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世界遺産 古都奈良の文化財その一 興福寺(こうふくじ)の国宝と地図

まずは興福寺の風景を動画でご覧ください!




2008.2.24 雪化粧された世界文化遺産 古都奈良の文化財を探索に行った。
その様子を何回かに分けて書いていこうと思います。
まず第一回目は「興福寺」について書きます。

世界遺産「古都奈良の文化財」とは

世界遺産登録理由
奈良市内に点在する寺社等の総称で、東大寺興福寺春日大社元興寺薬師寺唐招提寺平城宮跡春日山原始林からなる。日本建築と日本美術の進化のひときわ優れた証拠性を有し、それらは中国と朝鮮との文化的つながりの結果であり、後世の発展に重要な影響を与えることになったことなどをはじめ、世界的に見ても高い文化的価値を有するとして、1998年に世界文化遺産に登録されました。

近鉄奈良駅を降りて一番近くにあるのが興福寺です。
若草山に向かって歩いていくと右手に興福寺があります。
境内に入っていくと綺麗に雪化粧された国宝 「五重塔」が目に入ってきました。
興福寺
国宝「興福寺五重塔」

国宝「興福寺五重塔」(こうふくじごじゅうのとう)
応永33(1426)
三間五重塔婆、本瓦葺
五重塔は天平2年(730年)、光明皇后の発願で創建された。現存の塔は応永33年(1426年)頃の再建でだそうです。高さ50.8メートルで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い。
その姿は雄大でさすがは「国宝」さすがは世界遺産」だって感じでしょうか。

続いてその横に、これまた「国宝東金堂」(写真下)がひっそりとたたずんでいました。
興福寺
国宝「興福寺東金堂」


東福寺 金堂2

パンフレットより

国宝「興福寺東金堂」(こうふくじとうこんどう)
応永22(1425)
桁行七間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺

年東金堂は神亀3年(726年)、聖武天皇が伯母にあたる元正太上天皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊を安置する堂として創建したそうです。治承4年(1180年)の兵火による焼失後、文治3年(1187年)、興福寺の僧兵は飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)講堂本尊の薬師三尊像を強奪してきて、東金堂本尊に据えたそうです。東金堂はその後応永18年(1411年)に五重塔とともに焼け、現在の建物は応永22年(1415年)の再建である。室町時代の建築であるが、規模、形式ともに天平時代の堂に準じている。堂内には以下の諸仏を安置しています。
*維摩居士(ゆいまこじ)坐像(国宝)
*文殊菩薩坐像(国宝)
*四天王立像(国宝)
*十二神将立像(国宝)
*薬師三尊像(重文)

2010に創建1300年を迎える興福寺。
さらに奥へと足を進めるとまだまだたくさんの美しい建物が境内を飾っていました。
興福寺 地図

パンフレットより






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興福寺について
ウィキペディア(Wikipedia)より
興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。南円堂は西国三十三箇所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。

歴史

創建

藤原鎌足夫人の鏡大王が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、天智天皇8年(669年)山背国山階(現京都府京都市山科区)に創建した山階寺(やましなでら)が当寺の起源である。壬申の乱のあった天武天皇元年(672年)、山階寺は藤原京に移り、地名の高市郡厩坂をとって厩坂寺(うまやさかでら)と称した。

和銅3年(710年)の平城遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けた。この710年が実質的な興福寺の創建年といえる。中金堂の建築は平城遷都後まもなく開始されたものと見られる。

その後も、天皇や皇后、また藤原家によって堂塔が建てられ整備が進められた。不比等が没した養老4年(720年)には「造興福寺仏殿司」という役所が設けられ、元来、藤原氏の私寺である興福寺の造営は国家の手で進められるようになった。

南都北嶺

興福寺は奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、特に摂関家藤原北家との関係が深かったために手厚く保護された。平安時代には春日社の実権をもち、大和国一国の荘園のほとんどを領して事実上の同国の国主となった。その勢力の強大さは、比叡山延暦寺とともに「南都北嶺」(なんとほくれい)と称された。寺の周辺には塔頭と称する多くの付属寺院が建てられ、最盛期には百か院以上を数えたが、中でも天禄元年(970年)定昭の創立した一乗院と寛治元年(1087年)隆禅の創立した大乗院は皇族・摂関家の子弟が入寺する門跡寺院として栄えた。

鎌倉・室町時代の武士の時代になっても大和武士と僧兵等を擁し強大な力を持っていたため、幕府は守護を置くことができなかった。よって大和国は実質的に興福寺の支配下にあり続けた。安土桃山時代に至って織豊政権に屈し、文禄4年(1595年)の検地では、春日社興福寺合体の知行として2万1000余石とされた。

平重衡の兵火による焼失

興福寺は、創建以来たびたび火災に見まわれたが、その都度再建を繰り返してきた。中でも治承4年(1180年)、源平合戦の最中に行われた平重衡の南都焼討による被害は甚大で、東大寺とともに大半の伽藍が焼失した。 この時、興福寺再興に奔走したのは焼失直後に別当職に就いた信円と解脱上人貞慶であった。現存の興福寺の建物はすべてこの火災以後のものである。なお仏像をはじめとする寺宝類も多数が焼失したため、現存するものはこの火災以後の鎌倉復興期に制作されたものが多い。興福寺を拠点とした運慶ら慶派仏師の手になる仏像もこの時期に数多く作られている。

江戸時代の享保2年(1717年)の火災の時は、時代背景の変化もあって大規模な復興はなされず、この時焼けた西金堂、講堂、南大門などは再建されなかった。

廃仏毀釈による破壊

江戸時代は21000石の朱印を与えられ保護された興福寺だが、明治元年(1868年)に出された神仏分離令は、全国に廃仏毀釈の嵐を巻き起こし、春日社と一体の信仰が行われていた興福寺は大きな打撃をこうむった。子院はすべて廃止、寺領は没収され、僧は春日社の神職となり、境内は塀が取り払われ、樹木が植えられて、奈良公園の一部となってしまった。一時は廃寺同然となり、五重塔、三重塔さえ売りに出る始末だった(さすがに買い手はつかなかった。この件は廃仏毀釈の行き過ぎぶりを語るときによく引用される)。それにさきがけ、興福寺別当だった一乗院および大乗院の門主は奈良華族として還俗させられていた。

行き過ぎた廃仏政策が反省されだした1881年(明治14年)、ようやく興福寺の再興が許可された。1897年(明治30年)、文化財保護法の前身である「古社寺保存法」が公布されると、興福寺の諸堂塔も修理が行われ、徐々に寺観が整備されて現代に至っている。 しかし、寺に塀が無く公園の中に寺院がある状態、所謂「信仰の動線」が欠落していると称される状態は、この時の名残である。

現在

1998年に世界遺産に登録され、1999年から日本国の史跡整備保存事業として、発掘調査が進められている。
中金堂再建中。南大門再建計画中。

伽藍と文化財

かつての興福寺には中金堂(ちゅうこんどう)、東金堂(とうこんどう)、西金堂(さいこんどう)の3つの金堂があり、それぞれに多くの仏像が安置されていた。寺の中心部には南から北に南大門、中門、中金堂、講堂が一直線に並び、境内東側には南から五重塔、東金堂、食堂(じきどう)が、境内西側には南から南円堂、西金堂、北円堂が建っていた。この他、境内南西隅の一段低い土地に三重塔が、境内南東部には大湯屋がそれぞれ建てられた。これらの堂宇は、創建以来たびたび火災に見舞われ、焼失と再建を繰り返してきた。明治期以降、興福寺の境内は奈良公園の一部と化し、寺域を区切っていた塀や南大門もなくなり、天平時代の整然とした伽藍配置を想像することは困難になっている。

中金堂

中金堂は藤原鎌足発願の釈迦三尊像を安置するための、寺の中心的な堂として和銅3年(710年)の平城京遷都直後に造営が始められたと推定される。のちに東金堂・西金堂が建てられてからは中金堂と呼ばれている。創建以来たびたび焼失と再建を繰り返したが、江戸時代の享保2年(1717年)の火災による焼失後は1世紀以上再建されず、文政2年(1819年)、篤志家の寄付によってようやく再建された。この文政再建の堂は仮堂で、規模も従前の堂より一回り以上小さかったが、興福寺国宝館の開館(1959年)までは、高さ5.2メートルの千手観音像をはじめ、現在興福寺国宝館で見られる仏像の多くを堂内に安置していた。また、朱色に塗られていたため「赤堂」として親しまれていた。あくまで仮の堂として建てられたため、長年の使用に不向きである安価なマツ材が使用され、瓦も安物が使われたために経年による雨漏りがひどく、1974年に中金堂裏側の講堂跡に仮金堂(奈良・薬師寺の旧金堂を、大改造により外観を変えて移築したもの)が建てられ、本尊などはそちらに移された。文政再建の仮堂の中金堂は老朽化のため移築再利用も不可能と判断され、一部の再利用できる木材を残して2000年に解体されている。なお、仮金堂解体後の発掘調査も終了し、創建1,300年の2010年着工、2015年完成をめざし、創建当初の姿を再現した新・中金堂の建設と境内の整備が進められている。

仮金堂内には興福寺の本尊である釈迦如来坐像(江戸時代の再興)のほか、以下の諸仏を安置する。
木造薬王菩薩・薬上菩薩立像(重文)-像高3.6メートルの巨像。現在は中金堂本尊釈迦如来像の両脇に安置されるが、本来は廃絶した西金堂本尊・釈迦如来像の脇侍として、鎌倉時代の建仁2年(1202年)造立されたもの。
木造四天王立像(重文)-もと南円堂にあったもの。鎌倉時代、運慶の父・康慶一門の作。

2009年に開催された「お堂で見る阿修羅展」では、仮金堂内安置仏に加えて阿修羅を含む八部衆と十大弟子像が一堂に安置された。

西金堂跡

天平6年(734年)、光明皇后が母・橘三千代の一周忌に際し、釈迦三尊を安置する堂として創建した。平安時代から鎌倉時代にかけて、3度被災したがその都度再建された。その後江戸時代の享保2年(1717年)の火災による焼失後は現在まで再建されていない。釈迦如来(体部は焼失し頭部のみ国宝館に安置、伝運慶作)、両脇待(薬王、薬上菩薩、中金堂に両脇待として安置)、梵天帝釈天(明治時代に流出しサンフランシスコアジア美術館蔵、奈良時代)、十大弟子(うち六体が国宝館などに安置、奈良時代)、八部衆(国宝館安置、奈良時代)、金剛力士像(国宝館安置、鎌倉時代)、四天王(所在不明)、華原磐(国宝館安置、奈良時代)などが安置されていた。

大湯屋

五重塔の東方に建つ。五重塔と同じく応永33年(1426年)頃の再建。

菩提院大御堂

五重塔の南、三条通りを渡ったところに建つ、興福寺の子院である。現在の堂は天正8年(1580年)の再建で、本尊阿弥陀如来坐像(重文)などを安置する。

本坊

境内東方に位置する。一般には公開されていない。
木造聖観音立像(重文) - 本坊持仏堂(大圓堂)本尊。鎌倉時代の作。一般には公開されていないが、1997年東京国立博物館で開催された「興福寺国宝展」で初めて公開されたほか、2007年10月20日 - 11月25日に寺内で初めて公開。寺伝では聖観音像とされているが、像内納入文書によれば、本来は弥勒菩薩像として、建長5年(1253年)に仏師快円によって作られたものである。


国宝館

国宝館は旧・食堂(じきどう)の跡地に建てられた文化財収蔵・展示施設で、1959年に完成した。鉄筋コンクリート造だが、外観は旧・食堂を模した寺院建築風である。食堂は1874年(明治7年)、廃仏毀釈のあおりで興福寺が荒廃していた時代に取り壊されている。内部にはもと食堂本尊の千手観音の巨像(高さ5.2メートル)が中央に安置され、仏像をはじめとする多くの寺宝が展示されている。2010年3月にリニューアルオープンし、従前に比べ展示点数が増えたほか、文化財に与える悪影響が少ないLED照明が採用されたことにより、多くの仏像がガラスケースなしで見られるようになった。現館長は金子啓明。



ここで僕の大好きな国宝のご紹介。
興福寺で大変驚いたのはなんといっても国宝がすごくいっぱいあるところでした。
国宝26件重文44件
特に国宝彫刻は17件でわが国の国宝彫刻の14%を占めるというすごさ!
建造物
*東金堂 
*五重塔 
*北円堂 
*三重塔 
彫刻
*文殊菩薩坐像(東金堂) 
*維摩居士坐像 定慶作(東金堂) 
*四天王立像(東金堂) 
*十二神将立像(東金堂) 
*弥勒仏坐像 運慶作(北円堂) 
*無著・世親立像 運慶作(北円堂) 
*四天王立像(北円堂) 
*不空羂索観音坐像 康慶作(南円堂) 
*四天王立像(南円堂) 
*八部衆立像 8躯(国宝館・旧西金堂) 
*十大弟子立像 6躯(国宝館・旧西金堂) 
*金剛力士立像 2躯(国宝館・旧西金堂) 
*天燈鬼・龍燈鬼立像(国宝館・旧西金堂) 
*法相六祖坐像 6躯 康慶作(国宝館・旧南円堂) 
*十二神将像(国宝館・旧東金堂) 
*仏頭(国宝館・旧東金堂) 
*千手観音立像(附:像内納入品)(国宝館・旧食堂) 
その他
*金銅燈篭 
*梵鐘 
*華原磬 
*日本霊異記上巻 
*興福寺金堂鎮壇具
仏頭

須菩薩像

興福寺 像

興福寺 像2

パンフレットより


どうですかこの数!これだけでも興福寺がいかにすごいかおわかりでしょ?
全てをみる事は出来ないと思いますが、国宝館という建物にたくさん展示されていました。
まさに宝の宝庫ですよ!
国宝を含む数多くの文化財が安置されていますよ。
しかし国宝って本当はまったくオーラが無いというか「これが国宝?」っていうものが多かったです。本当に価値があるものというのは僕みたいな凡人にはわからないものです。
というかそれだけ歴史があり、災難を乗り越え現在も存在しているということが価値なのだと思います。

興福寺
国宝「興福寺北円堂」

国宝「興福寺北円堂」(こうふくじほくえんどう)
承元4(1210)年
八角円堂、一重、本瓦葺
北円堂は養老5年(721年)、藤原不比等の一周忌に際し、元明上皇、元正天皇の両女帝が長屋王に命じて創建させたものだそうです。現在の建物は承元2年(1208年)頃の再建で、興福寺に現存している建物の中では最も古い建物になるそうです。法隆寺夢殿と同様、平面が八角形の「八角円堂」であるそうです。

興福寺
国宝「興福寺三重塔」

国宝「興福寺三重塔」(こうふくじさんじゅうのとう)
鎌倉前期
三間三重塔婆、本瓦葺
時間をかけて探索した僕の興福寺で一番のおすすめは、国宝「三重塔」でしょうか。
北円堂と並んで興福寺で最古の建物だそうです。
境内よりちょっと低いところにひっそりと建っていて趣のある建物ですよ!
康治2年(1143年)、崇徳天皇の中宮・皇嘉門院により創建され現在の塔は治承4年(1180年)の大火後まもなく再建された鎌倉建築だそうです。

あと 「国宝館」もおすすめです。

とにかく一言では語りつくせないという表現があてはまる「興福寺」でした。
見所もありすぎるほどあります。
ぼくが行ったのは午前9時頃でした。ほとんど人もまばらで、し~んと静まり返った中に立ち並ぶ建物は言葉では表現できない風景でした。

とにかく百聞は一見にしかず貴方も一度興福寺へ行ってみてはいかがでしょうか?

次回は世界遺産「東大寺」について書いてみたいと思います。

「興福寺」公式ホームページへ

拝観料 国宝館 大人 大学 500円 高校 中学 400円 小学150円
    東金堂 拝観料大人 大学 300円 高校 中学 200円 小学100円


大きな地図で見る


2008.2.24 奈良県の国宝建造物と彫刻探索の旅
興福寺 東大寺(1) 東大寺(2) 春日大社 元興寺 薬師寺 唐招提寺 

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奈良県には国宝建造物64件国宝彫刻70件があります 
奈良のお寺・神社一覧(178件)

奈良公園周辺

興福寺
2008.2.24
2009.12.26
2010.10.23

東大寺
2008.2.24(1)(2)
2009.12.26
2010.4.11
2010.12.16
2011.3.4
2011.4.9
2011.8.15
2012.1.14

正倉院

春日大社
2008.2.24
2010.12.16
2011.8.15

元興寺
2008.2.24
2012.1.14

平城宮跡
2009.12.26
2010.5.1

春日山原始林

平城京左京三条二坊宮跡庭園

新薬師寺

十輪院
2008.3.8
2012.1.14

奈良国立博物館
2009.12.26
2010.10.23



奈良南西部及び西の京
佐保、佐紀路辺り


薬師寺
2008.2.24
2010.10.23
2011.3.19

唐招提寺
2008.2.24
2009.11.8
2010.6.5(1)(2)

秋篠寺

般若寺

法華寺
2008.3.8
2010.3.22

海龍王寺


旧柳生街道

円成寺


天理市

石上神宮


奈良市西部

長弓寺

霊山寺


斑鳩の里

法隆寺 
2008.3.2(1)(2)(3)(4)
2009.12.12(1)(2)(3)(4)
2010.3.13
2010.3.22
2010.4.11

法起寺

中宮寺


葛城市

当麻寺
2008.3.2
2010.4.29(1)(2)



飛鳥 桜井

岡寺

聖林寺

長谷寺
2008.3.2
2011.4.29

安倍文殊院new


宇陀市

室生寺

宇太水分神社


五條市

栄山寺


吉野

金峯山寺
2008.3.16
2010.10.16

吉野水分神社

赤字は世界遺産
亀吉の探索済みの滋賀県の世界遺産と国宝スポット
滋賀県には国宝建造物22件国宝彫刻4件があります


大津市

石山寺

園城寺 
2008.4.12
2010.8.7
2011.10.29

日吉大社

延暦寺


野洲市

御上神社

大笹原神社


蒲生郡

苗村神社


彦根市

彦根城


長浜市

渡岸寺(向源寺)

竹生島 宝厳寺と都久夫須麻神社


犬上郡

西明寺


愛知郡

金剛輪寺


湖南市

善水寺

常楽寺

長寿寺

赤字は世界遺産
亀吉の探索済みの和歌山県の世界遺産と国宝スポット
和歌山県には国宝建造物7件国宝彫刻5件があります


高野山

金剛峰寺
2008.5.4(1)(2)
2011.10.20(1)(2)(3)(4)(5)

金剛三昧院
2008.5.4
2011.10.20

慈尊院と丹生官省符神社と丹生都比売神社
2008.5.4
2011.10.20


岩出市

根来寺


海南市

善福院

長保寺


日高郡

道成寺

赤字は世界遺産

亀吉の探索済みの兵庫県の世界遺産と国宝スポット
兵庫県には国宝建造物11件国宝彫刻1件があります

姫路市

姫路城


神戸市

太山寺
加古川市

鶴林寺
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加東市

朝光寺

赤字は世界遺産
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大阪府には国宝建造物5件国宝彫刻4件があります


大阪市

住吉大社
2008.3.22
2011.10.1


藤井寺市

葛井寺
2008.3.30
2010.4.18

道明寺
2008.3.30
2010.4.18


河内長野市

観心寺
2008.3.30
2010.4.18


堺市

桜井神社


貝塚市

孝恩寺


泉佐野市

慈眼院


交野市

獅子窟寺


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