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高野山の国宝と地図 2011.10.20 その一

まずは「高野山」の様子を動画でご覧ください。
動画を見には画面中央をクリックしてください。





2011.10.20 平日ながら会社の有給休暇を利用して、和歌山県の「高野山」へ行ってきました。

2008.5.4以来2度目の「高野山」になります。

前回2008.5.4の探索記はこちらをご覧ください。

僕は今まで結構たくさんの場所を探索してきましたが、その中でも一番「絶対もう一度行かなければならない」と思ったのがこの「高野山」です。

なぜかといいますと、とにかくスケールが大きいということです。

もちろん世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」(きいさんちのれいじょうとさんけいみち)のひとつでもあります。

一度や二度来たぐらいでは語り尽くせない奥の深さがあるのがこの「高野山」だと思うんです。

普通お寺の「山号」として「○○山○○寺」などと言いますが、「高野山」の場合はこの山の宗教都市全てを指して「高野山」ですから。

「比叡山」と並び日本の仏教の聖地です。

前回はまだ知識もかなり浅い頃に来ましたので、きちんとした記事も書けませんでしたが、今回は少しは成長したと思われる?目で「高野山」を探索したつもりです。

何回かに分けてこの「高野山」について書いていこうと思っています。

今回は車での探索です。

自宅を6時前に出発し約2時間程で「高野山」です。

とはいえ橋本市から登る「高野山」までの道は、車でも険しい道のりで、まさに「人里離れた」という表現が当てはまる所にあります。

まず最初に僕が訪れたのは「高野山」まで上り詰めるまでにある和歌山県伊都郡かつらぎ町の「丹生都比売神社」(にふつひめじんじゃ、にうつひめじんじゃ)でした。

しかしここの探索記は後で書きます。

まずは「高野山」から。

先程も書きましたが「高野山」は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つです。

まずは世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」について

ウィキペディアより

紀伊山地の霊場と参詣道(きいさんちのれいじょうとさんけいみち)は、和歌山県・奈良県・三重県にまたがる3つの霊場(吉野・大峰、熊野三山、高野山)と参詣道(熊野参詣道、大峯奥駈道、高野山町石道)を登録対象とする世界遺産(文化遺産)。2004年7月7日に登録された。

登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センターからの翻訳、引用である)。
ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。

具体的には、
紀伊山地の文化的景観を形成する記念碑と遺跡は神道と仏教のたぐいまれな融合であり、東アジアにおける宗教文化の交流と発展を例証する。
紀伊山地の神社と仏教寺院は、それらに関連する宗教儀式とともに、1000年以上にわたる日本の宗教文化の発展に関するひときわ優れた証拠性を有する。
紀伊山地は神社・寺院建築のたぐいまれな形式の創造の素地となり、それらは日本の紀伊山地以外の寺院・神社建築に重要な影響を与えた。
と同時に、紀伊山地の遺跡と森林景観は、過去1200年以上にわたる聖山の持続的で並外れて記録に残されている伝統を反映している。

遺産

今回は「高野山」で遺産に指定されているものだけを抜粋して記載します。

丹生都比売神社 

重要文化財
「丹生都比売神社本殿」
「丹生都比売神社楼門」

史跡
「丹生都比売神社境内」


金剛峯寺

国宝
「金剛峰寺不動堂」
「金剛三昧院多宝塔」
重要文化財(10件)

史跡
「金剛峯寺境内」


慈尊院

重要文化財
「慈尊院弥勒堂」

史跡
「高野山町石」


丹生官省符神社

重要文化財
「丹生官省符神社本殿」

史跡
「高野山町石」


参詣道

高野山町石道


次に「高野山」について
高野山(こうやさん)は、和歌山県伊都郡高野町にある標高約1,000m前後の山々の総称。平安時代の弘仁10年(819年)頃より弘法大師空海が修行の場として開いた高野山真言宗、ひいては比叡山と並び日本仏教における聖地である。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)をはじめ117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。

平成16年(2004年)7月7日、高野山町石道と山内の6つの建造物が熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界文化遺産に登録された。

地理
地名としての「高野山」とは、八葉の峰(今来峰・宝珠峰・鉢伏山・弁天岳・姑射山・転軸山・楊柳山・摩尼山)と呼ばれる峰々に囲まれた盆地状の平地の地域を指す(行政上の字名としての「高野山」もおおよそこれと同じ地域である)。8つの峰々に囲まれているその地形は『蓮の花が開いたような』と形容されており、仏教の聖地としては「八葉蓮台」という大変良い場所であるとされている。転軸山・楊柳山・摩尼山の三山を高野三山という。なお、高野山という名称の山は無い。

主な施設・寺院
壇上伽藍(壇場伽藍)
空海が曼荼羅の思想に基づいて創建した密教伽藍の総称であり、高野山の二大聖地の一つである(ほかの一つは奥の院)。金堂は高野山全体の総本堂で高野山での主な宗教行事が執り行なわれる。ほかに大塔、御影堂、不動堂などが境内に立ち並び、不動堂は世界遺産に登録されている。また、弘法大師伝説のひとつである飛行三鈷杵がかかっていたとされる「三鈷の松」や、高野四郎(俗称)と呼ばれる大鐘楼も伽藍に存する。

奥の院
弘法大師の御廟と灯籠堂がある(世界遺産)。参道には、皇室、公家、大名などの墓が多数並び、その総数は正確には把握できないものの、20万基以上はあると言われている。戦国大名の6割以上の墓所がある。奥の院の入り口は一の橋と中の橋の2箇所があるが、正式には一の橋から参拝する。一の橋から御廟までは約2kmの道のりとなっている。その途上には「みろく石」などの七不思議と呼ばれる場所がある。

金剛峯寺
高野山真言宗の総本山で座主の住寺(世界遺産)。金剛峯寺は元は高野山全体の称だが、現在金剛峯寺と呼ばれるのは明治2年(1869年)に2つの寺院が合併したもの。もと青巖寺(剃髪寺)と呼ばれた寺院は文禄2年(1593年)、豊臣秀吉の建立、文久3年(1863年)、再建。歴代天皇の位牌や高野山真言宗管長の位牌をまつっている。大主殿、別殿、新別殿と分かれており、別殿では観光客に湯茶の施しがある。襖に柳鷺図のある柳の間は豊臣秀次の自刃の間。屋根の上に置かれた防火用の水桶は、かつては高野山全域で見られたが今も置かれているのはここのみ。また、金剛峯寺境内にある「蟠龍庭」(2,340m2)は日本最大の石庭。

大門(だいもん)
高野山全体の総門。1705年再建。国の重要文化財と世界遺産に指定されている。

苅萱堂(かるかやどう)
苅萱道心と石童丸の哀話の舞台として知られる。

徳川家霊台
寛永20年(1643年)、徳川家光の建立。家康と秀忠の霊廟がある。世界遺産に登録されている。 女人堂 女人禁制の時代は女性はここまでしか入れなかったとされている。

金剛三昧院
建暦元年(1211年)、北条政子の発願による建立。源頼朝と実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝・世界遺産)がある。

高野山霊宝館
高野山上にある国宝、重要文化財等の保存・展示が行われており、定期的にテーマを絞った展示会が開催される。なお、現在の日本の国宝の2%は高野山上にある(1073件中、23件)。大正10年(1921年)、開設。



ここで僕の大好きな国宝について

金剛峯寺所有

不動堂 - 建久8年(1197年)ないしは建久9年(1198年)の建立。当初は高野山内の五の室院谷にあり、1908年(明治41年)に現在地に移築された。桧皮葺(ひわだぶき)、入母屋造の住宅風仏堂である。国宝の八大童子像はここに安置されていたが、現在は高野山霊宝館に移されている。

仏涅槃図 - 1951年6月国宝指定 平安後期の仏涅槃図。法量は縦267.6センチメートル、横271.2センチメートル。伝来経緯は不明だが、諸宗寺院において涅槃図を本尊とした涅槃会が普及した平安後期にあたる応徳3年(1086年)の銘があり、日本における在銘仏画として最古のもの。

善女竜王像(絵画) - 1953年11月国宝指定 平安後期の絵仏師定智の作。旧裏書や『続宝簡集』によれば久安元年(1145年)の製作で、作者の判明する平安仏画としても類例が少ない。真言密教の雨乞い儀礼である請雨経法に関係し、「御遺告」にも登場する善女竜王を描いた仏画。現在では色彩が剥落しているが、模本の存在からかつては色彩豊かであったと考えられている。

木造八大童子立像 もと不動堂に安置されていた。八大童子は不動明王の眷属。8体のうち6体が:鎌倉時代の作(残り2体は時代が下る)で、作風等から運慶一門の作と推定される。

諸尊仏龕(しょそんぶつがん) - 1964年5月国宝指定 7世紀(唐代)の仏龕(枕本尊)。木造一基。高さ23センチのビャクダン材に精緻な浮き彫りで多くの仏像を表しており、中国的要素が見られる。空海が唐から持ち帰った文物を記した「御請来目録」には仏龕の記載があり、これを本仏龕に比定する説もある。

聾瞽指帰(ろうこしいき) - 空海青年期の著作で、空海の自筆本である。

金銀字一切経4296巻 - 平泉の中尊寺にあったもの。紺色に染めた紙に、一行おきに金字と銀字で書いた写経。12世紀の作。

法華経巻第六 - 色変わりの華麗な用紙に書かれた写経。12世紀の作。

宝簡集・続宝簡集・又続宝簡集 高野山の歴史、所領、行事などに関わる古文書(こもんじょ)を巻物の形に整理したもの。西行(寺域内の草庵で修行した)、源頼朝、源義経を始めとする歴史上の著名人の自筆書状を含む。

沢千鳥蒔絵小唐櫃(さわちどりまきえこからびつ) - 平安後期の漆工芸品。

子院所有分

金剛三昧院 金剛三昧院多宝塔 - 貞応2年(1223年)頃の建立。

有志八幡講 絹本著色五大力菩薩像 - 平安後期の仏画

絹本著色阿弥陀聖衆来迎図 - 浄土信仰に基づく平安後期の仏画。もと比叡山にあったが、信長の比叡山焼き討ちの後、高野山に移された。

蓮華三昧院 絹本著色阿弥陀三尊像 - 平安後期の仏画。

普門院 絹本著色勤操僧正像 - 勤操(ごんそう)は空海の師。この画像は12世紀の作。

龍光院 絹本著色伝船中湧現観音像 - 平安後期の仏画。

紫紙金字金光明最勝王経 - 聖武天皇が各地の国分寺に安置させた「国分寺経」の遺品。どこの国分寺にあったものかは不明。

大字法華経 - 奈良時代の写経。

細字金光明最勝王経 - 細字(さいじ)は細かい文字の意。9世紀の写経。

三宝院 不空羂索神変真言経 - 奈良時代の写経。

正智院 文館詞林残巻 - 唐時代の詩集を日本で弘仁14年(823年)に書写したもの。この詩集は中国には遺品がなく、日本にだけ伝わる点で貴重。

宝寿院 文館詞林残巻

遍照光院 紙本著色山水人物図 - 江戸時代の文人画家・池大雅が描いた襖絵。




まあざっと「高野山」についておわかりいただけたでしょうか。

とにかく山全体を指して「高野山」ということです。

しかしざっくり山上の宗教都市を分けるとすると、まずは「壇上伽藍」と「金剛峯寺」周辺、次にたくさんある山内寺院、そして「奥の院」の3つでしょうか。

この一つ一つをとっても奥が深すぎて簡単にはまとめることはできないのが「高野山」なんです。

ぼちぼち順に書いていきます。




とても険しくカーブが連続する山道を車で上り詰めるとまずは「高野山」の玄関口「大門」がその姿を表します。
高野山
「大門」


高野山


高野山高野山


この「大門」をくぐるといよいよ「高野山」です。

本当にワクワクしました。

こんな山の上にこんなすばらしい街があるとは本当にすごいことです。

しかも「弘法大師」がこの地に道場を開いたのは1200年も前のことですからね。

やはり人というものはこれぐらい人里から離れないとさとれないものなのでしょうか?

この「世界遺産と国宝の旅」をはじめて以来人物として最も興味を持ったのが弘法大師「空海」です。

僕が今までに訪れたスポットでどれだけこの人の名前を見たり聞いたりしたことでしょう。

その弘法大師が開いた「高野山」です。

ワクワクしないわけがありません。

今日は少しでも「お大師様」に近ずけることができるでしょうか。

いろんなことを考えながらもう少し車を走らせると左に「壇上伽藍」右に「霊宝館」があります。

ここがまず第一のスポットです。

さらにもう少し行った所に無料の駐車場があるのでそこに車を止めました。

時刻は8時半でした。

さあいよいよ「高野山」です。

まずは「壇上伽藍」と呼ばれる弘法大師「空海」が開いた道場の元を探索します。

しかしこの続きは次回ということで。

拝観料 堂内拝観 500円 山内共通券(金剛峯寺、霊宝館、根本大塔、徳川家霊台、大師教会本部、金堂) 1500円

駐車場 あります(無料)

時間  8:30~17:30(11~4月は~16:30)







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