」

初めて「金堂」を見ることが出来ました。
大きく張り出した軒といい、それを支える柱といい、屋根といい、本当に最高です。
本当に1200年も経つ建物なのかというぐらい綺麗です。
建物もすごいんですが、中の仏様もこれまたすごいんです。
「金堂」内にある国宝彫刻をご紹介。
ウィキペディア(Wikipedia)より
中央に本尊・国宝「廬舎那仏坐像」(るしゃなぶつざぞう)
像高304.5センチメートル。奈良時代末期、8世紀後半の作とされています。廬舎那仏は、大乗の戒律を説く経典である「梵網経」(5世紀頃中国で成立)の主尊です。像は千仏光背を負い、蓮華座上に坐す。麻布を漆で貼り固めて造形した脱活乾漆像です。唐招提寺は私寺でありますが、本像は制作に手間のかかる脱活乾漆像であることから、造東大寺司の工人による作と推定されています。(一説には、東大寺法華堂の旧本尊。)光背の千仏は864体が残ります。

向かって右に国宝「薬師如来立像」(やくしにょらいりゅうぞう)
像高336.5センチメートル。廬舎那仏像とは造像技法が異なり、木心に木屎漆(こくそうるし)を盛り上げて造形した木心乾漆像です。かつては奈良時代の作と考えられていましたが、1972年の修理時に左の掌の内側に3枚の古銭が納入されているのが発見され、そのうち最も年代の下る隆平永宝が延暦15年(796年)以降の鋳造であることから、本像の制作もそれ以降、つまり平安京遷都後となります。光背はこの像のものとしては幅が広すぎ、他の像の光背を転用したものと推定されています。

左に国宝「千手観音立像」(せんじゅかんのんりゅうぞう)
535.7センチメートル。奈良時代末期の作で、廬舎那仏像よりはやや時代が下がるとされています。千手観音像は40手(合掌手を含めて42手)で千手を代表させるものが多いが、本像は実際に1,000本の手を表した例で、大手42本の間に小手をびっしりと植え付ける。現状は大手42本、小手911本、計953本であるが、制作当初は計1,000本の手を有したものと思われます。

本尊の手前左右に国宝「梵天・帝釈天立像」(ぼんてん・たいしゃくてんりゅうぞう)
像高はそれぞれ186.2及び188.2センチメートル。奈良時代末期 - 平安時代初期。

須弥壇の四隅に国宝「四天王立像」(してんのうりゅうぞう)
像高は185.0 - 188.5センチメートル。奈良時代末期 - 平安時代初期。

中央の3体は特に大きくて迫力もあり、素晴らしい仏様でした。感謝。

前回も紹介しましたが、「金堂」以外の国宝建造物も紹介しておきます。

唐招提寺 講堂
国宝「唐招提寺講堂」

国宝「唐招提寺講堂」(とうしょうだいじこうどう)
奈良時代
桁行九間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺
平城宮の東朝集殿を移築・改造したもので、天平宝字4年(760年)頃、平城宮の改修に伴って移築されたそうです。東朝集殿は、壁や建具のほとんどない開放的な建物で、屋根は切妻造であったが、寺院用に改造するにあたって、屋根を入母屋造とし、建具を入れているそうです。鎌倉時代の建治元年(1275年)にも改造されていますが、奈良時代宮廷建築の唯一の遺構として極めて貴重なんだそうです。堂内には本尊弥勒如来坐像(重文、鎌倉時代)と、持国天、増長天立像(重文、奈良時代)が安置されています。1970年に新宝蔵が完成するまでは、堂内に多数の仏像を安置していたそうです。
唐招提寺
国宝「唐招提寺経蔵」右と「唐招提寺宝蔵」

国宝「唐招提寺経蔵」(とうしょうだいじきょうぞう)
奈良時代
桁行三間、梁間三間、校倉、寄棟造、本瓦葺
奈良時代校倉の遺構であるが、唐招提寺創立以前より存在した倉を、同寺伽藍整備のとき改造したことが、最近の修理に際しての精密な調査により判明したそうです。現在の姿は同寺整備の形態に復原されているそうです。
国宝「唐招提寺宝蔵」(とうしょうだいじほうぞう)
奈良時代
桁行三間、梁間三間、校倉、寄棟造、本瓦葺
宝蔵は奈良時代の建立であり、校倉の形式になる。 規模が大きく、二軒の屋根をもち、内部棚廻りまで旧規を存しており、奈良時代校倉の代表的遺構である。

礼堂の東側に並んで建つ。ともに奈良時代の校倉造倉庫。経蔵は唐招提寺創建以前ここにあった新田部親王邸の倉を改造したものとされ、宝蔵はここが寺になってから建てられたものと推定されるそうです。

唐招提寺 鼓楼
国宝「唐招提寺鼓楼」

国宝「唐招提寺鼓楼」(とうしょうだいじころう)
仁治元(1240)
桁行三間、梁間二間、楼造、入母屋造、本瓦葺
金堂・講堂の東側に建つ、小規模な楼造(2階建)の建物です。頭貫は端部を大仏様(だいぶつよう)の木鼻とするそうです。西側の対称的位置に建つ鐘楼に対し「鼓楼」と称しますが、この建物には太鼓ではなく、鑑真が唐から請来した仏舎利を安置しており、そのため舎利殿とも称するそうです。

唐招提寺

この国宝スリーショットは貴重なのではないでしょうか。
左から「金堂」「講堂」「鼓楼」です。

ツーショットまでなら今までにもありましたけど、スリーショットとなるとどうでしょう?
「法隆寺」ぐらいでしょうか?

まあなんしろこの「唐招提寺」のすごさがお分かりいただけたでしょうか。

まさに「宝の山」です。

その他にも
唐招提寺
「礼堂」

鼓楼の東にある南北に細長い建物。もとの僧房を弘安6年(1283年)に改築したものである。桁行19間、梁間4間、入母屋造、本瓦葺き。中央やや南寄りに馬道(めどう、土間の通路)があり、それより北の10間分が東室、南の8間は仏堂となり、隣の鼓楼(舎利殿)に安置された仏舎利を礼拝するための堂として礼堂(らいどう)と呼ばれる。礼堂内には清凉寺式釈迦如来立像(重要文化財)と日供舎利塔(重要文化財)を安置する。
唐招提寺
「戒壇」

「戒壇は、出家者が正式の僧となるための受戒の儀式を行う場所。戒壇院の建物は江戸時代末期の嘉永元4(1851年)に焼失して以来再建されず、3段の石壇のみが残っている。1980年にインド・サンチーの古塔を模した宝塔が壇上に置かれた。唐招提寺の戒壇は創建時からあったものとする説と、鎌倉時代の弘安7年(1284年)に初めて造られたとする説とがある。
唐招提寺
「鑑真廟」

国宝「鑑真和上坐像」(がんじんわじょうざぞう)を安置する「御影堂」。
「新宝蔵」「本願殿」「本願殿」「地蔵堂」「東塔跡」「西方院」など見所たくさんです。

次に来るときは「御影堂」の「鑑真和上坐像」の公開日にしたいと思います。

いつもは1日に何ヶ所もまわろうとして、早足になるんですが、今日はここ「唐招提寺」のみと決めてきましたので、1時間半はいたでしょうか。

本当にじっくり見ることが出来てよかったです。

1200年の歴史を見てきた「金堂」。

きっと「鑑真和上」の気持ちが乗り移っているんでしょうね。

こんなに素晴らしいお寺をずっと守ってこられた人々にも感謝します。

必ずまた来ることを誓って「唐招提寺」を後にした僕でした。

「唐招提寺」公式ホームページへ

拝観料
大人・大学生 600円 高校生 400円 中学生 400円  小学生 200円
特別展は上記拝観料のほかに別途料金がかかります。

駐車場 500円

時間 8時30分~17時


大きな地図で見る


2008.2.24の唐招提寺探索記へ

2009.11.8 国宝「唐招提寺金堂」探索記へ

2010.6.5 国宝「鑑真和上坐像」開帳探索記その一へ

2010.6.5 国宝「鑑真和上坐像」開帳探索記その二へ

★世界遺産と国宝探索記目次へ>>>

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世界遺産と国宝の旅の地図 in関西 唐招提寺金堂(とうしょうだいじこんどう)と地図
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2008.2.24
2009.12.26
2010.10.23

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2008.2.24(1)(2)
2009.12.26
2010.4.11
2010.12.16
2011.3.4
2011.4.9
2011.8.15
2012.1.14

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2008.2.24
2010.12.16
2011.8.15

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2008.2.24
2012.1.14

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2009.12.26
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2008.3.8
2012.1.14

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2009.12.26
2010.10.23



奈良南西部及び西の京
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薬師寺
2008.2.24
2010.10.23
2011.3.19

唐招提寺
2008.2.24
2009.11.8
2010.6.5(1)(2)

秋篠寺

般若寺

法華寺
2008.3.8
2010.3.22

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天理市

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斑鳩の里

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2008.3.2(1)(2)(3)(4)
2009.12.12(1)(2)(3)(4)
2010.3.13
2010.3.22
2010.4.11

法起寺

中宮寺


葛城市

当麻寺
2008.3.2
2010.4.29(1)(2)



飛鳥 桜井

岡寺

聖林寺

長谷寺
2008.3.2
2011.4.29

安倍文殊院new


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栄山寺


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2008.3.16
2010.10.16

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2008.4.12
2010.8.7
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2008.3.22
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2008.3.30
2010.4.18

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2008.3.30
2010.4.18


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2010.4.18


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