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「鹿苑寺」(ろくおんじ)(金閣寺)と地図 2011.2.12

まずは「鹿苑寺」(金閣寺)の動画をご覧下さい。




2011.2.12 京都府の国宝建造物と彫刻探索の旅は続きます。

「慈照寺」(銀閣寺)を後にした僕は再び京都市バスに乗り込みこの日の最終目的地「鹿苑寺」(金閣寺)へと向かいました。

「鹿苑寺」(金閣寺)も2回目の探索になります。

前回来た時も「金閣」の豪華絢爛さに感動しました。

今回は「静の銀閣」と「動の金閣」とでも言いましょうか、まったく違う2つの閣を見比べてみたいと思います。

そんなこんなで「金閣寺道」バス停に到着。

ここからすぐのところに「鹿苑寺」(金閣寺)はあります。

金閣寺


金閣寺


ここ鹿苑寺(金閣寺)は世界遺産「古都京都の文化財」のひとつです。
世界遺産 「古都京都の文化財」について
世界遺産登録理由
京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市に点在する寺社等の総称。具体的には賀茂別雷神社(上賀茂神社)賀茂御祖神社(下鴨神社)教王護国寺(東寺)清水寺延暦寺醍醐寺仁和寺平等院宇治上神社高山寺、西芳寺(苔寺)、天龍寺鹿苑寺(金閣寺)慈照寺(銀閣寺)竜安寺本願寺二条城の 17件。京都は8世紀から17世紀の間、宗教・非宗教建築と庭園設計の進化にとり主要中心地であり、日本の文化的伝統の創出に決定的な役割を果たし、特に庭園は19世紀以降世界の他の地域において意義深い影響を与えたことなどが評価されたもの。



「鹿苑寺」(金閣寺)には僕の大好きな国宝はありません。

しかし庭園は特別名勝・特別史跡に指定されています。

ここで「鹿苑寺」(金閣寺)について
ウィキペディアより
鹿苑寺(ろくおんじ)は、京都市北区にある臨済宗相国寺派のお寺です。寺名は足利義満の法名に因む。山号は北山(ほくざん)。寺紋は五七桐。室町時代前期の北山文化を代表する建築で、1994年(平成6年)に古都京都の文化財として世界遺産に登録されました。中心となる建築物である舎利殿を金閣、寺院全体を金閣寺と通称する。

歴史
この地には、鎌倉時代の1224年(元仁元年)に藤原公経(西園寺公経)が西園寺を建立し、あわせて山荘(「北山第」)を営んでいました。これらは公経の子孫である西園寺家が代々所有していました。同氏は代々朝廷と鎌倉幕府との連絡役である関東申次を務めていましたが、幕府滅亡直後に当主・西園寺公宗が後醍醐天皇を西園寺に招待して暗殺しようと企てたという容疑がかけられて処刑されてしまい、西園寺家の膨大な所領と資産は没収されてしまいます。このため、西園寺も次第に修理が及ばず荒れていきました。

1397年(応永4年)、足利義満が河内国の領地と交換に西園寺を譲り受け、改築と新築によって一新しました。この義満の北山山荘は当時「北山殿」、または「北山第」と呼ばれました。邸宅とは言え、その規模は御所に匹敵し、政治中枢の全てが集約されました。1394年(応永元年)、義満は征夷大将軍を子の義持に譲っていましたが、実権は手放さず、北山殿にあって政務を行っていた。義満が死亡すると義持は北山殿に住んでいた異母弟義嗣を移転させ、自らここに入った。翌年には一部を破却して三条坊門第に入った。その後義満の妻である北山院日野康子の御所となっていましたが、応永19年(1412年)11月に北山院が死亡すると、舎利殿以外の寝殿等は解体され、南禅寺や建仁寺に寄贈されました。また、応永23年(1416年)1月に義満が相国寺から移築した大塔が焼失すると、義持は大塔を本来の所在地である相国寺に再建するように命じています。舎利殿は義満の遺言により禅寺とされ、義満の法号「鹿苑院」から鹿苑寺と名付けられました。夢窓疎石を勧請開山(名目上の開山)としています。

応仁の乱では、西軍の陣となり建築物の多くが焼失しましたが、江戸時代に主要な建物が再建され、舎利殿も1649年(慶安2年)に大修理されました。

明治維新後の廃仏毀釈により、寺領の多くが返上されて経済的基盤を失いましたが、当時の十二世住職貫宗承一により、1894年(明治27年)から庭園及び金閣を一般に公開すると共に拝観料を徴収して寺収入を確保しました。

金閣(舎利殿)は古社寺保存法に基づき1897年(明治30年)12月28日に「特別保護建造物」に指定され、1929年(昭和4年)の国宝保存法施行に伴い(旧)国宝に指定されました。また1904年(明治37年)から1906年(明治39年)に解体修理が行われました。庭園は史蹟名勝天然紀念物保存法(現在の文化財保護法)により、1925年(大正14年)10月8日に史跡・名勝(後に特別史跡・特別名勝)に指定されています。

1950年(昭和25年)7月2日未明、放火により国宝金閣(舎利殿)と安置されていた仏像等を焼失。文部省文化財保護委員会と京都府教育委員会で協議が行われ、国宝指定の解除と金閣再建の援助が決定されました。再建費用として、政府や京都府からの補助金、経済界や全国各地からの寄付金など約3000万円(当時)が集められ、1952年(昭和27年)着工、1955年(昭和30年)竣工。10月10日に落慶法要が営まれ、創建当時の姿に復元されました。

1986年(昭和61年)から1987年(昭和62年)に金閣の「昭和大修復」が行われたほか、平成に入り、夕佳亭・方丈の解体修理も行われています。

1994年(平成6年)12月、世界遺産(文化遺産)古都京都の文化財として登録、現在に至っています。



いよいよ境内へ。

境内へ入るといきなり「金閣」が姿を現します。
金閣寺


金閣寺


金閣寺


金閣寺
「鹿苑寺金閣」


通称「金閣寺」の由来となった金閣は、漆地に金箔を押した三層宝形造の建物で正式には舎利殿と称する(金箔を貼るのは二・三層のみ。ただし最上層のみとする異説もある)。初層・二層・三層のそれぞれに異なる様式を採用した特異な建築です。初層は寝殿造風で「法水院」(ほっすいいん)と称し、中央に宝冠釈迦如来像、向かって左に法体の足利義満坐像を安置します(安置仏像を「阿弥陀如来」とする資料もある)。二層は書院造風(武家造)で「潮音洞」(ちょうおんどう)と称し、岩屋観音坐像と四天王像を安置します。三層は禅宗様の仏殿風で「究竟頂」(くっきょうちょう)と称し、仏舎利を安置します。屋根は椹(さわら)の薄い板を重ねた薯B葺(こけら葺)で、頂上には金銅製の鳳凰が飾られています。

鹿苑寺金閣は国宝保存法により国宝に指定されていましたが、1950年(昭和25年)7月2日未明、学僧・林承賢(当時21歳)の放火により炎上(金閣寺放火事件)。国宝金閣(舎利殿)は全焼、国宝足利義満座像、運慶作の観世音菩薩像、春日仏師作の夢窓疎石像等10体の木像等も焼失しました。なお、頂上にあった鳳凰及び「究竟頂」の額は火災以前に取り外されていたため、焼失を免れて現存し、このうち金銅鳳凰は、1999年(平成11年)に京都市指定文化財に指定されています。林は寺の裏山で自殺を図った。彼の母親は事情聴取のために京都に呼ばれ、その帰りに保津峡で投身自殺しました。この事件は三島由紀夫の小説「金閣寺」、水上勉の小説「五番町夕霧楼」・「金閣炎上」の題材にもなっています。

現在の金閣は、1904年(明治37年)から1906年(明治39年)の解体修理の際に作成された旧建物の詳細な図面や写真・古文書・焼損材等の資料を基に、1952年(昭和27年)から3年を掛けて復原再建されたもので、1955年(昭和30年)10月10日に落慶法要が営まれました。その後、再建から10年あまりで金箔が剥落して下地の黒漆が見えるようになり、その漆も紫外線で劣化するようになったため、1986年(昭和61年)2月から1987年(昭和62年)10月まで1年8ヶ月、総工費約7億4千万円(当時)を投じて「昭和大修復」が行われ、漆の塗り替えや金箔の張り替え、天井画の復元等の修復工事が行われました。この修復工事に際し、金箔は通常(約0.1µm)の5倍の厚さ(約0.45~0.55µm)の「五倍箔」約20万枚(約20kg)、漆は国産の「浄法寺漆」約1.5トンが使用されています。

最上層の天井板は「楠天井の一枚板」であったと伝えられますが、それは誤りであり、複数の板を用いた鏡天井でした。

8代将軍足利義政は祖父の義満が建てた舎利殿に倣い、造営中の東山山荘に観音殿(近世以降銀閣と通称される)を建てました。

銀閣(慈照寺観音殿)、飛雲閣(西本願寺)と併せて「京の三閣」と呼ばれます。

とにかく綺麗だとしかたとえようのない光景です。

ただ金閣が素晴らしいだけでなく、周りのお庭があってこその金閣なんですよね。

日本人でなくてもこの素晴らしさはわかるはずです。

たくさんの外国人が来ていましたがやはりみんな「お~」とか「ビューティフル」とかいう言葉が聞こえてきました。

鹿苑寺(金閣寺)庭園(ろくおんじていえん)
金閣を水面に映す鏡湖池(きょうこち)を中心とする池泉回遊式庭園で、国の特別史跡・特別名勝に指定されています。鏡湖池には葦原島、鶴島、亀島などの島々のほか、畠山石、赤松石、細川石などの奇岩名石が数多く配されている。

金閣寺
鏡湖池(きょうこち)


金閣寺
「葦原島」


池、庭 金閣そして周りの自然全てが一体となって一つの空間を作り出しています。

この点では「慈照寺」(銀閣寺)も同じだと思います。

本当に「センスええなあ」としか言いようがありません。


陸舟(りくしゅう)の松です。
金閣寺
陸舟(りくしゅう)の松

方丈北側にある足利義満手植えと伝えられる松。京都三松の一つ。
後ろに見えるのが「方丈」です。
本堂に相当。単層入母屋造で桟瓦葺。1678年(延宝6年)、後水尾天皇の寄進により再興されました。2005年(平成17年)から解体修理が行われ、2007年(平成19年)に修復工事を終えました。

金閣以外にもいろんな風景で楽しむことが出来る「鹿苑寺」ですよ。

金閣寺
「銀河泉」

足利義満がお茶の水に使ったと伝えられる泉。

金閣寺
厳下水(がんかすい)

足利義満が手洗いに用いたと伝えられる泉。

「慈照寺」には「銀閣寺垣」というものがありましたが、ここ「鹿苑寺」にも「金閣寺垣」がありました。
金閣寺
「金閣寺垣」


金閣寺


金閣寺


金閣寺
夕佳亭(せっかてい)

金森宗和好みと伝えられる茶室。寄棟造茅葺、三畳敷の席に勝手と土間からなる主屋に、切妻造薯B葺で二畳敷の鳳棲楼と呼ばれる上段の間が連なっています。明治初年に焼失したため、現在の建物は1874年(明治7年)に再建されたもの。1997年(平成9年)に解体修理を行っています。なお三畳敷の床柱は茶席としては珍しく南天の木が用いられており、殊によく知られています。

金閣寺
「不動堂」

天正年間に宇喜多秀家が再建したとされ、金閣寺境内に現存する最も古い建物。本尊は弘法大師作と伝えられる石不動明王。

境内を一周すると本当に心が癒されるというか洗われるというか。

言葉はいらないでしょう。

行った事がない方はぜひ一度お越しください。

説明下手な僕のブログごときでは「鹿苑寺」(金閣寺)の良さは伝わらないでしょう。

百聞は一見にしかずです。ぜひ。

以上が「鹿苑寺」(金閣寺)の探索記です。

そしてこの日の京都探索も終了です。

今回は「教王護国寺」(東寺)「東福寺」「慈照寺」(銀閣寺)そして「鹿苑寺」(金閣寺)を探索しました。

やっぱり京都はいいですね。

華やかな「金閣寺」、わびさびの「銀閣寺」、広大な「東福寺」、そして「弘法大師」の「東寺」。

どこもそれぞれになんとも言えない素晴らしさをもつお寺でした。

今日行った全てのお寺に僕は再び行くでしょう。

なぜか?

どこも一度行けばその良さはわかります。

しかし一度や二度で本当の良さが理解できるほど浅いお寺ではないからです。

本当の良さを理解するにはやはり数をかぞえなければならないでしょう。

人生は長いです。

ぼちぼちがんばります。

それよりもまだ見られていない国宝がまだまだあるんですよね。

そちらもどうにかせねばなりません。

今年も一つでも多くの国宝を見に行きたいとおもっています。

それではまた!

「鹿苑寺」(金閣寺)ホームページへ

拝観料 大人400円、小・中学生300円

駐車場 あります 1時間300円(その後30分毎150円)

時間  9:00~17:00


大きな地図で見る






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教王護国寺(東寺)の国宝 2011.2.12 その一

教王護国寺(東寺)の国宝 2011.2.12 その二

教王護国寺(東寺)の国宝 2011.2.12 その三

東福寺の国宝 2011.2.12

慈照寺の国宝 2011.2.12

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世界遺産と国宝の旅の地図 in関西 「鹿苑寺」(ろくおんじ)(金閣寺)と地図 2011.2.12
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