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唐招提寺(とうしょうだいじ)の国宝「鑑真和上坐像」開帳その一

まずは「唐招提寺」の様子を動画ででご覧下さい!




2010.6.5 奈良県の「唐招提寺」に行ってきました。

今回の目的は、毎年6月5~7日にだけ開帳される国宝「鑑真和上坐像」を見に行くことです。

前回2009.11.8に解体修理が終わった直後の国宝「唐招提寺金堂」を見に行って以来3度目の「唐招提寺」になります。

今回は愛車「ホンダ TODAY 50cc」での探索です。

午前8時過ぎに自宅を出発して「唐招提寺」には9時前に着きました。

しかし僕ははっきり言ってなめてました。

「まあ人は多いやろな」とは思ってましたけど、すでに9時前には長蛇の列が出来ていました。

唐招提寺
国宝「唐招提寺金堂」(とうしょうだいじこんどう)




唐招提寺について
ウィキペディア(Wikipedia)より
唐招提寺は、南都六宗の一つである律宗の総本山で本尊は廬舎那仏
開基(創立者)は社会の教科書でおなじみの鑑真。
唐招提寺は唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、故・新田部親王の旧宅跡を朝廷から譲り受け、寺としたものだそうです。
金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により、完成したといわれます。
「続日本」』等によれば、唐招提寺は唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、新田部親王(にいたべしんのう、天武天皇第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲り受け、寺としたものです。寺名の「招提」は、サンスクリット由来の中国語で、元来は「四方」「広い」などの意味を表わす語であったが、「寺」「院」「精舎」「蘭若」などと同様、仏教寺院(私寺)を指す一般名詞として使われていました。つまり、唐招提寺という寺号は、「唐僧鑑真和上のための寺」という意味合いです。
遣唐使船に同乗し、琉球を経て天平勝宝5年(753年)12月、薩摩に上陸した鑑真は、翌天平勝宝6年(754年)2月、ようやく難波津(大阪)に上陸しました。同年4月、東大寺大仏殿前で、聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇らに菩薩戒を授け、沙弥、僧に具足戒を授けました。鑑真は日本で過ごした晩年の10年間のうち、前半5年間を東大寺唐禅院に住した後、天平宝字3年(759年)、前述のように、今の唐招提寺の地を与えられました。大僧都に任じられ、後に大和上の尊称を贈られた鑑真は、天平宝字7年(763年)5月、波乱の生涯を日本で閉じました。数え年76でした。
唐招提寺の寺地は平城京の右京五条二坊に位置した新田部親王邸跡地で、広さは4町でした。境内の発掘調査の結果、新田部親王邸と思われる前身建物跡が検出されています。また、境内から出土した古瓦のうち、単純な幾何学文の瓦(重圏文軒丸瓦と重弧文軒平瓦の組み合わせ)は、新田部親王邸のものと推定されています。寺内に現存する2棟の校倉造倉庫のうち、経蔵は新田部親王宅の倉庫を改造したものと思われますが、他に新田部親王時代の建物はありません。
「招提寺建立縁起」(「諸寺縁起集」所収)に、寺内の建物の名称とそれらの建物は誰の造営によるものであるかが記されています。それによると、金堂は鑑真の弟子でともに来日した如宝(? - 815年)の造営、食堂(じきどう)は藤原仲麻呂家の施入(寄進)、羂索堂(けんさくどう)は藤原清河家の施入でありました。また、講堂は、平城宮の東朝集殿を移築改造したものでありました。金堂の建立年代には諸説ありますが、おおむね8世紀末と推定され、鑑真の没後に建立されたものです。
伽藍の造営は鑑真の弟子の如宝、孫弟子の豊安(ぶあん)の代にまで引き継がれました。平安時代以後、一時衰退しましたが、鎌倉時代の僧・覚盛(かくじょう、 1193年 - 1249年)によって復興されました。

ここで僕の大好きな国宝をご紹介します。
建造物
*金堂
*講堂
*鼓楼
*経蔵
*宝蔵
彫刻
*鑑真和上坐像(御影堂安置)
*盧舎那仏坐像(金堂安置)
*千手観音立像(金堂安置)
*薬師如来立像(金堂安置)
*梵天・帝釈天 立像(所在金堂)
*四天王立像(所在金堂)
その他
*舎利容器(白瑠璃舎利壺(鑑真和上将来舎利納入)1口、方円彩糸花網1枚、金亀舎利塔1基)
以上



とにかく今年は「平城遷都1300年」ということもあって本当にたくさんの方が奈良に来ていらっしゃいます。

ここ「唐招提寺」もあふれんばかりの人だかりでした。これはもう「金堂」や「講堂」などのほうは後回しで最初にお目当ての国宝「鑑真和上坐像」を見に行かなければと早速「御影堂」へと続く長蛇の列に並ぶことにしました。

門の外から続く長蛇の列に並ぶこと1時間半ぐらいでようやく国宝「鑑真和上坐像」が安置されている「御影堂」まで到着しました。

「ディズニーランド」並みの待ち時間でしたけど、その間「金堂」や自然の木々などをじっくり見ているとまったく疲れを感じることもありませんでした。

逆に「唐招提寺」の風景を細かいところまで目に焼き付けることができました。

唐招提寺
1時間半でようやく受付に到着


唐招提寺
「御影堂」


「御影堂」の中もあふれんばかりの人だかりでした。

そしてようやく「鑑真和上」との初対面です。

唐招提寺
国宝「鑑真和上坐像」
御影堂拝観記念絵はがきより


国宝「鑑真和上坐像」(がんじんわじょうざぞう)
像高80.1センチメートル。伝承によれば鑑真の弟子の忍基が、唐招提寺の講堂の梁が折れる夢を見、師僧の死去が間近いことを知って造らせたものといいます。鑑真が没した天平宝字7年(763年)頃の作と推定され、日本最古の肖像彫刻といわれています。脱活乾漆造だが、膝上で組んだ両手は木製である。肖像彫刻としては異例の、目を閉じた形に表されます。

開け放たれたふすまの奥の部屋の厨子の中に「鑑真和上坐像」はありました。

想像していたものよりかなり小さい像でしたが、写真でみるよりも全然素晴らしい像でした。

というかこの日を待ちに待ってようやくご対面できた感動はひとしおでした。

本当にやっとお会いできましたねという気持ちでした。

あっという間のご対面でしたが並んだ甲斐はありました。

日本に戒律をもたらした素晴らしいお坊さん「鑑真和上」に手を合わせる僕でした。感謝。

あと「東山魁夷」の「御影堂障壁画」も公開されていましたし、お庭も大変綺麗でした。足かけ10年以上にわたり、作者が日本と中国の各地でのスケッチをもとに制作したもので、鑑真に故郷中国と日本の風景を奉納し、御霊を慰めるという趣旨で描かれたものだそうです。

唐招提寺
御影堂 松の間 揚州薫風 東山魁夷画
御影堂拝観記念絵はがきより


唐招提寺
御影堂 上段の間山雲 東山魁夷画
御影堂拝観記念絵はがきより




ここで鑑真和上について
ウィキペディア(Wikipedia)より
鑑真(がんじん、鑒真688年(持統天皇2年) - 763年6 月25日(天平宝字7年5月6日))は、奈良時代の帰化僧。日本における律宗の開祖。俗姓は淳于。

鑑真と戒律
唐の揚州江陽県の生まれ。14歳で智満について出家し、道岸、弘景について、律宗・天台宗を学ぶ。律宗とは、仏教徒、とりわけ僧尼が遵守すべき戒律を伝え研究する宗派ですが、鑑真は四分律に基づく南山律宗の継承者であり、4万人以上の人々に授戒を行ったとされています。揚州の大明寺の住職であった742年、日本から唐に渡った僧栄叡、普照らから戒律を日本へ伝えるよう懇請されました。

仏教では、新たに僧尼となる者は、戒律を遵守することを誓う必要があります。戒律のうち自分で自分に誓うものを「戒」といい、僧尼の間で誓い合うものを「律」といいます。律を誓うには、10人以上の正式の僧尼の前で儀式(これが授戒である)を行う必要があります。これら戒律は仏教の中でも最も重要な事項の一つとされていますが、日本では仏教が伝来した当初は自分で自分に授戒する自誓授戒が行われるなど、授戒の重要性が長らく認識されていなかった。しかし、奈良時代に入ると、戒律の重要性が徐々に認識され始め、授戒の制度を整備する必要性が高まっていた。栄叡と普照は、授戒できる僧10人を招請するため渡唐し、戒律の僧として高名だった鑑真のもとを訪れました。

栄叡と普照の要請を受けた鑑真は、弟子に問いかけたが、誰も渡日を希望する者がいなかった。そこで鑑真自ら渡日することを決意し、それを聞いた弟子 21人も随行することとなった。その後、日本への渡海を5回にわたり試みたがことごとく失敗しました。

日本への渡海
最初の渡海企図は743年夏のことで、このときは、渡海を嫌った弟子が、港の役人へ「日本僧は実は海賊だ」と偽の密告をしたため、日本僧は追放された。鑑真は留め置かれた。

2回目の試みは744年1月、周到な準備の上で出航したが激しい暴風に遭い、一旦、明州の余姚へ戻らざるを得なくなってしまった。

再度、出航を企てたが、鑑真の渡日を惜しむ者の密告により栄叡が逮捕され、3回目も失敗に終わります。

その後、栄叡は病死を装って出獄に成功し、江蘇・浙江からの出航は困難だとして、鑑真一行は福州から出発する計画を立て、福州へ向かった。しかし、この時も鑑真弟子の霊佑が鑑真の安否を気遣って渡航阻止を役人へ訴えた。そのため、官吏に出航を差し止めされ、4回目も失敗する。

748年、栄叡が再び大明寺の鑑真を訪れた。懇願すると、鑑真は5回目の渡日を決意する。6月に出航し、舟山諸島で数ヶ月風待ちした後、11月に日本へ向かい出航したが、激しい暴風に遭い、14日間の漂流の末、遥か南方の海南島へ漂着した。鑑真は当地の大雲寺に1年滞留し、海南島に数々の医薬の知識を伝えた。そのため、現代でも鑑真を顕彰する遺跡が残されています。

751年、鑑真は揚州に戻るため海南島を離れた。その途上、端州の地で栄叡が死去します。動揺した鑑真は広州から天竺へ向かおうとしたが、周囲に慰留された。この揚州までの帰上の間、鑑真は南方の気候や激しい疲労などにより、両眼を失明してしまう(最近の研究では渡日翌年に書かれた手紙が鑑真の直筆の手紙の可能性が高いことから、完全に失明はしていなかったとする説もある)。

752年、必ず渡日を果たす決意をした鑑真のもとに訪れた遣唐使藤原清河らに渡日を約束した。しかし、当時の玄宗皇帝が鑑真の才能を惜しんで渡日を許さなかった。そのために753年に遣唐使が帰日する際、遣唐大使の藤原清河は鑑真の同乗を拒否した。それを聞いた副使の大伴古麻呂は密かに鑑真を乗船させた。11月17日に遣唐使船が出航、ほどなくして暴風が襲い、清河の大使船は南方まで漂流したが、古麻呂の副使船は持ちこたえ、12月20日に薩摩坊津に無事到着し、実に10年の歳月を経て仏舎利を携えた鑑真は宿願の渡日を果たすことができました。

なお、皇帝の反対を押し切ってまで日本に来た理由について、小野勝年は日本からの留学僧の強い招請運動、日本の仏教興隆に対する感銘、戒律流布の処女地で魅力的だったという3点を挙げています。それに対して金治勇は、聖徳太子が南嶽慧思の再誕との説に促されて渡来したと述べています。

日本での戒律の確立
753年(天平勝宝5年)12月26日、鑑真は太宰府観世音寺に隣接する戒壇院で初の授戒を行い、754年(天平勝宝6年)1月には平城京に到着し聖武上皇以下の歓待を受け、孝謙天皇の勅により戒壇の設立と授戒について全面的に一任され、東大寺に住することとなった。4月、鑑真は東大寺大仏殿に戒壇を築き、上皇から僧尼まで400名に菩薩戒を授けた。これが日本の登壇授戒の嚆矢である。併せて、常設の東大寺戒壇院が建立され、その後761年(天平宝字5年)には日本の東西で登壇授戒が可能となるよう、大宰府観世音寺および下野国薬師寺に戒壇が設置され、戒律制度が急速に整備されていった。

758年(天平宝字2年)、淳仁天皇の勅により大和上に任じられ、政治にとらわれる労苦から解放するため僧綱の任が解かれ、自由に戒律を伝えられる配慮がなされた。

759年(天平宝字3年)、新田部親王の旧邸宅跡が与えられ唐招提寺を創建し、戒壇を設置した。鑑真は戒律の他、彫刻や薬草の造詣も深く、日本にこれらの知識も伝えた。また、悲田院を作り貧民救済にも積極的に取り組んだ。

763年(天平宝字7年)唐招提寺で死去(入寂)した。76歳。死去を惜しんだ弟子の忍基は鑑真の彫像(脱活乾漆 彩色 麻布を漆で張り合わせて骨格を作る手法 両手先は木彫)を造り、現代まで唐招提寺に伝わっている(国宝唐招提寺鑑真像)が、これが日本最古の肖像彫刻とされている。また、779年(宝亀10 年)、淡海三船により鑑真の伝記「唐大和上東征伝」が記され、鑑真の事績を知る貴重な史料となっています。



とにかく「鑑真和上」が日本にもたらした功績は大変大きいものだと思います。

僕が唯一尊敬できる中国人です。

そんな「鑑真和上」に思いをはせながら「唐招提寺」の境内をゆっくり見ていくことにしました。

まずは「御影堂」のすぐ東側にある「鑑真和上御廟」に行ってみました。

唐招提寺

ここが「鑑真和上御廟」の入り口です。哀愁漂う石垣がなんともいえません。

唐招提寺

前回来た時よりもコケが青々としてそれはそれは綺麗な風景でした。

唐招提寺

ここに「鑑真和上」はお眠りになっています。

唐招提寺

御廟のすぐ横にある「天平の甍」の石碑です。

「鑑真和上御廟」を後にした僕は「新宝蔵」へ向かいました。

唐招提寺

先ほどの「御影堂」の前には「北原白秋」の「水楢(なら)の柔き嫩葉(わかば)はみ眼にして花よりもなほや白う匂はむ」の句碑があります。

唐招提寺

「東室」へと向かう土塀も哀愁たっぷりです。

唐招提寺

「新宝蔵」です。
ここには天平と鎌倉の鴟尾(しび)や金堂にあった木造大日如来坐像(重要文化財)のほか、「旧講堂木彫仏群」といわれる、もと講堂に仮安置されていた奈良時代末期~平安時代前期の一木彫仏像群が収蔵され、一部が展示されている。鴟尾とは「金堂」の屋根の上の両端のしっぽみたいなやつです。現在の金堂には平成の鴟尾が乗っています。

唐招提寺
平成の鴟尾


実は最近CS放送のヒストリーチャンネルで「唐招提寺スペシャル」という番組を見ました。

1999年の唐招提寺金堂の解体修理の最初から最後までの一部始終を2時間番組計14回に渡って放送していました。

それを見て改めてこの「唐招提寺」の素晴らしさが実感できました。

はっきり言って1200年以上経っている建物を全部ばらばらに解体して元に戻すという作業は並大抵のものではありません。

この工事に携わった人すべての血のにじむような努力の元に「金堂」は蘇ったのです。

今回はそんな「金堂」をじっくり見てみたいという目的もあってここ「唐招提寺」に来ました。

この「平成の鴟尾」を作られた瓦職人の山本さんも平成の職人の意地をかけてこの鴟尾を完成させました。

次回にそんな国宝「唐招提寺金堂」やその他の国宝の話をしたいと思います。

今回はここまでです。

それではまた。


「唐招提寺」公式ホームページへ

拝観料
大人・大学生 600円 高校生 400円 中学生 400円  小学生 200円
特別展は上記拝観料のほかに別途料金がかかります。

駐車場 500円

時間 8時30分~17時


大きな地図で見る


2008.2.24の唐招提寺探索記へ

2009.11.8 国宝「唐招提寺金堂」探索記へ

2010.6.5 国宝「鑑真和上坐像」開帳探索記その一へ

2010.6.5 国宝「鑑真和上坐像」開帳探索記その二へ

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世界遺産と国宝の旅の地図 in関西 唐招提寺(とうしょうだいじ)の国宝「鑑真和上坐像」開帳その一
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2009.12.26
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2008.2.24
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2008.2.24
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