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世界遺産 法隆寺地域の仏教建造物その一 法隆寺(ほうりゅうじ)の国宝と地図その一

まずは「法隆寺」の風景を動画でご覧ください。




2008.3.2 世界遺産 法隆寺地域の仏教建造物探索に行きました。
前回の古都奈良の文化財に続いて2週連続の世界遺産の旅です。

先週は電車で出かけましたが、今週のターゲットは広範囲に広がっていますので車で出かける事にしました。

法隆寺地域以外の国宝のある寺院もついでに探索してきました。

その様子を何回かに分けてご紹介していきたいと思います。どうぞお付き合いくださいませ。

まず自宅を7時半にでました。僕の住む東大坂から法隆寺までは1時間もかからない程度です。
国道25号線を一路法隆寺へ、、、。

法隆寺へは3,4回は行ってはいますが、本腰をいれて探索するのは初めてのことなので今回はそうとう気合を入れてのぞみました。

そんなこんなで目的地「法隆寺」に到着です。

法隆寺入り口


法隆寺松並木


「法隆寺」は世界遺産「法隆寺地域の仏教建造物」の中心です。

世界遺産 法隆寺地域の仏教建造物とは?
奈良県生駒郡斑鳩町に位置する法隆寺及び法起寺の建造物群の総称。法隆寺は世界最古の木造建築として知られ、法起寺は日本最大最古の三重塔で有名。仏教伝来直後の仏教建築物で、日本の宗教建築に深い影響を及ぼしたものであること、中国文化への順応、及び結果的に日本独特の様式を確立した代表的な例であることなどが高く評価され、1993年、世界文化遺産に登録されました。

さすがに「法隆寺」に着くと、古都奈良の文化財の時とは違う緊張感が漂ってきました。
なんといっても法隆寺は世界最古の木造建造物でしかも国宝の数も半端じゃないですから。

ビデオやデジカメのバッテリーが心配です。

駐車場に車を止めていざ出陣!

いきなり目に飛び込んできたのは「法隆寺」の総門、国宝「南大門」でした。

法隆寺南大門

国宝「法隆寺南大門」

国宝「法隆寺南大門」(ほうりゅうじなんだいもん)
永享10(1438)
三間一戸八脚門、入母屋造、本瓦葺
当時の西大門を移築し建立したそうです。
創建時のものは、永享7年(1435)に焼失し、永享10年(1438)に現在の門が再建されました。

この門をくぐるといよいよ「法隆寺」の境内です。

まずは「西院伽藍」(さいいんがらん)から探索開始です。

国宝「南大門」をくぐるとまず右に「宝光院」「輪堂」「護摩堂」「弥勒院」左に「西園院」「客殿」「新堂」「大湯屋」などがあります。

まっすぐ行くと真正面に国宝「中門」「回廊」が見えてきました。

法隆寺中門

国宝「法隆寺中門」

国宝「法隆寺中門」(ほうりゅうじちゅうもん)
飛鳥時代
四間二戸二重門、梁間三間、入母屋造、本瓦葺
日本の寺院の門は正面の柱間が奇数(3間、5間、7間等)になるのが普通だが、この門は正面柱間が4間で、真中に柱が立つ点が特異だそうです。門内の左右に塑造金剛力士立像を安置しています。日本最古(8世紀初)の仁王像として貴重なものであるが、風雨にさらされる場所に安置されているため、補修が甚だしく、吽形(うんぎょう)像の体部は木造の後補に代わっているそうです。


法隆寺について
ウィキペディア(Wikipedia)より
法隆寺(ほうりゅうじ) は、奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の総本山です。別名を斑鳩寺(いかるがでら)といいます。本尊は釈迦如来、開基は推古天皇と聖徳太子です。

聖徳太子こと厩戸王ゆかりの寺院です。創建は同じく聖徳太子ゆかりの寺院である大阪の四天王寺より約20年後の607年とされるが、確証はありません。金堂、五重塔などがある西院と、夢殿などのある東院に分かれます。西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群です。

創建
法隆寺は、「日本仏教興隆の祖である聖徳太子が創建した寺院である」とするのが、一般的・常識的理解です。聖徳太子は謎の多い人物であり、20世紀末頃からは「聖徳太子は実在しなかった」とする言説が盛んになっているが、これには反論も出されている。「<聖徳太子>の誕生」の著者である大山誠一は、超人的人物として信仰の対象となっている「聖徳太子」は架空の存在だとしながらも、「聖徳太子」のモデルとなった厩戸王という人物の存在と、その人物が斑鳩宮及び斑鳩寺を建てたことは史実と認めています。

現存する法隆寺西院伽藍は聖徳太子在世時のものではなく、7世紀後半 - 8世紀初の建立であることは定説となっており、この伽藍が建つ以前に焼失した前身寺院(いわゆる若草伽藍)が存在したことも発掘調査で確認されています。また、聖徳太子の斑鳩宮跡とされる法隆寺東院の地下からも前身建物の跡が検出されています。以上のことから、「聖徳太子」の人物像には後世の潤色が多く含まれているとしても、そのモデルとなった厩戸王によって7世紀の早い時期、斑鳩の地に仏教寺院が営まれたことは史実と認められています。

通説によれば、推古天皇9年(601年)、聖徳太子は斑鳩の地に斑鳩宮を建て、この近くに建てられたのが法隆寺であるとされる。金堂の「東の間」に安置される銅造薬師如来坐像(国宝)の光背銘には「用明天皇が自らの病気平癒のため伽藍建立を発願したが、用明天皇がほどなく亡くなったため、遺志を継いだ推古天皇と聖徳太子があらためて推古天皇15年(607年)、像と寺を完成した」という趣旨の記述がある。しかし、正史である「日本書紀」には(後述の670年の火災の記事はあるが)法隆寺の創建については何も書かれていません。

前述の金堂薬師如来像については

像自体の様式や鋳造技法の面から、実際の制作は7世紀後半に下るとみられること
607年当時、日本における薬師如来信仰の存在が疑問視されること
銘文中の用語に疑問がもたれること
という理由から、文字通り607年までさかのぼる制作とは見なされていない。また、金堂の中央に安置される本尊は「623年に聖徳太子の冥福のため止利が造った」という内容の光背銘をもつ釈迦三尊像であり、これより古い薬師如来像が「東の間」に安置されて脇仏のような扱いをされている点も不審です。

このように、若干の不明点は残るものの、法隆寺の創建が7世紀前半の聖徳太子在世時にさかのぼることは、発掘調査の結果等からも明らかである。皇極天皇2年(643年)、蘇我入鹿が山背大兄王を襲った際に斑鳩宮は焼失したが、法隆寺はこの時は無事だったと考えられます。

日本書紀巻27に「夏四月癸卯朔壬申 夜半之後 災法隆寺 一屋無餘」(天智天皇9年・670年に法隆寺は一屋余すところなく焼失した)という記事がある。この記事の真偽をめぐって、現存する法隆寺西院伽藍は聖徳太子創建時のものであるとする説と、670年に全焼した後、再建したものであるとする説とが鋭く対立し、いわゆる「再建・非再建論争」が起きました。なお、発掘調査や建築用材の伐採年代の科学的調査などの裏付けから、現存する法隆寺西院伽藍は一度焼失した後に再建されたものであるということは定説となっています。ただし、皇極天皇2年(643年)の上宮王家(聖徳太子の家)滅亡後、誰が西院伽藍を再建したのかなど、再建の正確な時期や経緯については謎も多い。焼失前の旧伽藍(いわゆる「若草伽藍」)は、現存の西院伽藍の位置ではなく、かなり南東寄りに位置していました。また、現存の西院伽藍がほぼ南北方向の中軸線に沿って建てられているのに対し、旧伽藍の中軸線はかなり北西方向に傾斜している。さらに、現・西院伽藍の建つ土地は、尾根を削り、両側の谷を埋めて整地したものであることがわかっており、なぜ、大規模な土木工事を行ってまで伽藍の位置や方位を変更したのかは定かでありません。

再建時期についても明確な記録はないが、現存の西院伽藍の建築を見ると、細部の様式などから、金堂がもっとも年代が上がり、五重塔がそれに続き、中門、回廊はやや遅れての建築と見られる。「法隆寺伽藍縁起并流記資財帳」によれば、中門の仁王像や五重塔初層安置の塑造彫刻群は和銅4年(711年)の制作とあり、この頃には西院伽藍全体が完成していたと考えられる。なお、平安時代に書かれた「七大寺年表」には和銅年間に法隆寺が建てられた、とある。

一方、八角堂の夢殿を中心とする東院伽藍は、天平10年(738年)頃、行信僧都が斑鳩宮の旧地に太子をしのんで建立したものです。

延長3年(925年)には西院伽藍のうち大講堂、鐘楼が焼失し、大講堂が再建されたのは数十年後の正暦元年(990年)のことでした。以後、永享7年(1435年)に南大門が焼失するなど、何度かの火災に遭ってはいるが、全山を焼失するような大火災には遭っておらず、建築、仏像をはじめ各時代の多くの文化財を今日に伝えています。

近世に入って、慶長年間(17世紀初頭)には豊臣秀頼によって、元禄 - 宝永年間(17世紀末~18世紀初頭)には江戸幕府5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院によって伽藍の修造が行われました。

近代に入ると、廃仏毀釈の影響で寺の維持が困難となり、1878年(明治11年)には管長千早定朝の決断で、聖徳太子画像(唐本御影)をはじめとする300件余の宝物を当時の皇室に献納し、金一万円を下賜された。これらの宝物は「法隆寺献納宝物」と呼ばれ、その大部分は東京国立博物館の法隆寺宝物館に保管されています。

1934年(昭和9年)から「昭和の大修理」が開始され、金堂、五重塔をはじめとする諸堂宇の修理が行われた。「昭和の大修理」は第二次世界大戦を挿んで半世紀あまり続き、1985年(昭和60年)に至ってようやく完成記念法要が行われた。この間、1949年(昭和24年)には修理解体中の金堂において火災が発生し、金堂初層内部の柱と壁画を焼損した。このことがきっかけとなって、文化財保護法が制定されたことはよく知られる。1950年に法相宗から独立しました。

1981年(昭和56年)からは「昭和資財帳調査」として、寺内の膨大な文化財の再調査が実施され、多くの新発見があった。調査の成果は「法隆寺の至宝-昭和資財帳」として小学館から刊行されている。 昭和9年の大修理の際に裏山に築ていして貯水池を建設しそこから境内に地下配管して自然水利による消火栓を建設した 金堂火災の際初期消火に活用されました。


ここで僕の大好きな国宝をご紹介します。

建造物
*南大門
*金堂
*五重塔
*中門
*回廊
*経蔵
*鐘楼(しゅろう)
*大講堂
*聖霊院(しょうりょういん)
*東室(ひがしむろ)
*三経院及西室
*西円堂
*綱封蔵
*食堂(じきどう)
*東大門
*夢殿
*伝法堂
*東院鐘楼

彫刻
*釈迦如来及両脇侍像(金堂)
*薬師如来坐像(金堂)
*四天王立像(金堂)
*毘沙門天・吉祥天立像(金堂)
*塔本四面具 78躯・2基(五重塔)
*薬師如来及両脇侍坐像(大講堂)
*薬師如来坐像(西円堂)
*釈迦如来及両脇侍坐像(上御堂)
*阿弥陀如来及両脇侍像(伝橘夫人念持仏)・木造厨子(大宝蔵院)
*観音菩薩立像(夢違観音)(大宝蔵院)
*観音菩薩立像(九面観音)(大宝蔵院)
*観音菩薩立像(百済観音)(大宝蔵院)
*地蔵菩薩立像(所在大宝蔵院)
*聖徳太子・山背王・殖栗王・卒末呂王・恵慈法師坐像(聖霊院)
*観音菩薩立像(救世観音)(夢殿)
*行信僧都坐像(夢殿)
*道詮律師坐像(夢殿)
その他
*玉虫厨子
*黒漆螺鈿卓
*四騎獅子狩文錦
以上


我が国の国宝の何パーセントがここにあるのでしょう?
日本人なら一度は行ってください。我が国の源です。ふるさとです。

さて中門と回廊の向こう側にある金堂や五重塔を見る前に左へ進むと国宝「三経院」「西室」があります。
法隆寺三経院

国宝「法隆寺三経院」

国宝「法隆寺三経院及び西室」(ほうりゅうじさんきょういんおよびにしむろ)
寛喜3(1231)年
桁行十九間、梁間正面五間、背面四間、一重、切妻造、妻入、本瓦葺、
正面一間通り庇付、向拝一間、檜皮葺
法寺西院伽藍の西にあつて、東の聖霊院及び東室とともに上代寺院三面僧房の俤をのこす。
三経院は、聖徳太子が勝鬘経・維摩経・法華経の三つの経典を注釈されたこと(三経義疏)にちなんで、西室の南端部を改造して建てられたそうです。

さらに左の奥、階段を上ると国宝「西円堂」があります。

法隆寺西円堂

国宝「法隆寺西円堂」

国宝「法隆寺西円堂」(ほうりゅうじさいえんどう)
建長2(1250)年
八角円堂、一重、本瓦葺
奈良時代に橘夫人の発願によって行基菩薩が建立したと伝えていますが、現在の建物は鎌倉時代に再建されたものだそうです。
堂内にはわが国最大級の乾漆像として知られる国宝「本尊薬師如来座像」が安置されています。

その他この周辺には「上御堂」「薬師坊庫」「宝珠院」「中院」「地蔵堂」などがあります。

そしていよいよ西院伽藍のメインと呼べる「金堂」「五重塔」を探索に行きます。

しかしこの続きはまた次回にしたいとおもいます。
それではまた!

「法隆寺」公式ホームページへ

拝観料 「東院伽藍」「西院伽藍」「大宝蔵院」共通で1000円

駐車場は平均600円ぐらいです。


大きな地図で見る






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2008.3.2 奈良県の国宝建造物と彫刻探索の旅
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2009.12.12の「法隆寺」探索記(1)(2)(3)(4)
2010.3.13の「法隆寺上御堂」特別公開探索記 
2010.3.22の「法隆寺聖霊院」お会式探索記
2010.4.11の「法隆寺」国宝「観音菩薩立像」(かんのんぼさつりゅうぞう)(救世観音)探索記

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