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神護寺(じんごじ)の国宝「五大虚空蔵菩薩座像」(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)特別開帳と地図

まずは「神護寺」の動画をご覧下さい。




2011.514 京都に行ってきました。

今回の目的は「神護寺」の国宝「五大虚空蔵菩薩坐像」の特別開帳を見に行くことです。

2011.5.13~15までの3日間だけの開帳だそうです。

今までは、予約してからの拝観だったと聞いていたんですが、どうやら春と秋に特別開帳されることになったようです。

かなり前からこの日を楽しみにしていたので、朝もかなり早くから目覚めてしまいました。

こと国宝のことになると子供のようになるのがはずかしいです。(46歳で...)

今回で「神護寺」は2回目になります。

前回の神護寺探索記はこちらをご覧ください。

今回は電車とバスを使っての探索になりました。

午前6時に自宅を出て近鉄電車から京都地下鉄に乗り継ぎ「四条」から市バスで「高雄」までというルートです。

約2時間半かかりました。

神護寺


バス停からさらにこの赤い橋を超え「神護寺」までは階段を登ること約20分はかかります。

神護寺


結構ぜいぜい言うほどの階段ですが、癒してくれるものもありました。

神護寺


神護寺


神護寺
「硯石」

「硯石」と書かれた看板を発見しました。
「空海弘法大師が神護寺に在山の時、勅願の依頼を受けられたが、五月雨で橋が流されたため、この石を硯として対岸に立てかけた額に向けて筆を投げられたところ、見事に「金剛定寺」の四文字をかかれたという。ただしこの寺は現存していない」
と看板に書かれていました。
本当に弘法大師の伝説は尽きません。

ぜいぜい言いながらも「楼門」に到着しました。

神護寺
「楼門」

参道から急な石段を上りつめた先に建つ正門。毘沙門堂などと同様、元和9年(1623年)の建立とされます。

「楼門」をくぐるといよいよ「神護寺」の境内です。



神護寺について
ウィキペディアより
神護寺(じんごじ)は、京都市右京区高雄にある高野山真言宗遺跡(ゆいせき)本山のお寺で、山号を高雄山。本尊は薬師如来、開基は和気清麻呂です。

京都市街の北西、愛宕山(924メートル)山系の高雄山の中腹に位置する山岳寺院で、紅葉の名所として知られます。清滝川に架かる高雄橋から長い参道を歩いた先の山中に金堂、多宝塔、大師堂などの堂宇が建ちます。神護寺は空海が東寺や高野山の経営に当たる前に一時住した寺であり、最澄もここで法華経の講義をしたことがあるなど、日本仏教史上重要な寺院です。

寺号は詳しくは「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)」と言います。しかし、寺の根本史料である「神護寺略記」や国宝の「文覚上人四十五箇条起請文」などにももっぱら「神護寺」とあり、寺の入口の楼門に架かる板札にも「神護寺」とあることなどから、「神護寺」の表記を用います。

歴史
神願寺と和気氏
神護寺は、いずれも和気氏の私寺であったと思われる「神願寺」と「高雄山寺」という2つの寺院が天長元年(824年)に事実上合併してできた寺です。2つの前身寺院のうち、神願寺は、和気清麻呂(733-799)により8世紀の末頃に建てられた寺ですが、その所在地については河内説、大和説など諸説あり、いずれも決め手を欠いています。和気清麻呂は奈良時代末期~平安時代初期の高級官僚で、歴代天皇の側近として平安京遷都などに力を発揮しました。また、僧・道鏡の皇位継承問題にからんで流罪になったことでも知られている。称徳天皇(女帝・孝謙天皇重祚)の信任が厚かった僧・道鏡は「八幡大菩薩のお告げ」により皇位を継ぐ者とされていましたが、称徳天皇は神意を再確認すべく、和気清麻呂を八幡大菩薩が鎮座する九州の宇佐八幡宮へ派遣した。宇佐から戻った清麻呂は「宇佐八幡は、臣下の者が皇位に就くことを望んでいない」と奏上した。これが道鏡の怒りにふれ、清麻呂と姉の和気広虫(法均尼)は神護景雲3年(769年)それぞれ大隅と備後へ流罪となりました。道鏡が実際に皇位を望んでいたのかどうか、事件の真相には不明な部分もありますが、翌宝亀元年(770年)には、称徳天皇が死去し、天皇の信望厚かった道鏡は左遷され、入れ代わるように清麻呂と広虫は許されて都に戻ってきました。清麻呂が和気氏の私寺である神願寺の建立を願い出たのはそれから10年後の宝亀11年(780年)とも言い、少し後の延暦年間(782年~)とも言われます。神願寺という寺号は宇佐八幡の神意に基づいて建てた寺という意味です。延暦12年(793年)には「神願寺に能登国の墾田五十町が寄進された」旨の記録(「類聚国史」所収)があり、この年が神願寺建立時期の下限とされています。

高雄山寺
もう1つの前身寺院である高雄山寺(または高雄寺)は、現在の神護寺の地に古くから存在した寺院です。和気清麻呂の墓所が今の神護寺境内にあるところから、ここも和気氏ゆかりの寺院であることは確かですが、創立の時期や事情については明確でありません。伝承では、洛北の鷹峯(京都市北区鷹峯)に鎮座していた愛宕権現を愛宕山に移座した際に、他のいくつかの山岳寺院とともに建立されたといいます。高雄山寺の歴史上の初見は延暦21年(802年)です。この年、和気氏の当主であった和気弘世(清麻呂の長男)は伯母に当たる和気広虫(法均尼)の三周忌を営むため、最澄を高雄山寺に招請し、最澄はここで法華会(ほっけえ、法華経の講説)を行いました。弘仁3年(812年)には空海が高雄山寺に住し、ここで灌頂(密教の重要な儀式)を行いました。この時、灌頂を受けた者の氏名を書き付けた空海自筆の名簿(灌頂歴名)が現存し国宝に指定されていますが、そこにも「高雄山寺」の寺号が見えます。

空海以後
天長元年(824年)の太政官符(「類聚国史」「類聚三代格」など所載)によれば、この年、神願寺と高雄山寺の寺地を「交換」し、寺号を「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)」とし、この寺は定額寺(官が保護を与える一定数の私寺のこと)に列せられました。寺地の交換が行われたのは、神願寺の所在する土地に「汚穢」(けがれ)があり、仏法の道場としてふさわしくなかったからとのことです。「神護国祚真言寺」とは、「八幡神の加護により国家鎮護を祈念する真言の寺」という意味で、この寺が密教寺院であることを明確に示しています。

神護寺は、空海の後、弟子の実慧(じちえ)や真済が別当(住職)となって護持されましたが、平安時代末期には衰退していました。中世、神護寺再興に力があったのは「平家物語」などで知られる武士出身の僧・文覚(もんがく)でした。彼は仁安3年(1168年)、神護寺に参詣しますが、八幡大菩薩の神意によって創建され、弘法大師空海ゆかりの地でもあるこの寺が荒れ果てていることを嘆き、再興の勧進を始めました。その後、後白河法皇や源頼朝らの援助を得て、寺の再興は進みました。文覚自身は罪を得て対馬(隠岐とする説もある)に流され、配流先で生涯を終えましたが、神護寺の再興は弟子の上覚(上覚房行慈)によって完遂されました。なお、鎌倉時代に華厳宗を復興し、高山寺を中興した僧・明恵(みょうえ)は上覚の甥で、やはり神護寺に住したことがありました。



ここで僕の大好きな国宝のご紹介
彫刻
*薬師如来立像
*五大虚空蔵菩薩坐像
その他
*紫綾金銀泥両界曼荼羅図(高雄曼荼羅)
*絹本著色釈迦如来像
*絹本著色伝・源頼朝像、伝・平重盛像、伝・藤原光能像
*絹本著色山水(せんずい)屏風
*梵鐘
*灌頂歴名
*文覚四十五箇条起請文
以上




とにかく説明文や国宝の多さからもこの「神護寺」がいかに重要なお寺かがおわかりいただけるでしょう。

しかも前回来た時のように秋には紅葉が素晴らしいんですから最高です。

さて前回も建造物などについての説明はしましたが、もう一度書いておきましょう。

まず「楼門」をくぐる前にすぐ横に「本坊」があります。

神護寺
「本坊」


そして「楼門」をくぐりすぐ右側からも見えます「書院」です。

神護寺


さらに歩を進めると「宝蔵」があります。

神護寺
「宝蔵」


そして「宝蔵」のすぐとなりに「和気公霊廟」があります。

東寺
「和気公霊廟」

「和気清麻呂」を祀ります。

そして「明王堂」があります。

神護寺
「明王堂」


そして「和気公霊廟」と「明王堂」の間の階段の小高いところに「鐘楼」があります。

神護寺
「鐘楼」

毘沙門堂などと同様元和9年(1623年)の再建。楼造の鐘楼で、楼上に国宝の梵鐘があります。

しかしどこから見ても梵鐘は見えませんでした。

そしてさらに進むと左側に3つのお堂があります。

まずは「五大堂」です。

神護寺
「五大堂」

毘沙門堂の背後に建つ。やはり元和9年(1623年)の建築。

さらにすぐ後ろに「毘沙門堂」が建っています。
神護寺
「毘沙門堂」

金堂へと上る石段の下に建ちます。金堂が建つ前はこの堂が金堂であり、本尊の薬師如来像もここに安置されていました。元和9年(1623年)の建築。内部の厨子に平安時代の毘沙門天立像(重文)を安置します。

この2つのお堂の奥には「大師堂」が建っています。

神護寺
「大師堂」


毘沙門堂、五大堂のさらに奥にある入母屋造、薯B(こけら)葺きの住宅風の仏堂。空海の住房であった「納涼房」を復興したもので、現存するものは近世初期の再建。内部の厨子に正安4年(1302年)作の板彫弘法大師像(重文)を安置する。

この地に「弘法大師」がお住まいになっていたと思うだけでも感慨深いものがあります。

前回はここも公開されていたのですが、今回は中を見ることはできませんでした。

そしていよいよ「金堂」そして今回の最大の目的である国宝「五大虚空蔵菩薩坐像」が安置される「多宝塔」へと向かいます。

「五大堂」の後ろの階段を登った所に「金堂」はあります。

神護寺
「金堂」

楼門を入って境内奥へ進み、右手の石段を上った先に建ちます。入母屋造、本瓦葺きの本格的な密教仏堂ですが、建築年代は新しく、昭和9年(1934年)に実業家山口玄洞の寄進で建てられたものである。

この「金堂」には国宝「薬師如来立像」(やくしにょらいりゅうぞう)が安置されています。
国宝「薬師如来立像」(やくしにょらいりゅうぞう)
金堂本尊。像高170.6センチ、カヤ材の一木造。唇に朱を、眉、瞳などに墨を塗るほかは彩色などを施さない素木仕上げの像です。目を細めた森厳で沈うつな表情と体躯のボリューム感は、親しみよりも威圧感を見る者に与えます。図式的・観念的に整えられた衣文などに平安時代初期特有の様式が見られます。下半身では両脚間に「U」字形の衣文を縦に連続させ、その左右に平滑な面をつくって大腿部のボリュームを強調していますが、こうした衣文形式も平安時代初期の如来像に多くみられるものです。図像的には、薬壺を持つ左手を垂下させず胸の辺まで上げる点と(ただし両手先は後補)、右肩から右腕にかけて「横被」と呼ぶ布をかける点などが特色です。「神護寺略記」に引用する弘仁期(810-824年)の資財帳に「檀像薬師仏像一躯」とあるのが本像にあたり、神護寺の前身寺院である神願寺または高雄山寺のいずれかにあった像と思われますが、どちらの寺に属していた像であるかについては定説がありません。なお、両脇侍の日光・月光(がっこう)菩薩立像(重要文化財)は後補部分が多く。薬師像とは作風も異なっています。日光像の腰から上、月光像の膝から上は後補です。

かなり離れた所からの拝観になりますので細かいところまでは見えませんが、白くて本当に「木」だなという仏様です。

この仏様も素晴らしいんですが、他にも結構おどろいたのが国宝「絹本著色伝・源頼朝像」です。

前回も「金堂」は拝観したんですが、気にも留めなかったんでしょうね。

本当にええ加減な探索をしている僕ですわ。

社会の教科書に出てくる鎌倉幕府を開いた「源頼朝」の像です。
神護寺
国宝「絹本著色伝・源頼朝像」
ウィキペディアより


「金堂」にあるものは模写ですがまさに教科書で見たものそのものでした。

さらには国宝「灌頂歴名」の模写も展示されていました。
国宝「灌頂歴名」
弘仁3年(812年)、空海が神護寺の前身である高雄山寺で灌頂の儀式を行った際の受者の名簿で、空海の自筆です。空海の普段の筆跡を伝えるものとして、書道史上にも重要な作品。

僕が言うのもなんですが達筆でした。

また新たな発見をしました。

そして国宝「五大虚空蔵菩薩坐像」の特別拝観は10時からということでしたが、ちょっと早めですがはじめますという案内がありましたので、早速「多宝塔」へと向かいました。

「多宝塔」は「金堂」よりさらに小高いところにあります。

神護寺
「多宝塔」

金堂からさらに石段を上った高みに建ちます。金堂と同様、昭和9年(1934年)、実業家山口玄洞の寄進で建てられたものです。内部に国宝の「五大虚空蔵菩薩像」を安置します。

もっとお客さんがいっぱいいるかと思って早めに来たんですが、そうでもなく結構ゆっくり見ることができました。
神護寺
国宝「五大虚空蔵菩薩坐像」(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)のうち蓮華虚空蔵
ウィキペディアより

国宝「五大虚空蔵菩薩坐像」(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)
多宝塔に安置。五大虚空蔵菩薩は密教の五智如来の変化身とされます。曼荼羅などの画像では法界虚空蔵(白)を中心に、東・南・西・北にそれぞれ金剛虚空蔵(黄)、宝光虚空蔵(青)、蓮華虚空蔵(赤)、業用(ごうよう)虚空蔵(黒)を配するが、神護寺多宝塔内では現状、向かって左から宝光虚空蔵、蓮華虚空蔵、法界虚空蔵、業用虚空蔵、金剛虚空蔵の順に横一列に坐す。史料から承和年間(834-848年)の造像と推定されています。本尊薬師如来立像と同様平安時代初期の作品ですが、作風は穏やかで、技法も異なっています。基本的には一木造ですが、表面には厚く乾漆を盛り上げ、彩色を行っています。

本当に間近で見ることが出来てよかったです。

もともとは彩色がされていたんでしょうが、今はほとんどわかりません。

歴史を感じさせる仏様で横一列に五体が並ぶ姿は本当に素晴らしいの一言につきます。

この日を待ってきた甲斐があったというものです。

これで近畿2府4県の国宝彫刻121件のうち109件を肉眼で拝観することができました。

感謝です。

最初のころとは違い1件の国宝を見ることのむずかしさと重みが段々とわかってきた僕でした。

残り12件の国宝彫刻を制覇する日はくるんでしょうか?

なにはともあれ今日この仏様を見れたことを素直に喜びます。

そのほかにも見所たっぷりの「神護寺」でした。

神護寺
「金堂」横の不動明王像


神護寺
「金堂」から「多宝塔」へと向かう坂の途中にある「竜王堂」


神護寺
「地蔵院」


お寺の一番奥にある高台からの「かわらけ投げ」も有名で、「神護寺」が発祥の地とされています。

「かわらけ投げ」とは厄よけなどの願いを掛けて、高い場所から素焼きや日干しの土器の酒杯や皿を投げる遊びである。

神護寺


以上が今回の「神護寺」の探索記です。

あいかわらず代わり映えしない説明でした。

もうちよっと面白いことが書けるように努力したいと思っています。

次回の「五大虚空蔵菩薩像」のご開帳は

2011年秋季御開帳 (10月8日~10月10日)だそうです。

秋の紅葉も最高の「神護寺」です。

ぜひ一度行ってみてください。

決して期待を裏切らないとおもいますよ。

この後ぼくは「花園」にあります「妙心寺」と「二条城」を見て帰りました。

「妙心寺」は国宝建造物も彫刻もありませんのでこのブログには書きませんが唯一「七堂伽藍」すべてを備えた禅宗のお寺で、「法堂」の狩野探幽作の天井絵「雲龍図」は圧巻でした。

「二条城」も2回目の探索でしたが、前回すでに書いています。

追加記事として前回の記事に書きたいと思っています。

結構過去の記事に追加で写真を載せたりもしていますのでぜひ右側の列から見たいお寺の名前がありましたらクリックしてみてください。

今回はこれまでにしたいと思います。

それではまた!

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「神護寺」公式ホームページへ

拝観料 大人500円・小人(小学生)200円

駐車場 ありません

時間 9:00~16:00


大きな地図で見る






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2009.11.15の神護寺探索記

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