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清水寺(きよみずでら)の国宝と地図 2010.3.27

まずは「清水寺」の動画をご覧ください。




2010.3.27 京都府の国宝建造物と彫刻探索の旅の続きをご紹介します。

「南禅寺」を後にした僕は「京都市バス」でこの日の最終目的地「清水寺」へと向うのでした。

「祇園」バス停から歩いて登りました。

途中「石塀小路」「二年坂」「三年坂」(産寧坂)と京都の素晴らしい町並みを楽しみながら「清水寺」へ到着。

清水寺
「三年坂」の桜


「南禅寺」同様前回来た時はゆっくり見てまわることができなかった「清水寺」ですので今回は落ち着いて探索してみました。

前回2008.4.12の様子はこちらへ

「清水寺」は世界遺産「古都京都の文化財」のひとつです。

世界遺産 「古都京都の文化財」について
世界遺産登録理由
京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市に点在する寺社等の総称。具体的には賀茂別雷神社(上賀茂神社)賀茂御祖神社(下鴨神社)教王護国寺(東寺)清水寺延暦寺醍醐寺仁和寺平等院宇治上神社高山寺、西芳寺(苔寺)、天龍寺鹿苑寺(金閣寺)慈照寺(銀閣寺)竜安寺本願寺二条城の 17件。京都は8世紀から17世紀の間、宗教・非宗教建築と庭園設計の進化にとり主要中心地であり、日本の文化的伝統の創出に決定的な役割を果たし、特に庭園は19世紀以降世界の他の地域において意義深い影響を与えたことなどが評価されたもの。



清水寺について
ウィキペディア(Wikipedia)より
清水寺(きよみずでら)は、京都府京都市東山区清水にあるお寺です。山号を音羽山と称します。本尊は千手観音、開基は延鎮です。もとは法相宗に属したが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗ります。西国三十三箇所観音霊場の第16番札所であります。

歴史

創建伝承
清水寺の創建については、「群書類従」所収の藤原明衡撰の『清水寺縁起』、永正17年(1520年)制作の『清水寺縁起絵巻』(東京国立博物館蔵)に見えるほか、「今昔物語集」、「扶桑略記」の延暦17年(798年)記などにも清水寺草創伝承が載せられています。これらによれば、草創縁起は大略次の通りです。

宝亀9年(778 年)、大和国興福寺の僧で子島寺で修行していた賢心(後に延鎮と改名)は、夢のお告げで北へ向かい、山城国愛宕郡八坂郷の東山、今の清水寺の地である音羽山に至った。金色の水流を見出した賢心がその源をたどっていくと、そこにはこの山に篭って滝行を行い、千手観音を念じ続けている行叡居士(ぎょうえいこじ)という白衣の修行者がいた。年齢200歳になるという行叡居士は賢心に「私はあなたが来るのを長年待っていた。自分はこれから東国へ旅立つので、後を頼む」と言い残し、去っていった。行叡は観音の化身であったと悟った賢心は、行叡が残していった霊木に千手観音像を刻み、行叡の旧庵に安置した。これが清水寺の始まりであるといいます。

その2年後の宝亀11年(780年)、鹿を捕えようとして音羽山に入り込んだ坂上田村麻呂(758年 - 811年)は、修行中の賢心に出会いました。田村麻呂は妻の高子の病気平癒のため、薬になる鹿の生き血を求めてこの山に来たのでありますが、延鎮より殺生の罪を説かれ、観音に帰依して観音像を祀るために自邸を本堂として寄進したといいます。後に征夷大将軍となり、東国の蝦夷平定を命じられた田村麻呂は、若武者と老僧(観音の使者である毘沙門天と地蔵菩薩の化身)の加勢を得て戦いに勝利し、無事に都に帰ることができました。延暦17 年(798年)、田村麻呂は延鎮(もとの賢心)と協力して本堂を大規模に改築し、観音像の脇侍として地蔵菩薩と毘沙門天の像を造り、ともに祀った、といいます。以上の縁起により、清水寺では行叡を元祖、延鎮を開山、田村麻呂を本願と位置づけています。

平安時代以降

延暦24年(805年)には太政官符により坂上田村麻呂が寺地を賜り、弘仁元年(810年)には嵯峨天皇の勅許を得て公認の寺院となり、「北観音寺」の寺号を賜ったとされます。「枕草子」は「さわがしきもの」の例として清水観音の縁日を挙げ、「源氏物語」「夕顔」の巻や「今昔物語集」にも清水観音への言及があるなど、平安時代中期には観音霊場として著名であったことがわかります。

清水寺の伽藍は康平6年(1063年)の火災(扶桑略記に言及)以来、近世の寛永6年(1629年)の焼失まで、記録に残るだけで9回の焼失を繰り返しています。平安時代以来長らく興福寺の支配下にあったことから、興福寺と延暦寺のいわゆる「南都北嶺」の争いにもたびたび巻き込まれ、永万元年(1165年)には延暦寺の僧兵の乱入によって焼亡しています。現在の本堂は上記寛永6年の火災の後、寛永10 年(1633 年)、徳川家光の寄進により再建されたものです。他の諸堂も多くはこの前後に再建されています。

三職六坊

豊臣秀吉は清水寺に130石の寺領を安堵し、徳川幕府になってもこの寺領が継承されました。近世の清水寺は「三職六坊」と呼ばれる組織によって維持運営されていました。「三職」とは寺主に当たる「執行」、副寺主に当たる「目代」、寺の維持管理や門前町の支配などを担当する「本願」を指し、執行職は宝性院、目代職は慈心院、本願職は成就院がそれぞれ務めた。「六坊」はこれに次ぐ寺格を有するもので、義乗院、延命院、真乗院、智文院、光乗院、円養院の6か院です。

このうち、宝性院は仁王門北方に現存する。慈心院は本堂のみが随求堂(ずいぐどう)として残っています。成就院は近代の中興の祖である大西良慶(後述)が住坊とした所で、境内北側に位置し、現在は清水寺本坊となっています。「六坊」の6か院はいずれも境内南方にまとまって所在したが、このうち真乗院は織田信長によって廃絶され、以後は成就院によって寺籍のみが継がれていました。義乗院、智文院、光乗院、円養院も廃仏毀釈の時期に廃絶し、現在は延命院が残るのみです。

明治維新までは、清水寺は法相宗に真言宗を兼ねていた。その名残が大日堂や三重塔に残されています。

近代

近代に入り、大正3年(1914年)には興福寺住職・法相宗管長であった大西良慶(1875年 - 1983年)が清水寺住職に就任します。大西は昭和40年(1965年)に法相宗から独立して北法相宗を開宗、初代管長となりました。大西は昭和58年(1983年)、満107歳で没するまで70年近く清水寺貫主を務め、「中興の祖」と位置づけられています。大西は昭和41年(1966年)に月2回の北法相宗仏教文化講座を開始、昭和49年(1974年)には日中友好仏教協会を設立するなど、仏教を通じた国際交流、平和運動、文化活動などに尽力しました。



ここで僕の大好きな国宝のご紹介。
建造物
*本堂
以上



そいれでは「清水寺」の境内をご案内しましょう。

とその前に「清水寺」は境内だけでなく参道も素晴らしいところです。

参道について
東大路通の清水道交差点から清水寺までの約1.2キロの坂道は清水道と称され、道の両側には観光客向けのみやげ物店などが軒を連ねています。この道は松原通(かつての五条通)の延長です。その南、東山五条の交差点から北東に上り、清水道に合流する五条坂も参詣道となっています。さらに、五条坂の途中から分岐して清水寺仁王門付近に達する清水新道(茶わん坂)もあります。これらの参道が開けたのは近世以降のことであり、中世までは八坂の塔(法観寺)を経て産寧坂(三年坂)を南方向へ上り、経書堂(きょうかくどう)のところで左(東)へ折れるルートが参道でした。




それではようやく境内へ。
境内は標高242メートルの清水山(音羽山)中腹に石垣を築いて整地され、多くの建物が軒を接するように建ち並んでいます。入口の仁王門を過ぎ、西門、三重塔、鐘楼、経堂、田村堂(開山堂)、朝倉堂などを経て本堂に至ります。本堂の先、境内の東側には北から釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院が崖に面して建っています。本堂東側の石段を下りた先には寺名の由来でもある名水が3本の筧(かけい)から流れ落ちており、「音羽の滝」と呼ばれています。音羽の滝からさらに南へ進むと、「錦雲渓」と呼ばれる谷を越えた先に塔頭寺院の泰産寺があり、「子安塔」と呼ばれる小さな三重塔があります。北には清水寺本坊の成就院があります。

このほか、本堂のすぐ北隣に地主神社(じしゅじんじゃ)があり、明治以降は神仏分離により独立したが、もともとは鎮守社として清水寺の一部でした。

清水寺
「仁王門」

境内入口に建つ朱塗りの門。三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺きで、正面左右に鎌倉時代末期の金剛力士(仁王)像を安置する。室町時代の建立で、馬駐(うまとどめ)、鐘楼とともに寛永6年(1629年)の大火をまぬがれた。

清水寺
「馬駐」(うまとどめ)

謡曲「熊野」(ゆや)で謡われている。
昔、貴族や武士が此所で馬から下り、乗馬をこの建物につないで徒歩で諸堂へ参拝した。
現在の建物は応仁の乱後に再建された。全国的に希少な遺構で、正面10.5メートル、側面5メートル強と規模も大きく、同時に五頭の馬をつなぐことができる。
至って実用的に簡素な造りになる中、貫鼻(ぬきはな)などに繰形(くりがた)を飾っている。
清水寺ホームページの説明文より
清水寺
「西門」

仁王門をくぐって右方の小高い位置に建つ。寛永8年(1631年)の建立。切妻造、檜皮葺きで、形式的には八脚門だが、正面に向拝、背面には軒唐破風(のきからはふ)を付し、内部には床板と格天井を張る特殊な形式の門である。全面朱塗り、軒下の組物や蟇股(かえるまた)などは極彩色とするなど、門というよりは神社の拝殿のように見え、特殊な用途をもった建物と推定されている。
清水寺
「三重塔」

西門の先に建つ和様の塔。寛永再興時の再建。高さ30.1メートル。昭和62年(1987年)に完了した解体修理により、外部の極彩色が復元されている。内部には、曼荼羅の密教世界が造形されて、中央には大日如来が安置されている。

清水寺
「鐘楼」

慶長12年(1607)の再建。
2.3トンの重い梵鐘を吊るために六本柱、四方転びの技法を用い、柱に貫(ぬき)を三重に通して組み固めている。なお牡丹彫刻の懸魚(げぎょ)や菊花彫刻の蟇股(かえるまた)などに桃山様式の美を見せる。
清水寺ホームページの説明文より
清水寺
「経堂」

三重塔の隣に建つ入母屋造、瓦葺きの五間堂。寛永再興時の再建。内部には釈迦三尊像(脇侍は文殊菩薩と普賢菩薩)を安置する。堂は工芸品などの展示場として使用されることもある。

清水寺
「田村堂」

経堂の隣に建つ入母屋造、瓦葺きの三間堂。開山堂とも称する。寛永再興時の再建。内部には開放形の厨子内に坂上田村麻呂夫妻像を安置し、その向かって左に行叡と延鎮の像を祀る。いずれも清水寺創建に関わる人物である。堂内は通常は非公開。

清水寺
「随求堂」

仁王門から参道を進んだ正面に位置する。もとは塔頭慈心院の本堂で、慈心院を中興した僧・盛松により、享保20年(1735年)に建立された。本尊の秘仏・大随求菩薩像は八臂の坐像で、享保18年(1733年)の作である。脇侍として吉祥天立像と毘沙門天立像(重要文化財)を安置していたが、後者は宝蔵殿に移されている。堂の地下の暗闇を歩く「胎内めぐり」が行われている。

清水寺
「朝倉堂」

拝観受付所と本堂を結ぶ廊下の北側にある。入母屋造、瓦葺きの五間堂。清水観音を篤く信仰した、越前の守護大名朝倉貞景の寄進した建物だったことから朝倉堂と称するが、現在の建物は寛永再興時の再建。内部には秘仏の千手観音、毘沙門天、地蔵菩薩の三尊のほか、西国三十三所の観音像を安置する。堂内は通常は非公開。


清水寺
「轟門」

正面軒下中央に月舟禅師(1618~96)の名筆「普門閣」の扁額を掲げる。
本堂への中門で、寛永8~10年(1631~33)再建の三間一戸の八脚門。
切妻造り、本瓦葺きで、妻や天井の構造は東大寺転害門を縮小して写している。
左右両脇間に持国天像と広目天像を祀り、背面には阿・吽形(あうんぎょう)の狛犬(こまいぬ)を安置する。
なお門前には梟(ふくろう)の手水鉢(ちょうずばち)が奉納されている。
清水寺ホームページの説明文より

この「轟門」の奥にあるのがが皆さんもよくご存知の「清水の舞台」で有名な国宝「清水寺本堂」です。

清水寺
「本堂」の中の様子


清水寺
東側から見た「本堂」


清水寺
国宝「清水寺本堂」

国宝「清水寺本堂」(きよみずでらほんどう)
寛永10(1633)
本宇桁行九間、梁間七間、一重、寄棟造、東西北にもこし付、
正面両翼廊及び庇、舞台、西面翼廊付、総檜皮葺
徳川家光の寄進により寛永10年(1633年)に再建されたものだそうです。「清水の舞台」とも呼ばれる。屋根は寄棟造、檜皮葺きで、正面(南面)左右に入母屋造の翼廊が突き出し、外観に変化を与えている。建物の前半部分は山の斜面にせり出すようにして建てられ、多くの長大な柱(139本という)が「舞台」と呼ばれるせり出し部分を支えている(釘は使われていない)。このような構造を「懸造(かけづくり)」、あるいは「舞台造」と言い、観音菩薩は補陀洛山(ふだらくさん)に現われるという『法華経』「観世音菩薩普門品」(観音経)の所説に基づくものだそうです。なお、同じく観音霊場である「長谷寺」「石山寺」の本堂も同様の「懸造」だそうです。

何回見ても素晴らしいです。
見ていて飽きないというかずっとここにいたくなるんですよね。

理屈抜きに素晴らしい建物だと思います。

まさに「言葉に出来ない」という表現があてはまる国宝「清水寺本堂」です。

やっぱり数ある「京都」の名所の中でも「京都の顔」といわれるだけのことはあると思います。

この日もたくさんの外国人の方が来られてましたけど、みんな「オー」という顔をしてました。

昔の人も今の人も、日本人でも外国人でも、誰もがこの素晴らしさはわかると思います。

この日は「醍醐寺」で「上醍醐」まで登りましたし、ここ「清水寺」までも坂を登りとくたくたになるほど歩いたんですけどこの景色をみたら全ての疲れが吹き飛びました。

清水寺


他にもまだ「清水寺」にはたくさんの見所がありました。


清水寺
「地主神社」

本堂の北にある、清水寺の鎮守社で縁結びの神として信仰を集めている。本殿、拝殿、総門は清水寺本堂と同じく寛永10年(1633年)の再建である。ちなみに清水寺・仁王門前にある狛犬は地主神社のものである。

清水寺
「釈迦堂」

本堂の先の山腹に建つ、寄棟造、檜皮葺きの三間堂。寛永再興時の再建。昭和47年(1972年)の集中豪雨による土砂崩れで倒壊し、3年後に旧材をもって復元された。

清水寺
「阿弥陀堂」

釈迦堂の右(南)に建つ入母屋造、瓦葺きの三間堂。寛永再興時の再建。前面の旧外陣部分を改造して奥の院への通路としている。内陣正面には後柏原天皇筆の「日本最初常行念仏道場」の額が架かる。文治4年(1188年)、法然がこの地で念仏を修したとの故事により、法然上人二十五霊場の十三番とされている。

清水寺
「奥の院」

阿弥陀堂の先(南)、本堂の全貌を見渡すことができる位置に建つ、寄棟造、檜皮葺きの五間堂。寛永再興時の再建。本堂より小規模ながら、崖にせり出した懸造の建物である。本堂と同様に千手観音、毘沙門天、地蔵菩薩、二十八部衆、風神・雷神の諸仏を安置する。ただし中尊は本堂本尊と異なり坐像である。

清水寺
「百体地蔵堂」

釈迦堂と阿弥陀堂との間の奥に建つ。子どもを亡くした親たちが、子どもそっくりの地蔵を探しあてて崇拝を厚くし、夏の地蔵盆会に賑う。なお釈迦堂北隣には西向き地蔵堂が建つ。
清水寺ホームページの説明文より

清水寺
「鎮守堂」(春日社)

成就院参道の途中に建ち、元来は清水寺の宗派・法相宗(ほっそうしゅう)の鎮守である奈良の春日大明神を勧請して祀った鎮守堂であった。小社ながら典型的な春日造りの神社建築で、切妻造りになり、前正面に妻破風を延ばして庇を取り付け向拝にしている。各部の彫刻はじめ桃山様式の趣をよく示している。
江戸時代初頭に再建されたものである。
清水寺ホームページの説明文より

清水寺
「本坊北総門」

元来は塔頭(たっちゅう)(旧本坊)成就院の正門であった。
寛永8~16年(1631~39)間に再建された一間(間口4.12メートル)潜りつきの薬医門である。
屋根は切妻造り、本瓦葺きで、鉄製の飾り金具や鉄帯を取り付けた大きな扉を二枚釣りこんでいる。
東隣に弁天堂が建ち、北裏側に月照・信海兄弟上人の歌碑と西郷隆盛の詩碑が並ぶ。
清水寺ホームページの説明文より


清水寺
「子安塔」

奥の院前の道を南の清閑寺方面へ歩いた先にある、塔頭・泰産寺の三重塔。寛永再興時の再建。高さは15メートルで、仁王門近くにある三重塔の約半分である。元は仁王門下の南側、警備詰所のあたりにあったが、明治44年(1911年)現在地に移築された。

現在工事中だったのでここへは行きませんでしたので前回の写真です。

清水寺
「音羽の滝」

奥の院の建つ崖の下にある、清水寺の寺号の由来である霊水で、3本の筧(かけい)から水が流れ落ちている。

以上で「清水寺」の建造物の大体はご紹介したとは思います。

しかしもっともっと「清水寺」にはいいところが一杯あると思います。

何回も足を運ばないと「清水寺」の本当の素晴らしさはわからないと思います。

出来れば1年に1度は来てみたいです。

この記事を書いている今は2010.4.4です。

きっと桜も見ごろになっているころでしょう。

みなさんも「京都」に行く時はやっぱり「清水寺」には行って見ましょう。

きっと満足されると思います。

以上で2010.3.27 京都府の国宝建造物と彫刻探索の旅は終了です。

今回探索したのは「醍醐寺」「金地院」「南禅寺」、「清水寺」でした。

まだまだ僕の探索記は続きます。

まだまだ見ていない世界遺産と国宝はたくさんあります。

これからもがんばりますのでよろしくおねがいします。

それではまた。

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「清水寺」公式ホームページへ

拝観料 本堂拝観料 大人300円、小・中学生200円(夜の特別拝観料大人400円、小・中学生200円)

駐車場 あります 有料

時間 6:00~18:00(庭の特別拝観は18:30~21:30)


大きな地図で見る






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2010.3.27 京都府の国宝建造物と彫刻探索の旅 
醍醐寺 金地院 南禅寺 清水寺

2008.4.12の清水寺探索記へ

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コメント

こんばんは!
また寄らせていただいてます。
清水寺は何度行ってもいいですね。
ブログには、いろいろな情報が載っているので、まだ行っていない、京都観光の参考にさせていただきますね。
ウクレレさんコメントありがとうございました。
お返事遅れて申し訳ありません。
ウクレレさんのブログも大変素敵です。
また寄らせて頂きたいと思っています。
今日はお寄り下さって有難うございます。
貴方のように地図から説明も丁寧には出来ませんが ポチポチやっています。

本堂全体が見えるところは何処なのかな?
いつも思っているのですが・・
やはり「阿弥陀堂」の前から見た「本堂」が一番ではないでしょうか。

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2009.12.26
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2009.12.26
2010.10.23



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2008.2.24
2010.10.23
2011.3.19

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2008.2.24
2009.11.8
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2008.3.8
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2009.12.12(1)(2)(3)(4)
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2008.3.2
2010.4.29(1)(2)



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