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薬師寺(やくしじ) 「東塔」(とうとう)特別開扉と地図

まずは薬師寺の様子を動画でご覧ください。




2010.10.23 奈良に国宝探索に行った時の様子をご紹介します。

「奈良国立博物館」
を後にした僕は「近鉄奈良駅」から「西ノ京駅」まで電車に乗りました。

薬師寺


今日の最大の目的は「薬師寺」の国宝「薬師寺東塔」の特別開扉を見ることです。

というのも今年の秋から約10年にわたり「東塔」は解体修理されます。

つまり今見ておかないともう10年ぐらいは姿を拝むことができません。

今日はしっかり「薬師寺東塔」を目に焼き付けて帰りたいと思っています。

薬師寺


薬師寺




まずここ「薬師寺」は世界遺産「古都奈良の文化財」のひとつです。

世界遺産「古都奈良の文化財」とは

世界遺産登録理由
奈良市内に点在する寺社等の総称で、東大寺興福寺春日大社元興寺薬師寺唐招提寺平城宮跡春日山原始林からなる。日本建築と日本美術の進化のひときわ優れた証拠性を有し、それらは中国と朝鮮との文化的つながりの結果であり、後世の発展に重要な影響を与えることになったことなどをはじめ、世界的に見ても高い文化的価値を有するとして、1998年に世界文化遺産に登録されました。


薬師寺について
ウィキペディアより
薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町に所在するお寺であり、興福寺とともに法相宗の大本山です。南都七大寺のひとつに数えられます。本尊は薬師如来、開基は天武天皇です。1998年(平成10年)に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されています。

歴史
薬師寺は天武天皇9年(680年)、天武天皇の発願により、飛鳥の藤原京(奈良県橿原市城殿(きどの)町)の地に造営が開始され、平城遷都後の8世紀初めに現在地の西ノ京に移転したものです。ただし、飛鳥の薬師寺(本薬師寺、北緯34度29分33.88秒東経135度48分0.95秒)の伽藍も10世紀頃までは引き続き存続していたと見られます。

創建
「日本書紀」天武天皇9年(680年)11月12日条には、天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し、百僧を得度(出家)させたとあります。薬師寺東塔の屋上にある相輪支柱に刻まれた「東塔藷b銘」(とうとうさつめい、「さつ」は木扁に「察」)にも同趣旨の記述があります。しかし、天武天皇は寺の完成を見ずに朱鳥元年(686年)没し、伽藍整備は持統天皇、文武天皇の代に引き継がれました。

「東塔藷b銘」には、「清原宮に天の下を統治した天皇(天武)の即位八年、庚辰の歳、中宮(後の持統天皇)の病気のため、この伽藍を創り始めたが、完成しないうちに崩御したので、その意志を継いで、太上天皇(持統)が完成したものである」という意味のことが記されています。ここでいう「天皇即位八年、庚辰之歳」は、「書紀」の「天武天皇9年」と同じ年を指しています。すなわち、「書紀」は天智天皇の没した翌年(壬申年、西暦672年にあたる)を天武天皇元年とするが、天武が正式に即位したのはその翌年(西暦673年にあたる)であり、「天皇即位八年」とは即位の年から数えて8年目という意味です。

持統天皇2年(688年)、薬師寺にて無遮大会(むしゃだいえ)という行事が行われたことが「書紀」に見え、この頃までにはある程度伽藍が整っていたものと思われます。「続日本紀」によれば、文武天皇2年(698年)には寺の造営がほぼ完成し、僧を住まわせています。この創建薬師寺は、藤原京の右京八条三坊の地にありました。大和三山の畝傍山と香久山の中間にあたる橿原市城殿町に寺跡が残り、「本薬師寺(もとやくしじ)跡」として特別史跡に指定されています。

平城移転
その後、和銅3年(710年)の平城京への遷都に際して、薬師寺は飛鳥から平城京の六条大路に面した右京六条二坊(現在地)に移転しました。移転の時期は長和4年(1015年)成立の「薬師寺縁起」が伝えるところによれば養老2年(718年)のことであった。ただし、平城薬師寺境内からは霊亀2年(716年)の記載のある木簡が出土していることから、造営は養老2年よりも若干早くから始まっていたとみられる。「扶桑略記」天平2年(730年)3月29日条に、「始薬師寺東塔立」とあり、東塔(三重塔)が完成したのがその年のことで、その頃まで造営が続いていたものと思われます。

なお、平城京への移転後も、飛鳥の薬師寺(本薬師寺)はしばらく存続していました。史料や発掘調査の結果からは平安時代中期、10世紀ころまでは存続していたようですが、後に廃寺となりました。本薬師寺跡には金堂・東塔の礎石、西塔の心礎が残っています。本薬師寺の伽藍配置は「薬師寺式伽藍配置」と称されるもので、中央に金堂、その手前に中門、背後に講堂を配し、金堂の手前東西に塔を置く。そして、中門左右から出た回廊が講堂の左右に達し、金堂、東西両塔は回廊で囲まれています。この伽藍配置は平城薬師寺においても踏襲されています。本薬師寺、平城薬師寺双方の発掘調査により、両伽藍の建物の規模、位置関係などはほぼ等しく、本薬師寺の伽藍を平城薬師寺に再現しようとしたものであることがわかります。ただし、平城薬師寺では中門の規模が拡大され、回廊も幅が広げられています。

平城京の薬師寺は天禄4年(973年)の火災と享禄元年(1528年)の筒井順興の兵火で多くの建物を失いました。現在、奈良時代の建物は東塔を残すのみです。天禄4年の火災では金堂、東塔、西塔は焼け残ったが、講堂、僧坊、南大門などが焼けました。発掘調査の結果、西僧坊の跡地からは僧たちが使用していたとみられる奈良時代や唐時代の陶磁器が多数出土しており、天禄4年の火災の際に棚から落ちて土中に埋もれたものとみられます。

20世紀半ばまでの薬師寺には、江戸時代後期仮再建(従来は1600年再建説や1676年再建説などもあった)の金堂、講堂が建ち、創建当時の伽藍をしのばせるものは焼け残った東塔だけであった。1960年代以降、名物管長として知られた高田好胤(たかだこういん)が中心となって写経勧進による白鳳伽藍復興事業が進められ、1976年に金堂が再建されたのをはじめ、西塔、中門、回廊の一部、大講堂などが次々と再建されました。なお、入母屋造だった旧金堂は現在興福寺の仮中金堂として移築され、寄棟造に改造され前部の庇が取り払われるなど、外観を大きく変えて現存しています。



ここで僕の大好きな国宝のご紹介
建造物
*東塔
*東院堂
彫刻
*薬師三尊像
*聖観音立像
*僧形八幡神・神功皇后・仲津姫命坐像
その
*麻布著色吉祥天像
*絹本著色慈恩大師像
*仏足石
*仏足跡歌碑
以上



この日の「薬師寺」はたくさんの人がこられていました。

3回か4回目になりますが、今までで一番です。

やはりみんな「東塔」の最後の姿を一目見ようと思ってやって来ているのでしょう。

早速北側の入り口「興楽門」から探索開始です。

受付を済ませ進むとまず右側に「不動堂」があります。

薬師寺
「不動堂」

そして「食堂跡」という小さい看板があります。
薬師寺

このあたりに「食堂」があったということでしょう。今はなにもありません。

そしてその奥に「白鳳伽藍」が広がります。

ここ「薬師寺」は大きく「白鳳伽藍」(はくほうがらん)と「玄奘三蔵院伽藍」(げんじょうさんぞういんがらん)に分けられます。

今僕がいるところは「白鳳伽藍」です。

北側からの順路では手前が「大講堂」になるんですが、それではなんか伽藍の雰囲気が伝わりにくいので反対側の「南大門」側からご紹介していきたいと思います。

薬師寺
「南門」


まずは「南門」です。「薬師寺」の正面玄関といったところでしょうか。

「南門」をくぐりすぐ左手には「手水舎」がありその奥に小さいお社が3つほどあります。

薬師寺

薬師寺

薬師寺


そして「南門」をくぐった右手にもお社があります。

薬師寺
「龍王社」


そして「南門」をくぐった正面に1984年再建の「中門」があり東西に「回廊」が広がります。

薬師寺


そして「中門」にはお約束の「仁王様」がいらっしゃいます。

薬師寺 薬師寺


まだ新しい「仁王様」なんでしょうね。色がカラフルです。

そしていよいよ「中門」をくぐると真正面に「金堂」が建っています。

薬師寺
「金堂」

1976年の再建。奈良時代仏教彫刻の最高傑作の1つとされる本尊薬師三尊像を安置します。

大変綺麗で立派な「金堂」です。

中に安置されているご本尊「薬師如来及び両脇侍像」も本当に素晴らしいです。

薬師寺
国宝「薬師如来及び両脇侍像」

国宝「薬師如来及び両脇侍像」(やくしにょらいおよびりょうわきじぞう)
金堂に安置する、薬師寺の本尊。国宝。奈良時代(7 - 8世紀)の作。国宝指定名称は「銅造薬師如来及び両脇侍像 3躯」。中尊は薬師如来、左脇侍(向かって右)に日光菩薩(にっこうぼさつ)、右脇侍に月光菩薩(がっこうぼさつ)を配しています。像高は薬師如来254.7センチメートル、日光菩薩317.3センチメートル、月光菩薩315.3センチメートル。日本の仏像彫刻が、中国・六朝や唐の影響を受けつつ、独自の古典様式を完成した奈良時代の作品のなかでも最高傑作の1つとして古来名高いものです。

中尊は「東塔藷b銘」に「巍巍蕩蕩(ぎぎとうとう)たり薬師如来、大いに誓願を発し、広く慈哀を運(めぐら)す」とある薬師如来です。「巍巍」とは高い峰のように大きく堂々としている様子、「蕩蕩」は大河のように広くゆったりとした様子で、この表現のとおり、中尊像は男性的な堂々たる像容を表します。両脇侍像は首と腰を軽くひねり、頭部、上半身、下半身がそれぞれ異なった角度を表す「三曲法」と呼ばれるポーズを示します。これはインド・グプタ朝の彫刻様式の影響が、唐時代の中国を経て日本へ伝わったものです。

各像の面貌や体躯は、飛鳥時代彫刻のような観念的表現を離れ、人体の正確な把握に基づいた自然な肉付けがみられます。一方、衣文は深く明瞭に表され、鋭角に切り立った面を構成しています。総じて中国・初唐様式の影響がみられます。

中尊の掌には輪宝を線刻し、足裏には輪宝のほか、指に卍花を刻むなど、吉祥文が表されています。これらは仏の三十二相に基づく表現です。中尊像の台座は宣字座の上に裳を広げた裳懸座です。この宣字座にはギリシャ、ペルシャ、インド、中国などに淵源をもつ葡萄(ぶどう)唐草文、異国風の人物像、四神(青龍、白虎、朱雀、玄武)などの意匠があしらわれています。

制作年代については、「歴史」の項で述べたように持統天皇2年(688年)無遮大会実施までには完成していたとする説、「日本書紀」に持統天皇11 年(697年)、薬師寺にて公卿百寮が仏像を造り開眼法会を行った旨の記録があることから、この時に制作されたとする説、平城京移転後の新造とする説があり、決着をみていません。685年頃の制作である旧山田寺仏頭(現・興福寺蔵)と比較すると、薬師寺像は鋳造技法の点で進歩がみられる。すなわち、山田寺像では鋳造の際に中型と外型のずれを防止するための「型持」と「笄」(釘)がずれてしまっていますが、薬師寺像では「型持」と「笄」を一体化してずれを防止しており、銅厚も一定です。こうした鋳造技法の進歩を制作年代の下降と見る説がある一方で、天皇発願の寺である薬師寺と、私寺である山田寺を同一視はできず、技法の違いは即年代の違いではないとする説もあります。



薬師寺


本当に美しい「三尊像」だと思います。

いろんな「三尊像」を見てきましたが、美しさでは1番ではないでしょうか。

中尊「薬師如来」もさることながら、両脇侍の「日光、月光菩薩」のポーズがたまらなく美しいではありませんか。

家族の健康をお祈りする僕でした。

さて長々と書いてきましたが、本日のメインイベントはなんと言っても「薬師寺東塔」の特別開扉です。

「金堂」を後にした僕は長蛇の列になっている「東塔」へと向かいました。

薬師寺

薬師寺
国宝「薬師寺東塔」

国宝「薬師寺東塔」(やくしじとうとう)
天平2(730)年
三間三重塔婆、毎重もこし付、本瓦葺
現在寺に残る建築のうち、奈良時代(天平年間)にさかのぼる唯一のもの。総高34.1メートル(相輪含む)。日本に現存する江戸時代以前に作られた仏塔としては、東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔に次ぎ、4番目の高さを誇ります。

屋根の出が6か所にあり、一見六重の塔に見えるが、下から1・3・5番目の屋根は裳階(もこし)であり、構造的には三重の塔である。仏塔建築としては他に類例のない意匠を示す。塔の先端部の相輪にある青銅製の水煙(すいえん)には飛天像が透かし彫りされており、奈良時代の高い工芸技術を現代に伝えています。こうした特徴的な姿から、この塔を評してしばしば「凍れる音楽」という評語が使われます。

相輪の中心部の柱の最下部には「東塔藷b銘」(さつめい、「さつ」の漢字は木扁に「察」)と称される銘文が刻まれており、薬師寺の創建と本尊造立の趣旨が漢文で記されています。塔の建築年代については飛鳥の本薬師寺から移築されたとする説と、平城京で新たに建てられたとする説とがあったが、「扶桑略記」の記述のとおり、天平2年(730年)に平城京にて新築されたとする説が有力です。当初、東塔・西塔の初層内部には釈迦八相(釈迦の生涯の8つの主要な出来事)を表した塑像群が安置されていましたが、現在は塑像の断片や木心が別途保管されるのみです。


何分ぐらいならんだでしょうか?

しかしその間ず~っと「東塔」を見られましたので苦痛でもなんでもありませんでした。

そして見れば見るほどに「東塔」の痛み具合がよくわかるのでした。

それはそうでしょう、1300年もここに建ち続けているんですからね。

それはそれは痛々しいほどです。

薬師寺

薬師寺

薬師寺


ようやく「東塔」の初層内部を見ることが出来ました。

鏡が張ってあり、鏡を見れば上部の様子が見えるようになっていました。

見れて本当によかったです。

最初にも書きましたが、「東塔」はこれから10年近く解体修理に入ります。

姿形も変わることでしょう。

ですからこの1300年経った姿を見られるのはこれが最後ということになるんです。

2019年には対を成す「西塔」と同じ姿になって帰ってくるそうです。

薬師寺
「西塔」

東塔と対称的な位置に建つ。旧塔は享禄元年(1528年)に戦災で焼失し、現在ある塔は1981年に伝統様式・技法で再建されたものです。デザインは東塔と似ていますが、東塔が裳階部分を白壁とするのに対し、西塔は同じ箇所に連子窓を設けるなどの違いもある。東塔も元々は連子窓であったが修復で白壁にされました。一見すると東塔に比べ若干高く見えますが、これは1300年の年月の内に、東塔に材木の撓みと基礎の沈下が起きたためであり、再建された西塔はそのような年月の経過を経験していないため、若干高く見えるとのことです。西塔の再建に当たった文化財保存技術者西岡常一によれば、500年後には西塔も東塔と同じ高さに落ち着く計算とのことです。

しっかりと「東塔」の姿を目に焼き付けた僕でした。

2019年にはまた会いに来ます。

その他の建物もご紹介しますと、まず「金堂」の後ろに「大講堂」があります。

薬師寺
「大講堂」

2003年の再建。正面41m、奥行20m、高さ17mあり、伽藍最大の建造物です。本尊の銅造三尊像(重文)は、中尊の像高約267センチの大作だが、制作時期、本来どこにあった像であるかなどについて謎の多い像です。かつては金堂本尊と同様、「薬師三尊」とされていましたが、大講堂の再建後、寺では「弥勒三尊」と称しています。

国宝「仏足石」(ぶっそくせき)と「仏足跡歌碑」(ぶっそくせきかひ)は「大講堂」にあります。

大講堂の横には「鐘楼」があります。
薬師寺


そして「東塔」「東回廊」の外側に国宝「東院堂」が建っています。
薬師寺
国宝「薬師寺東院堂」

国宝「薬師寺東院堂」(やくしじとういんどう)
弘安8(1285)年
桁行七間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺
境内東側、回廊の外に建つ。元明天皇のために皇女の吉備内親王が養老年間(717-724年)に建立した東禅院が前身で、現在の建物は鎌倉時代・弘安8年(1285年)の建築。堂内の厨子に本尊・聖観音立像を安置します。

国宝「聖観音立像」(しょうかんのんりゅうぞう)
像高約189センチ。金堂薬師三尊像と同じく、奈良時代の金銅仏の代表作の1つです。国宝指定名称は「銅造観音菩薩立像」。

こちらの本尊も素晴らしいです。

本当に建物も本尊もひっそりとしたところにあるのに国宝だというところがいいんです。

さて「白鳳伽藍」はほぼご紹介できたと思います。

あとは北側にある「玄奘三蔵院伽藍」をご紹介しておきましょう。

薬師寺

薬師寺

薬師寺

薬師寺


白鳳伽藍の北側にあり、1991年(平成3年)に建てられたもので玄奘三蔵を祀ります。日本画家平山郁夫が30年をかけて制作した、縦2.2メートル、長さが49メートル(13枚の合計)からなる「大唐西域壁画」があります。

この「玄奘三蔵院」の一番奥にある「大唐西域壁画」はそれはそれは素晴らしいですよ。

天井の絵も素晴らしいです。

ぜひご覧になってください。

百聞は一見にしかずです。

以上が「薬師寺」の探索記です。

「東塔」が帰ってくるのは2019年だそうですが、また来たいと思います。

やはりそれほどのお寺だと思います。

ほとんどすべてが、近代の再建の伽藍ですが、形や色は本当に整っていて気持ちがいいです。

それに「金堂」の「薬師三尊像」はやっぱり素晴らしかったです。

何度でもお会いしたくなる仏様です。

とにかく素晴らしい文化財が末永く生きられることを心から願う僕でした。

次の目的地を帰って考えようと思います。

それではまた!

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拝観料
玄奘三蔵院伽藍公開時
大人800円 中学生・高校生700円 小学生300円
玄奘三蔵院伽藍閉鎖時
大人500円 中学生・高校生400円 小学生200円
駐車場 あります 500円


大きな地図で見る


2010.10.23 奈良県の国宝建造物と彫刻探索の旅 
興福寺 奈良国立博物館 薬師寺

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2008.2.24
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2009.11.8
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2009.12.12(1)(2)(3)(4)
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2010.3.22
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2010.4.18


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