スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

興正寺 (こうしょうじ)の情報と地図

興正寺(こうしょうじ)について

ウィキペディアより

興正寺(こうしょうじ)は、京都府京都市下京区にある浄土真宗の寺院。山号は円頓山(えんとんざん)。西本願寺の南隣に位置する。

かつて西本願寺の脇門跡であったが、1876年(明治9年)に真宗興正派として独立した際に、同派の本山となる。住職は門主の華園家。本山だけあって大伽藍であるが、壮大な西本願寺の南に隣接しているため、一見西本願寺の伽藍の一部と見まがう。また西本願寺の御影堂があまりに大きいため、興正寺の伽藍が比較的小さく感じられるが、実際には堂々とした規模である。

歴史

承元元年(1205年)専修念仏は停止され、浄土真宗の宗祖である親鸞は越後に配流されたが、建暦元年(1211年)に赦免された。

寺伝によると、親鸞は赦免された翌年の建暦2年(1212年)に京都に帰り、山城国山科郷に一宇を創建し「興正寺」と名づけたとし、その後、親鸞はこの寺を弟子の真仏上人(第2世)にまかせ、阿弥陀仏の本願をひろめるため関東行化に旅立ったとされる。順徳天皇から聖徳太子にまつわる「興隆正法」の勅願を賜り、これより寺号を「興正寺」とし真宗念仏宣布の根本法城としたという。しかし、真仏は親鸞が関東教化に遊行した際に下野国(現在の栃木県)に建てた専修寺を任されているなど、親鸞が山科に興正寺を建てたとするには根拠に乏しく、一般的には越後より直接関東方面へ旅立ったとする説が有力である。

興正寺の寺伝では、第7世了源によって事実上創建されたとみなされるが、実際には、京都の五条西洞院にあった親鸞の住坊を元亨元年(1321年)頃に、了源が移転するなどして寺院として開いたのではないかと言われている。

嘉暦3年(1328年)前後、了源は、教化活動の拠点を旧仏教の盛んな京都に移すべく寺基を洛東の汁谷(渋谷)(しるたに・しぶたに、現在の京都国立博物館の辺り)に移し、光明本尊・絵系図・交名帳を用いて西日本一帯の布教活動に力を入れた。この頃「阿弥陀佛光寺」の勅号を後醍醐天皇より賜る。この寺号は、後醍醐天皇が東南の方向から一筋の光が差し込むという夢を見たという場所に、興正寺の盗まれた阿弥陀如来の木像が出てきたという霊験に由来し、これを縁に山科より洛東渋谷に寺基を移したとも言われる。

その後、佛光寺は益々隆盛となったが、それとともに天台宗・延暦寺の弾圧が強まった。第13世光教の時には応仁の乱に巻込まれ諸堂を焼失。さらに文明13年(1481年)には、14世を継ぐべき経豪(後の蓮教)が本願寺の蓮如に帰依し、山科西野に再び「興正寺」として創建、有力末寺と共に当時山科にあった本願寺に帰参した。当時あった48坊のうち42坊が本願寺に帰属した。残された佛光寺は経豪(蓮教)の弟の経誉が継ぐが、寺勢は急激に衰え、代わって本願寺が台頭するところとなる。

蓮教は蓮如と力をあわせて念仏弘通に奔走したが、天文元年(1532年)8月、山科本願寺と共に兵火にかかって興正寺は焼失。

永禄12年(1569年)、興正寺に本願寺顕如の次男顕尊が入寺し、石山本願寺の脇門跡に任ぜられる。天正13年(1585年)第15世蓮秀は幸いにつつがなきをえた真影を供奉して、天台宗の寺があった大阪天満の地に、広大な堂舎を配した天満本願寺と共に真宗興正寺として法燈をかかげた。

天正19年(1591年)第17世顕尊の時に、豊臣秀吉による都市計画の一環で、本願寺と共に寺基を再び洛中の七条堀川に移す。この寺地には時宗市屋派本寺の金光寺があった。

このように蓮教以来、興正寺は本願寺と行を共にしていたが、明治9年(1876年)、第27世本寂(華園摂信)は興隆正法の実を挙げるべく、真宗興正派として独立した。ただし本願寺派に残留した興正寺末寺も少なくなかった。本堂は起工から128年の年数をかけ、日光東照宮の本廟・知恩院の三門とともに、日本三建築の一つと称せられた壮大華麗な大伽藍であったが、明治35年(1902年)11月、不慮の火災により、本堂その他ほとんどを灰燼に帰する不幸が起る。第28世本常(華園沢称)は直ちに再建の工を起こし、明治45年(1912年)、現在の両堂大伽藍が同寺地に完成した。




興正寺(こうしょうじ) 京都市下京区堀川通七条上ル花園町70番地 TEL:075-371-0075

アクセス:市バス 七条堀川下車すぐ

拝観時間:6時~17時  駐車場:有/無料

拝観料:境内自由












京都府の寺・神社一覧へ戻る




スポンサーサイト
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

コメント

コメントの投稿

非公開コメント


(この一行は、各ページ下部に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)
亀吉の探索済みの京都府の世界遺産と国宝スポット
亀吉の探索済みの奈良県の世界遺産と国宝スポット
奈良県には国宝建造物64件国宝彫刻70件があります 
奈良のお寺・神社一覧(178件)

奈良公園周辺

興福寺
2008.2.24
2009.12.26
2010.10.23

東大寺
2008.2.24(1)(2)
2009.12.26
2010.4.11
2010.12.16
2011.3.4
2011.4.9
2011.8.15
2012.1.14

正倉院

春日大社
2008.2.24
2010.12.16
2011.8.15

元興寺
2008.2.24
2012.1.14

平城宮跡
2009.12.26
2010.5.1

春日山原始林

平城京左京三条二坊宮跡庭園

新薬師寺

十輪院
2008.3.8
2012.1.14

奈良国立博物館
2009.12.26
2010.10.23



奈良南西部及び西の京
佐保、佐紀路辺り


薬師寺
2008.2.24
2010.10.23
2011.3.19

唐招提寺
2008.2.24
2009.11.8
2010.6.5(1)(2)

秋篠寺

般若寺

法華寺
2008.3.8
2010.3.22

海龍王寺


旧柳生街道

円成寺


天理市

石上神宮


奈良市西部

長弓寺

霊山寺


斑鳩の里

法隆寺 
2008.3.2(1)(2)(3)(4)
2009.12.12(1)(2)(3)(4)
2010.3.13
2010.3.22
2010.4.11

法起寺

中宮寺


葛城市

当麻寺
2008.3.2
2010.4.29(1)(2)



飛鳥 桜井

岡寺

聖林寺

長谷寺
2008.3.2
2011.4.29

安倍文殊院new


宇陀市

室生寺

宇太水分神社


五條市

栄山寺


吉野

金峯山寺
2008.3.16
2010.10.16

吉野水分神社

赤字は世界遺産
亀吉の探索済みの滋賀県の世界遺産と国宝スポット
滋賀県には国宝建造物22件国宝彫刻4件があります


大津市

石山寺

園城寺 
2008.4.12
2010.8.7
2011.10.29

日吉大社

延暦寺


野洲市

御上神社

大笹原神社


蒲生郡

苗村神社


彦根市

彦根城


長浜市

渡岸寺(向源寺)

竹生島 宝厳寺と都久夫須麻神社


犬上郡

西明寺


愛知郡

金剛輪寺


湖南市

善水寺

常楽寺

長寿寺

赤字は世界遺産
亀吉の探索済みの和歌山県の世界遺産と国宝スポット
和歌山県には国宝建造物7件国宝彫刻5件があります


高野山

金剛峰寺
2008.5.4(1)(2)
2011.10.20(1)(2)(3)(4)(5)

金剛三昧院
2008.5.4
2011.10.20

慈尊院と丹生官省符神社と丹生都比売神社
2008.5.4
2011.10.20


岩出市

根来寺


海南市

善福院

長保寺


日高郡

道成寺

赤字は世界遺産

亀吉の探索済みの兵庫県の世界遺産と国宝スポット
兵庫県には国宝建造物11件国宝彫刻1件があります

姫路市

姫路城


神戸市

太山寺
加古川市

鶴林寺
小野市

浄土寺
加西市

一乗寺
加東市

朝光寺

赤字は世界遺産
亀吉の探索済みの大阪府の国宝スポット
大阪府には国宝建造物5件国宝彫刻4件があります


大阪市

住吉大社
2008.3.22
2011.10.1


藤井寺市

葛井寺
2008.3.30
2010.4.18

道明寺
2008.3.30
2010.4.18


河内長野市

観心寺
2008.3.30
2010.4.18


堺市

桜井神社


貝塚市

孝恩寺


泉佐野市

慈眼院


交野市

獅子窟寺


サイドバー2下の追尾スペース
ここに追尾させたいものを記載します。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。