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竹生島(ちくぶじま) 宝厳寺(ほうごんじ)と都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)の国宝と地図

まずは「竹生島」の様子を動画でご覧ください。




2010.8.7 滋賀県の国宝建造物と彫刻探索の旅の続きをご紹介します。

渡岸寺(向源寺)を後にした僕は次の目的地「竹生島」に向うため「長浜港」へと車を走らせました。

「竹生島」は琵琶湖に浮かぶ島です。

船でしか行くことが出来ません。

このブログ始まって以来初の船になります。

この「竹生島」には僕のお目当ての国宝が2件もあります。

国宝「都久夫須麻神社本殿」と国宝「宝厳寺唐門」です。

9時半頃に「長浜港」に到着しました。

駐車場に車を止めると係りの人が「次は10時15分です」と教えてくれました。

竹生島
「長浜港」

時間もあるしとにかく暑いので待合室のクーラーの効いた所で「高校野球」の開会式をテレビで見ながらしばし休憩しました。

「長浜港」と「竹生島」の往復乗船券は2980円でした。

時間になりいざ乗船。

「竹生島」までは約30分ぐらいの船の旅です。

琵琶湖にはバス釣りで何回も来ていますがやはり綺麗ですし大きいです。

船も綺麗でクーラーも効いていたしとっても快適でした。

琵琶湖から見る北近江の風景を楽しみながら船はいよいよ「竹生島」に到着です。

竹生島
「竹生島」


竹生島
船着場



竹生島について
ウィキペディアより
竹生島(ちくぶしま)は、琵琶湖の北部に浮かぶ島。琵琶湖国定公園特別保護地区、国の名勝および史跡に指定されています。
古来、信仰の対象となった島で、神の棲む島とも言われます。南部には都久夫須麻神社(竹生島神社)、宝厳寺(西国三十三箇所三十番)があります。竹生島神社は、明治の神仏分離令に際して弁才天社から改称しました。竹生島は神仏一体の聖地であったことから、分離の際には少なからず混乱があったようです。ちなみに、竹生島弁才天は相模の江島神社、安芸の厳島神社と並んで日本三大弁天のひとつに数えられます。


都久夫須麻神社について
ウィキペディアより
都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)は滋賀県長浜市の竹生島にある神社。竹生島神社(ちくぶじまじんじゃ)とも。式内社で、旧社格は県社。

江戸時代までは神仏習合であり、隣接する宝厳寺と一体化していました。
社伝では、雄略天皇3年(420年)に浅井姫命を祀る小祠が作られたのに始まると伝えます。「近江国風土記」には、夷服岳(伊吹山)の多多美比古命が姪にあたる浅井岳(金糞岳)の浅井姫命と高さ比べをし、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を斬ったところ、湖に落ちた首が竹生島になったという記述があります。一説には首が沈む時に「都布都布(つふつふ)」という音がしたので「都布失島」という名前になったとも、最初に生えたのが竹であったことから「竹生島」という名前になったともいいます。

神亀元年(724年)、聖武天皇の夢に天照大神が現れ、「琵琶湖に小島があり、そこは弁財天(弁才天)の聖地であるから寺院を建立せよ」との神託があったので、行基を勅使として竹生島に遣わし寺院を開基させました。行基は弁財天の像を彫刻して本尊としました。延喜式神名帳では小社に列します。

中世ごろから、比叡山の影響のもとに神仏習合が進み、弁財天を本地仏とし、「日本三大弁財天」の一つと称されるようになりました。日本最古の弁財天、弁財天の発祥地とも言われます。

明治に入り、明治新政府は神仏分離令を出した。これに基づき大津県庁は宝厳寺を廃寺にして神社とし、延喜式神名帳に見える「都久夫須麻神社」と称するよう命じました。日本全国の崇敬者の強い要望により宝厳寺の廃寺は免れて寺院と神社の両方が並存することとなりました。明治7年(1874年)に都久夫須麻神社と宝厳寺の境界が決められ、明治16年(1883年)に両者の財産が区別されました。以降、都久夫須麻神社と宝厳寺は別の法人となっていますが、今日でも都久夫須麻神社の本殿と宝厳寺の観音堂は舟廊下で直接連絡しており、両者は不可分のものとなっています。


宝厳寺について
ウィキペディアより
宝厳寺(ほうごんじ)は、滋賀県長浜市の竹生島(ちくぶしま)にある真言宗豊山派(ぶざんは)のお寺です。山号を巌金山(がんこんさん)。本尊は弁才天(観音堂本尊は千手観音)、開基は行基とされます。西国三十三箇所観音霊場の第30番札所です。観音霊場であるとともに、弁才天信仰の聖地でもあり、日本三大弁才天の1つにも数えられています(他の2つは厳島神社と江島神社とされている)。

琵琶湖の北端近くに浮かぶ竹生島(ちくぶしま)に位置する。竹生島は周囲2キロメートル、面積0.14平方キロメートルほどの小島で、島の周囲は南東部にある船着き場を除いてほとんどが急な断崖になっています。島には宝厳寺と都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)の他にはみやげ物店が数軒あるだけで、文字通り信仰の島です。現在は宝厳寺と都久夫須麻神社という「寺」と「神社」に分かれていますが、このように区別されるようになったのは、明治時代初期の神仏分離令以降のことであり、竹生島では平安時代から近世まで神仏習合の信仰が行われていた。延喜式神名帳には、近江国浅井郡の社として都久夫須麻神社の名があり、祭神は浅井姫命(あざいひめのみこと)とされていました。浅井姫命は、浅井氏の氏神とも言われ、湖水を支配する神とも言われますが、平安時代末期頃から、この神は仏教の弁才天(元来はインド起源の河神)と同一視されるようになったようです。近世には宝厳寺は観音と弁才天の霊場として栄える一方で、都久夫須麻神社は宝厳寺と一体化し、寺と神社の区別はなくなっていました。

宝厳寺は奈良時代、聖武天皇の命により、僧・行基が開創したとされています。行基は出身地の河内国(大阪府南部)を中心に多くの寺を建て、架橋、治水灌漑などの社会事業にも尽くし、民衆の絶大な支持を得ていたとされる僧であり、近畿一円に行基開創を伝える寺院は多い。宝厳寺の寺伝によれば神亀元年(724年)、行基が竹生島を訪れ、弁才天を祀ったのが起源とされていますが、承平元年(931年)成立の「竹生島縁起」には、行基の来島は天平10年(738年)で、小堂を建てて四天王を祀ったのが始まりといいます。同縁起によれば、天平勝宝5年(753年)、近江国浅井郡大領の浅井直馬養(あざいのあたいうまかい)という人物が、千手観音を造立して安置したとあります。当初は竹生島大神宮寺と称し、東大寺の支配下にあったが、平安時代前期、10世紀頃から近江国の他の多くの寺院同様、比叡山延暦寺の傘下に入り、天台寺院となりました。以降、島は天台宗の僧の修行の場となりました。また、平安時代末期頃からは観音と弁才天信仰の島として栄えました。

中世以降、貞永元年(1232年)、享徳3年(1454年)、永禄元年(1558年)などに大火があったが、その都度復興しています。永禄元年の大火後、慶長7年-8年(1602-1603年)、豊臣秀頼が片桐且元に命じて伽藍を復興しています。この際復興されたのが唐門、渡廊、観音堂、ならびに弁才天社(現・都久夫須麻神社本殿)です。中でも唐門と都久夫須麻神社本殿は、豊国廟(京都東山にあった豊臣秀吉の霊廟)または伏見城の遺構を移築したものといわれます。

明治の神仏分離の際、時の政府は弁才天社を平安時代の『延喜式』に見える「都久夫須麻神社」という社名に変更することを強要し、仏教寺院としての宝厳寺は廃寺の危機を迎えるが、寺側は、弁才天は仏教の仏であると主張して譲らなかった。結局、竹生島の信仰施設は宝厳寺と都久夫須麻神社に分離することになり、明治7年(1874年)に「寺」と「神社」の境界が決まり、明治16年(1883年)には寺の財産と神社の財産が区別されて今日に至っている。現状、宝厳寺と都久夫須麻神社は別法人でありますが、宝厳寺観音堂と都久夫須麻神社本殿は渡廊で直接連絡しており、両者はもともと不可分の関係にあることがわかります。



ここで僕の大好きな国宝のご紹介
建造物
*都久夫須麻神社本殿
*宝厳寺唐門

以上



この説明文を読んだだけでもいかにこの「竹生島」が神秘的ですごいとこかおわかりいただけるでしょう。

興味深々で島に上陸しました。

ここ「竹生島」は本当にお土産屋さんが数軒と「宝厳寺」と「都久夫須麻神社」しかありません。

あとは斜面のみの島です。

島自体が信仰されているところなんですね。

早速探索開始です。

竹生島
「琵琶湖周航の唄歌碑」


竹生島

急斜面には階段とお寺があるだけです。

竹生島


竹生島



階段を登っていくと最初に目に入ってくるのが国宝「宝厳寺唐門」です。
竹生島
国宝「宝厳寺唐門」

国宝「宝厳寺唐門」(ほうごんじからもん)
慶長8年(1603)
一間一戸向唐門、檜皮葺
船着き場から急な石段を上り、途中で右に入った位置に建ち、観音堂に接続しています。豊国廟(京都の東山にあった豊臣秀吉の霊廟)の極楽門を移築したものと言われます。極彩色の彫刻と飾金具で飾った華麗な門で、桃山時代の雰囲気を伝えています。

竹生島

上から見ると「唐門」と「観音堂」が隣接して建っているのがよくわかります。

竹生島

内側から見た曲線も大変綺麗で素晴らしかったです。

竹生島

「唐門」の奥にある「観音堂」と「都久夫須麻神社」をつなぐ「舟廊下」です。

竹生島

外から見るとこうなっています。

そしていよいよ「都久夫須麻神社」なんですが、残念。

現在国宝「都久夫須麻神社本殿」は修復作業中です。

ご覧のように参拝はできますが、外観を見ることはできません。

竹生島
国宝「都久夫須麻神社本殿」

国宝「都久夫須麻神社本殿」(つくぶすまじんじゃほんでん)
慶長7年(1602)(身舎)永禄10年(1567)(向拝及び庇)
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、前後軒唐破風造付、
周囲庇及び正面向拝一間付、総檜皮葺
本殿は、関白豊臣秀吉が時の天皇の迎える施設として伏見城内に建設した「日暮御殿」を豊臣秀頼が移建・寄進したもので、内部は狩野永徳、狩野光信の筆と高台寺蒔絵によって黄金色に飾られています。安土桃山時代の文化を伝える建造物として国宝に指定されています。

竹生島


本来の姿は下の写真です。

竹生島
パンフレットより


なんせ国宝ですから、修復作業に出っくわすのはもう慣れっこになりました。

僕なんかが見ることよりも未来のために残すことの方が大切です。

またいつか必ず来ます。

とにかく神様に参拝する僕でした。感謝。

さて、この「都久夫須麻神社本殿」の前の建物から湖側の眼下の鳥居にむかって願い事を書いた皿を投げて見事に鳥居の下をくぐらせることができたら願いがかなうそうですよ。

僕はやりませんでしたけど。よかったらぜひ。

竹生島


さてその他の見所を紹介しましょう。

さらに階段を登っていくと「本堂」(弁才天堂)があります。

竹生島
「本堂」(弁才天堂)

船着き場からの石段を真っ直ぐに上りきった高台に建つ寺内最大の建物。本尊弁才天像を祀ります。1942年に平安時代様式で新築されたもの。

さらに階段を登ると「三重塔」が建っています。

その横には樹齢400年の「もちの木」があります。

この「もちの木」は伏見城から「都久夫須麻神社本殿」等を移築した際に片桐且元が自ら植えたとされているそうです。

竹生島
「三重塔」と「もちの木」

弁才天堂の向かいに建つ。近世に焼失して以降長らく失われていた塔で、2000年に再興されました。

これでほとんどご紹介できたと思います。

「都久夫須麻神社本殿」はきちんと見ることはできませんでしたけど、大変満足できました。

本当に「竹生島」は信仰の島なんだなということがここに来ればわかります。

汚されていないし、決して汚してはいけないところだと思います。

今風に言えばかなりの「パワースポット」だと思いますよ。

ぜひ滋賀にいらした際には「竹生島」に行ってみてください。

以上が「竹生島」の探索記です。

再び舟で「長浜港」に帰りました。

そして今日の最終目的地「園城寺」へと車を走らせる僕でした。

しかしこの続きは次回ということで。

それではまた!


所在地 滋賀県長浜市早崎町
電話番号 090-3729-3747(竹生島奉賛会)
期間 通年
休み 無休(荒天時休)
時間 9:30~15:00(汽船便・季節により異なる)
交通 長浜港から竹生島行き観光船で30分、竹生島港下船すぐ
駐車場 ありません
料金 入島料 大人400円、小学生300円
宝物館入館料 300円
(汽船の料金は乗り場により異なる







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