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東大寺修二会(とうだいじしゅにえ)(お水取り)と地図2011.3.4

まずは東大寺修二会(お水取り)の様子を動画でご覧ください。




2011.3.4 「東大寺」の伝統行事「修二会」(お水取り)に行ってきました。

夜7時からということで仕事が終わって速攻で近鉄電車にのり奈良へ向かいました。

なんとか時間に間に合いました。

関西では「お水取りが終わると春がやってくる」といいます。

その「修二会」(お水取り)に一度も行ったことが無かった僕です。

こんなブログを書いているくせに恥ずかしい話です。

「お水取りデビュー」の僕です。

お水取りとは?



東大寺修二会(お水取り)について
ウィキペディアより
修二会(しゅにえ)は、日本の仏教寺院で行われる法会のひとつで、 修二月会ともいいます。

概要
旧暦の二月はインドの正月にあたるので仏への供養を行うといわれていますが、外国には修二会 はなく、本当の起源ははっきりしません。また、修二会という言葉が文献に現れるのは平安時代になってからです。なお、旧暦1月に行われる法会は修正会(しゅしょうえ)といいます。奈良地方の古寺で行われるものが著名で、特に東大寺二月堂の修二会は「お水取り」の通称で知られます。また薬師寺の修二会は「花会式」の通称で知られます。他に法隆寺西円堂で行われるもの、長谷寺で行われるものがあります。いずれの修二会にも共通しているのは、本尊に対する悔過(けか=罪の懺悔告白)であることです。

東大寺修二会(お水取り)
「お水取り」として知られている東大寺の修二会の本行は、かつては旧暦2月1日から15日まで行われてきましたが、今日では新暦の3月1日から14日までの2週間行われます。二月堂の本尊十一面観音に、練行衆と呼ばれる精進潔斎した行者がみずからの過去の罪障を懺悔し、その功徳により興隆仏法、天下泰安、万民豊楽、五穀豊穣などを祈る法要行事が主体である。修二会と呼ばれるようになったのは平安時代で、奈良時代には十一面悔過法(じゅういちめんけかほう)と呼ばれ、これが今も正式名称となっています。関西では「お松明(おたいまつ)」と呼ばれることが多い。

起源
「二月堂縁起」によると、天平勝宝3年(751年)東大寺の開山、良弁僧正(ろうべそうじょう)の弟子の実忠和尚(じっちゅうかしょう)が笠置山の山奥で、天人の住む天界(兜率天 とそつてん)に至り、そこにある常念観音院で天人たちが十一面観音の悔過を行ずるのを見て、これを下界でも行いたいと願いました。しかし兜率天の一日は人間界の四百年にあたるので到底追いつかないと思われました。それで、少しでも兜率天のペースに合わせようと走って行を行うことを思いついたといいます。

初めての東大寺の十一面悔過は天平勝宝4年(752年)に行われたと伝えられます。

練行衆
修二会を行う行者は練行衆と呼ばれる11人の僧侶で、三役や仲間(ちゅうげん)、童子(大人である)と呼ばれる人達がこれを補佐します。「練行衆」の僧侶の任命は毎年、東大寺初代別当良弁僧正の御忌日にあたる12月16日早朝、法要開始前に華厳宗管長から発表されます。

練行衆のうちでも特に四職(ししき)と呼ばれる4人は上席に当る。四職は次の通りです。
* 和上(わじょう) 練行衆に授戒を行う。
* 大導師(だいどうし) 行法の趣旨を述べ、祈願を行う。事実上の総責任者。通称「導師さん」
* 咒師(しゅし) 密教的修法を行う。
* 堂司(どうつかさ)行事の進行と庶務的な仕事を行う。通称「お司」

これ以外の練行衆は「平衆(ひらしゅ)」と呼ばれる。 平衆は次の通り。
* 北座衆之一(きたざしゅのいち)平衆の主席。
* 南座衆之一(なんざしゅのいち)平衆の次席。
* 北座衆之二(きたざしゅのに)
* 南座衆之二(なんざしゅのに)
* 中灯(ちゅうどう)書記役。
* 権処世界(ごんしょせかい)処世界の補佐役。通称「権処さん」
* 処世界(しょせかい)平衆の末席。法要の雑用役。

また練行衆を三役(堂童子(どうどうじ)、小綱兼木守(しょうこうけんこもり)駆士(くし))をはじめ、童子、仲間(ちゅうげん)などの人々が支え、行事を進行させてゆきます。

別火
3月1日の本行に入る前に「別火」と呼ばれる前行があります。戒壇院の庫裡(別火坊)で練行衆が精進潔斎して合宿生活を行うのです。世間の火をいっさい用いず、火打ち石でおこした特別の火だけを利用して生活するのでこのように言われます。

初めての練行衆(新入 しんにゅう)と初めて大導師をつとめる人は2月15日から、それ以外の練行衆は2月20日から別火に入ります。

別火には「試別火」(ころべっか)と「総別火」(そうべっか)の二つの期間があります。試別火の期間は5日(新大導師は10日)であとは「総別火」に入ります。

試別火の期間は自坊に物をとりに行く程度は許されていますが、勝手な飲食も火にあたることもできません。境内の外に出てもなりません。かつては自坊で行ったが、妻帯するようになってから合宿するようになりました。

2月21日は「社参」が行われ、新入を除く練行衆が和上を先頭に列を作り、八幡殿、大仏殿、天皇殿、開山堂に参詣し、行の安全を祈願します。途中4箇所で平衆がほら貝を吹きます。また、この日、二月堂の湯屋で、「試みの湯」が行われます。「例年の如く御加行なさりょうずるで候や」と問われ、修二会に参加する覚悟を固めるてから入浴します。

2月23日には「花拵え」「燈心揃え」が行われます。東大寺修二会では仏前に供える花として造花(椿と南天)を作ります。また、この日、灯明に用いる燈芯を作ります。この二つの作業に練行衆、三役らが総出で行い、椿400個、南天50個、多くの燈芯を用意します。2月24日には上七日に仏前に供えられる壇供(だんぐ)と呼ばれる厚さ3cm直径15cm程の餅を1000個つきます(3月5日にも同数の檀供が下七日の為につかれる)。

試別火の期間中、本行に備えて法具を準備したり、夜は声明(節をつけて経を読む)の練習をします。声明の節は複雑で、すべて暗記せねばならず、特に新入にとっては大変な仕事です。

2月25日(閏年26日)の社参は娑婆との別れの意味を含みます

総別火に入るのは2月26日で、順次入浴し、紙衣(かみこ。紙で作った衣)を着ます。紙衣は清浄な物と考えられており、行の期間中はこれを着続けます。この期間中は別火坊の大広間のテシマゴザという清浄なゴザのうえ以外に座ってはならず、私語は許されず、火の気は一切ない。湯や茶を勝手に飲むことができず、土の上に降りてはならない。

椿の造花を枝に指したり、紙衣の上に重衣という墨染めの衣を初めて着る「衣の祝儀(2月27日)」などがおこなわれます。また夕刻ほら貝の吹きあわせもします。夜は声明の練習です。

2月の末日になると、戒壇院の別火坊から本行の行われる二月堂に移動するためあわただしくなります。各種の法具などは香の煙をたきしめて清める「香薫」をしてから外に運び出します。最後に大広間で「大懺悔(おおいさんげ)」を唱えてから、練行衆は二月堂に移ります。本行のはじまりです。

本行に入る
本行の間に練行衆が寝泊まりするのは二月堂の北側、「登廊」と呼ばれる石段の下の「食堂(じきどう)」・「参籠宿所」と呼ばれる細長い建物です。この建物は鎌倉から室町時代に建てられた重要文化財です。

宿所入り(2月28日。閏年は29日)の夕方、「大中臣の祓い」が行われます。咒師が大中臣祓詞を黙誦し、御幣で練行衆を清めます。神道の行事です。東大寺修二会には神道的要素が多く含まれています。

3月1日の深夜1時から「授戒」が行われます。戒を授けるのは和上で、和上は食堂の賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)に向かって自誓自戒した後、練行衆全員に守るべき八斎戒(殺生、盗み、女性に接することなど)を一条ずつ読み聞かせて「よく保つや否や」と問いかけます。大導師以下、練行衆は床から降り、しゃがんで合掌し、戒の一つ一つに対して「よく保つ、よく保つ、よく保つ」と三遍誓います。なお3月8日にも改めて授戒が行われます。

受戒が終わると、1時40分、「ただいま上堂、ただいま上堂」のかけ声にあわせて練行衆は一団となって二月堂に上堂し、木沓にはきかえ、礼堂の床を踏みならします。これを開白上堂といいます。内陣の錠があけられ、扉が開くと、練行衆は内陣にかけいり、須弥壇の周囲を3周し、本尊を礼拝し、内陣の掃除や須弥壇の飾り付けを行います。

2時15分ごろ、二月堂内の明かりがすべて消され、扉が閉ざされます。堂童子が火打ち石を切り、火をおこします。この火を一徳火といい、常燈の火種とされます。

2時30分、初めての悔過法要(開白法要)が行われます。これは3時頃終わり、就寝となります。明けて正午になると鐘が鳴らされ食堂で「食作法(じきさほう)」が行われます。正午から約30分、大導師が信者の息災、過去者の成仏などを祈願したあと、一汁一菜または二菜の食事(正食)をとります。その給仕の作法は独特のものです。正食の後はその日は食事をとってはなりません。この作法は本行の間、連日続きます。

二月堂の本尊は「大観音」「小観音」と呼ばれる二体の観音像で、いずれも絶対の秘仏で練行衆も見ることができません。

悔過法要
言うまでもなくこの行事の中心部分です。

本行の期間中、日に六回(六時という)、十一面悔過法が行われます。6回の法要にはそれぞれ名前があり、「日中(にっちゅう)」「日没(にちもつ)」「初夜(しょや)」「半夜(はんや)」「後夜(ごや)」「晨朝(じんじょう)」と呼ばれます。その唱える内容や節回し、所作などは六時それぞれのものがあります。平衆が交代で導師をつとめ、その声に唱和して唱句を全員で唱えます。この導師を時導師といいます。

悔過法要は次の通り行われます。

* 散華行道は悔過に先だって道場を荘厳するため、ハゼ(餅)をまきながら須弥壇の周りを回り、観世音菩薩の徳をたたえる。
* 大咒願は大導師が一同を代表して行法の趣旨を表明するものであり、漢音で唱えられる。「南無教主 釈迦如来」は「のうぼうこうしゅ せいきゃじょらい」と読みます。
* 悔過は諸仏の名前を唱えた後、十一面観音の姿や功徳を列挙して唱句を斉唱し、一句ごとに礼拝を繰り返す。罪障懺悔の唱句はありません。
* 宝号は時導師の音頭で観世音菩薩の名号を唱えては一礼することを繰り返します。

「南無観自在菩薩」を繰り返すうちに、「南無観自在、南無観自在」となり、「南無観、南無観」と短くなってゆき気分が高揚してきます。最後は「南無帰命頂礼大慈大悲観自在尊」と厳かに唱え締めくくります。宝号が終わり近くになると平衆の一人が礼堂に出て五体投地を行い、懺悔の心を体で表現します。そして、大懺悔、後行道と続き回向文でおわります。

大導師作法と過去帳読誦
初夜と後夜の悔過は「大時」といわれ特別丁寧に行われ、悔過作法の後に「大導師作法」「咒師作法」をおこないます。

大導師作法は聖武天皇、歴代天皇、東大寺に縁のあった人々、戦争や天災に倒れた万国の人々の霊の菩提を弔うとともに、現職の総理大臣以下の閣僚、最高裁長官などの名を読み上げ、その働きが天下太平、万民豊楽をもたらすよう祈願します。

初夜の大導師作法の間には「神名帳」が読誦されます。これも神道の行事です。1万3700余所の神名が読み上げられ呼び寄せる(勧請)。お水取りの起源となった遠敷明神は釣りをしていてこれに遅れたと伝えられています。

また3月5日と12日の2回過去帳読誦が行われます。過去帳では聖武天皇以来の東大寺有縁の人々の名前が朗々と読み上げられます。

これには怪談めいた話があります。鎌倉時代に集慶という僧が過去帳を読み上げていたところ、青い衣を着た女の幽霊が現れ、「など我が名をば過去帳には読み落としたるぞ」
と言いました。なぜ私の名前を読まなかったのかと尋ねたのです。集慶が声をひそめて「青衣の女人(しょうえのにょにん)」と読み上げると女は満足したように消えていった。いまでも、「青衣の女人」を読み上げるときには声をひそめるのが習わしです。

咒師作法と達陀の行法
咒師作法(しゅしさほう)は咒師が須弥壇の周りを回りながら、清めの水(洒水)を撒き、印を結んで呪文を唱えるなど、密教的な儀式です。鈴を鳴らして四方に向かって四天王を勧請するのもその一環です。 3月12日以降の3日間は、後夜の咒師作法の間に達陀の行法が行われます。

達陀の行法(だったんのぎょうほう)は、堂司以下8人の練行衆が兜のような「達陀帽」をかぶり異様な風体で道場を清めた後、燃えさかる大きな松明を持った「火天」が、洒水器を持った「水天」とともに須弥壇の周りを回り、跳ねながら松明を何度も礼堂に突き出す所作をします。咒師が「ハッタ」と声をかけると、松明は床にたたきつけられます。修二会の中でもっとも勇壮でまた謎に満ちた行事です。

その日の全ての行法を終えて参籠宿所に戻るときには「ちょうず、ちょうず」と声を掛け合いながら石段を駆け下ります。「ちょうず」とは手洗い、トイレのことです。ある時、行法を終えて帰ると、天狗たちがやってきて行法のまねをしていたことがわかったので、ちょっと手洗いにゆくのだと思わせるためにこういうのだそうです。

お松明
修二会のシンボルのような行事に二月堂の舞台で火のついた松明を振り回す「お松明」があります。この松明は上堂の松明といわれ、本来は、初夜の行を始めるために練行衆が登り廊を登るときに道明かりとして焚かれるもので、一人の童子が松明をかざして、後に一人の練行衆が続き、入堂された後に、その松明を舞台(欄干)に回り、火を振り回すのです。その後、裏に回り水槽で消され、上がってきた登り廊を降りていきます。本行の期間中連日行われますが、12日は一回り大きな籠松明が出るので見応えがあります。また、12日のみ11本の松明が上堂します。他の日は10本です。12日以外の日は、新入は先に上堂して準備をしているため10人、12日だけは準備をしてから一旦下堂するので11人の上堂となります。この籠松明は長さ8m、重さ70kg前後あり、バランスを取るため、根が付けられています。他の日の松明は長さ6~8m重さ40kg。籠松明以外は、使われる日の早朝に担ぐ童子自身が食堂(じきどう)脇で作ります。材料は1~2年かけて集める。年々材料の調達が難しくなってきています。

お松明の火の粉を浴びると健康になる、あるいは幸せになると信じられています。また燃えかすを持って帰り護符の代わりにする信者も多い。

12日のお松明には年によっては2万人から3万人の人出があります。(ただし12日は非常に混雑するため規制・照明・放送などがあり、雰囲気を味わうには前半に見る方がよい。)

走りの行法
走りの行法は3月5日からの3日間、および3月12日からの3日間、後夜の悔過作法の前に行われます。本尊十一面観音の11の面の内の頂上仏面を「南無頂上」「南無最上」などと礼拝し、須弥壇の周りを回りながら一人ずつ礼堂に出て五体投地します。だんだんと歩調が早くなり、はじめは木の沓(さしかけ)を履いていますが、やがてそれを脱いでしまいはだしで走るようになります。この行法は前述の実忠和尚の伝説に由来します。

お水取り
3月12日、後夜の咒師作法の中で(13日午前1時)、咒師は蓮松明という松明に照らされながら5人の練行衆とともに南側の石段を下りて閼伽井屋(あかいや 別名・若狭井)へ向かいます。

大勢の参拝者の見守る中、雅楽も奏され、おごそかに行列が進みます。途中小さな神社に立ち寄り法要を営んでから数人の童子と閼伽井屋に入り香水をくみます。香水は閼伽桶とよばれる桶に入れられ榊を飾った担い台に載せられ内陣に運ばれます。香水は須弥壇下の香水壺に蓄えられ、本尊に供えられたり、供花の水として用いられたりします。

この水は、若狭の遠敷明神(おにゅうみょうじん)が神々の参集に遅れたお詫びとして二月堂本尊に献じられたと伝えられ、今でも遠敷明神の神宮寺であった若狭小浜市の若狭神宮寺では今もこの井戸に水を送る「お水送り」(3月2日)の行事が行われています。お水取りが終わると咒師作法は再開されます。

不退の行法
東大寺修二会は752年(天平勝宝4年)始められて以来、現在まで一度も途絶えることなく今日まで伝えられている、東大寺がある限り続く「不退の行法」です。「修二会」は1667年(寛文7年)に二月堂が火災で失われたときも三月堂で行われ、物資難から諸々の行事が中止せざるを得なかった太平洋戦争の戦中戦後も続けられました。2009年の3月に行われたものを含むと現在まで1258年、1258回を越える。

東大寺の修正会
東大寺では修二会のほかに修正会も行っています。1月7日のみの簡単なものでありますが、初夜と後夜に別れ、初夜では如意輪観音に悔過し、後夜では礼仏偈ほか多くの法要が行われます。



ちょっとなが~い説明ですが、わかってもらえたんではないですか?

この行事のすごさが。

なんと今年で第1260回目ですよ。休みなく。

ギネスに載ってないんでしょうか?

間違いなくギネス級でしょう。

お松明が何回も「二月堂」を走り抜けました。

この火の粉をあびると病気をしないとかいいます。

東大寺
昼間の国宝「東大寺二月堂」


東大寺
2011.3.4の「修二会」(お水取り)


しかしさすがにぎりぎりの時間に着いたので全然遠くからしか見ることが出来ませんでした。

でも迫力は十分に伝わってきました。

寒い中来て良かったなと思いました。

3月14日まで毎日続くそうですのでぜひお越しください。

ほんの20分程のの時間でしたけど充実した気分でした。

次に「東大寺」に訪れるのは「本坊」が特別公開される4月になると思います。

その時にはまだ見ぬ国宝「本坊経庫」を見ることが出来そうです。

楽しみにしています。

それではまた!

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2008.2.24の探索記その一 その二

2009.12.26の探索記

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世界遺産と国宝の旅の地図 in関西 東大寺修二会(とうだいじしゅにえ)(お水取り)と地図2011.3.4
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