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園城寺(おんじょうじ)の国宝「智証大師坐像」(中尊大師)

まずは園城寺の様子を動画でご覧ください。
動画を見るには画面中央をクリックしてください。





2011.10.29 滋賀県の「園城寺」(三井寺)に行ってきました。

なぜ「園城寺」かといいますと、この日は僕が恋焦がれていた国宝「智証大師坐像」(中尊大師)が開帳される日なんです。

年に1日だけの開帳が土曜日で良かったです。

この日は久々に奥さんと一緒に滋賀をめぐりました。

まず車で長浜市にある「渡岸寺」(向源寺)に行きました。

奥さんが「観音様を見たい」というのでここを選びました。

やはり素晴らしい国宝「十一面観音立像」でした。

そのあと「長浜城」や「小谷城址」にも立ち寄りました。

そしていよいよ「園城寺」です。

「園城寺」はこれで3回目の探索になります。

滋賀県ではここが1番好きなお寺です。

園城寺について

ウィキペディアより
園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市にある、天台寺門宗の総本山。山号を「長等山(ながらさん)」。

開基は大友与多王、本尊は弥勒菩薩。日本三不動の一である黄不動で著名な寺院で、観音堂は西国三十三箇所観音霊場の第14番札所です。また、近江八景の1つである「三井の晩鐘」でも知られます。

歴史

三井寺は7世紀に大友氏の氏寺として草創され、9世紀に唐から帰国した留学僧円珍(天台寺門宗宗祖)によって再興されました。三井寺は平安時代以降、皇室、貴族、武家などの幅広い信仰を集めて栄えましたが、10世紀頃から比叡山延暦寺との対立抗争が激化し、比叡山の宗徒によって三井寺が焼き討ちされることが史上度々ありました。近世には豊臣秀吉によって寺領を没収されて廃寺同然となったこともありますが、こうした歴史上の苦難を乗り越えてその都度再興されてきたことから、三井寺は「不死鳥の寺」と称されています。

三井寺の起源については、次のように伝承されています。大津京を造営した天智天皇は、念持仏の弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立しようとしていましたが、生前にはその志を果たせませんでした。天皇の子の大友皇子(弘文天皇)も壬申の乱のため、25歳の若さで没しています。大友皇子の子である大友与多王は、父の菩提のため、天智天皇所持の弥勒像を本尊とする寺の建立を発願しました。壬申の乱で大友皇子と敵対していた天武天皇は、朱鳥元年(686年)この寺の建立を許可し、「園城寺」の寺号を与えました。「園城」という寺号は、大友与多王が自分の「荘園城邑」(「田畑屋敷」)を投げ打って一寺を建立しようとする志に感じて名付けたものといいます。なお、「三井寺」の通称は、この寺に涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから「御井」(みい)の寺と言われていたものが転じて三井寺となったという。現在の三井寺には創建時に遡る遺物はほとんど残っていない。しかし、金堂付近からは、奈良時代前期に遡る古瓦が出土しており、大友氏と寺との関係も史料から裏付けられることから、以上の草創伝承は単なる伝説ではなく、ある程度史実を反映したものと見ることができます。

三井寺では、他宗で「管長」「別当」などと呼ばれる、一山を代表する僧のことを「長吏」(ちょうり)と呼んでいます。貞観元年(859年)、三井寺初代長吏に就任し、その後の三井寺の発展の基礎を築いたのが、智証大師円珍です。円珍は、弘仁5年(814年)、讃岐国那珂郡(香川県善通寺市)に生まれました。俗名は和気広雄、母方の姓は佐伯氏で、円珍の母は弘法大師空海の妹(もしくは姪)にあたります。幼時から学才を発揮し神童と呼ばれた広雄は、15歳で比叡山に登り、初代天台座主(てんだいざす)義真に入門。19歳の時に国家公認の正規の僧となり、円珍と改名しました。その後、比叡山の規定に従って「十二年籠山行」(12年間、比叡山から下りずにひたすら修行する)を終えた後、大峯山や熊野三山を巡って厳しい修行をします。このことから三井寺は修験道とも深い繋がりを持っています。仁寿3年(853年)には唐へ留学して6年間、各地で修行。青龍寺の法全(はっせん)から密教の奥義を伝授されました。天安2年(858年)、円珍は多くの経巻、図像、法具を携えて日本へ帰国しました。翌貞観元年(859年)、大友氏の氏寺であった三井寺に「唐院」(とういん)を設置。寺を整備して修行の道場とすると共に、唐から請来した経典や法具を唐院に収蔵しました。貞観8年(866年)、太政官から円珍に伝法の公験(くげん、証明書)が与えられました。顕教、密教に加えて修験道を兼学する円珍の伝法は、これによって政府の公認を得たわけであり、天台寺門宗ではこの時をもって開宗と見なしています。貞観10年(868年)、円珍は天台宗最高の地位である天台座主に就任。以後、没するまでの24年間、その地位にありました。

円珍の没後、比叡山は円珍の門流と、慈覚大師円仁の門流との2派に分かれ、両者は事あるごとに対立するようになりました。円珍の没後1世紀あまりを経た正暦4年(993年)には、円仁派の僧たちが比叡山内にあった円珍派の房舎を打ち壊す騒動があり、両派の対立は決定的となり、円珍派は比叡山を下りて、三井寺に移りました。比叡山延暦寺を「山門」と別称するのに対し三井寺を「寺門」と称することから、両者の対立抗争を「山門寺門の抗争」などと呼んでいます
。比叡山宗徒による三井寺の焼き討ちは永保元年(1081年)を始め、中世末期までに大規模なものだけで10回、小規模なものまで含めると50回にも上るといいます。

三井寺は、平安時代には朝廷や貴族の尊崇を集め、中でも藤原道長、白河上皇らが深く帰依したことが知られている。これら勢力者からの寄進等による荘園多数を支配下におき、信州善光寺も荘園末寺として記録に著れる。中世以降は源氏など武家の信仰も集めた。源氏は、源頼義が三井寺に戦勝祈願をしたことから歴代の尊崇が篤く、源頼政が平家打倒の兵を挙げた時にはこれに協力し、平家を滅ぼした源頼朝も当寺に保護を加えている。頼朝の意思を継いだ北条政子もこの方針を継承し、建保元年(1214年)に延暦寺に焼き払われた園城寺を大内惟義・佐々木広綱・宇都宮蓮生ら在京の御家人に命じて直ちに再建させています。しかし、園城寺で僧侶として育てられていた源頼家の子公暁が叔父である源実朝を暗殺するという事件を起こしたために、以後鎌倉幕府より一時冷遇を受けました。だが、北条時頼の信頼が厚かった隆弁が別当に就任すると再興され、続く南北朝の内乱でも北朝・足利氏を支持したことから、室町幕府の保護を受けました。両幕府のこの厚遇は、強力な権門である延暦寺の勢力を牽制するために園城寺に対して一定の支援をすることが必要であると考えられていたからだと言われています。

文禄4年(1595年)、三井寺は豊臣秀吉の怒りに触れ、欠所(寺領の没収、事実上の廃寺)を命じられています。三井寺が何によって秀吉の怒りを買ったものかは諸説あって定かではありません。この結果、三井寺の本尊や宝物は他所へ移され、金堂をはじめとする堂宇も強制的に移築された。当時の三井寺金堂は比叡山に移され、延暦寺転法輪堂(釈迦堂)として現存しています。慶長3年(1598年)、秀吉は自らの死の直前になって三井寺の再興を許可しています。これは死期を悟った秀吉が、霊験あらたかな三井寺の祟りを恐れたためとも言われています。秀吉の再興許可を受け、当時の三井寺長吏・道澄が中心となって寺の再興が進められました。現在の三井寺の寺観は、ほぼこの頃に整えられたものです。

明治維新後は天台宗寺門派を名乗っていたが、1946年以降は天台寺門宗総本山となっています。


ここで僕の大好きな国宝をご紹介します。

建造物
*金堂
*新羅善神堂
*勧学院客殿
*光浄院客殿

彫刻
*智証大師坐像(中尊大師)
*智証大師坐像(御骨大師)
*新羅明神坐像

その他
*絹本着色不動明王像(黄不動)
*五部心観2巻
*智証大師関係文書典籍
以上


なにはともあれ今日は「智証大師坐像」(中尊大師)です。

年に1日きりしか見ることが出来ない秘仏です。

駐車場に車を止めたのが、午後2時前ぐらいだったでしょうか。

駐車場の人に「まだ見られますか?」と聞くと「もう法要は終わったんで見れません」という返事。

ショックで倒れそうになりました。

こんなことなら1番最初に来ればよかったと肩を落としながら受付へ。

ダメもとで「もうみれませんよね?」と聞くと「まだ今なら見れますよ」という答え。

「さっきの駐車場のオッサン殺すぞ!」ぐらいの気持ちになりました。

ショックで一旦このまま帰ろうかなぐらい思いましたからね。

また1年またなければならないところでした。

しかも来年の10月29日が平日やったら最悪なところです。

まああんなオッサンのことはほっといてとにかく「智証大師円珍」が待つ?「唐院」へ。

高野山
「灌頂堂」

「灌頂堂」ではまだたくさんのお坊さんがいらっしゃってお教があげられていました。

その奥にある「大師堂」の中央の厨子に国宝「智証大師坐像」(中尊大師)はいらっしゃいました。

この「大師堂」も普段は近づけないので間近にみることはできません。

園城寺
「大師堂」

国宝「智証大師坐像」(中尊大師)
唐院大師堂の中央の厨子に安置。秘仏で、毎年10月29日の円珍の命日にのみ開扉されます。卵形の頭の形と細い眼が特徴の独特の風貌は、各地に残る円珍の肖像に共通のものです。この像はもと比叡山内の山王院(千手院)にあったと言われ、円仁(慈覚大師)門徒と円珍門徒の抗争激化のため、円珍門徒が比叡山を下りた正暦4年(993年)に三井寺に移されたものと言われています。ただし、作風的には10世紀後半頃のものと見られ、正暦4年頃に三井寺で新たに造像されたとの見方もあります。1989年~1990年の「智証大師一千百年御遠忌記念三井寺秘宝展」で公開されたほか、1986年に開催された「開創千二百年記念比叡山と天台の美術」展でも公開されたことがある。

感動です。

秘仏を見られるということは本当に大変でラッキーなことです。

なんか御利益もありそうな気もします。

薄暗い厨子の中におられる大師は輝いておられました。

想像していたより綺麗で黒く輝く像でした。

仏様の像とは少々違う良さがあります。

「東大寺」の「良弁僧正坐像」「俊乗上人坐像」、「興福寺」の「法相六祖坐像」など人物の像の国宝彫刻もたくさんあります。

しかしこの「智証大師坐像」(中尊大師)の左の厨子におられるもう一つの国宝「智証大師坐像」(御骨大師)も見てみたいものです。

国宝「智証大師坐像」(御骨大師)
唐院大師堂内、中尊大師像の向かって左に安置されています。秘仏で、特別な行事の時以外、開扉はされません。荼毘に付した円珍の遺骨を納めるところから「御骨大師」と呼ばれて寺内で尊崇され、出版物への写真掲載は制限されています。中尊大師像より古く、9世紀末、円珍没後まもない頃の作と思われます。

死ぬまでに1度ぐらい見ることができませんかね?

「新羅善神堂」に安置されている国宝「新羅明神坐像」と共に。

国宝「新羅明神坐像」
新羅善神堂に安置。秘仏で、特別な行事の時以外、開扉はされません。円珍が日本へ帰国する際、船中に現れた神とされます。長いあごひげを蓄え、目尻の下がった異様な相貌、異様に細く長い指など、極めて特殊な像容を示し、日本彫刻史の中でも異彩を放っています。平安時代後期、11世紀頃の制作と推定されます。1989年~1990年の「智証大師一千百年御遠忌記念三井寺秘宝展」で公開されたほか、1986年に開催された「開創千二百年記念比叡山と天台の美術」展でも公開されたことがあります。

しかしまあ駐車場ではどうなることかと思った僕でしたが、もうそんなこと全て忘れるほど胸が高鳴りました。

そして充実感いっぱいで「唐院」をあとにしました。

悪いことの後にはいいことがあるって言いますが、本当にこの後もう一ついいことがおこりました。

それは「唐院」から程近くの国宝「勧学院客殿」の前にさしかかった時でした。

いつもは屋根ぐらいしか見ることが出来ない国宝「勧学院客殿」でこの日は「お茶会」が行われていました。

園城寺


園城寺
国宝「勧学院客殿」


国宝「勧学院客殿」(かんがくいんきゃくでん)
慶長5年(1600)
桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、妻入、正面軒唐破風付
中門 桁行一間、梁間一間、一重、切妻造 総こけら葺
唐院の南隣に位置する。慶長5年(1600年)の建立。桃山時代の書院造建築の代表作とされています。障壁画は狩野光信を中心とする狩野派一門の作です。

僕が「こういうところは特別な人しか入られへんねんで」と奥さんに言っていたら門の前にいらっしゃった着物姿の女性に「よかったら中でお茶よばれていってください」というお言葉をいただきました。

夢かと思いました。そして「いいんですか?」とすかさず聞き返しました。

「どうぞどうぞ」ということですので遠慮もなく中へ。

ちょっとした自慢になりますかね?

本当に普段は公開されていませんからね。

特別な時に予約で見られるぐらいですから。

緊張しながら中へ入りました。

さすがに写真は撮ってもいいかすら聞けませんでした。

中のお庭と龍の絵や眠り猫の絵を見ながら待っているとお声がかかりました。

「もうお手前のほうは終わりましたんでよろしかったらこちらでどうぞ」と言われましたので言われるがままに縁側に置かれたテーブルにお庭を眺めながら腰掛けました。

ふと後ろを振り返ると本当に見事な襖絵がありました。

前のお客さんは帰られましたので僕と奥さんの2人で独占状態でした。

お茶ですがくるくるかき混ぜるようなものではなく普通にきゅうすに入った煎茶でした。

お菓子と共においしくいただきました。

本当に贅沢三昧でした。

普段は見ることもできない国宝建造物の中で夫婦2きりで綺麗な庭を眺めながらお茶をいただくんですから。

もう二度とないでしょうね。

さらに「園城寺」が好きになった僕でした。

国宝「勧学院客殿」を後にした僕たちはその他の名所を散策しました。

過去2回でもご紹介しましたが、ちょこっと紹介します。

園城寺

園城寺
国宝「園城寺金堂」


国宝「園城寺金堂」(おんじょうじこんどう)
慶長4年(1599)
桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、向拝三間、檜皮葺
三井寺再興を許可した豊臣秀吉の遺志により、高台院が慶長4年(1599年)に再建した。入母屋造、檜皮葺きの和様仏堂である。

あらためてみてやはり綺麗な屋根だなと思います。

形も抜群です。

園城寺
「鐘楼」

金堂の左手前にあり、「三井の晩鐘」で知られる梵鐘を吊る。この梵鐘は慶長7年(1602年)の鋳造で、平等院鐘、神護寺鐘と共に日本三名鐘に数えられている。

園城寺
「閼伽井屋」(あかいや)


園城寺

「閼伽井屋」の正面にある「左甚五郎」の龍の彫刻です。

園城寺
「一切経蔵」

もとは国清寺の経蔵で、慶長七年(1602)に毛利輝元によって移築されたものです。

園城寺
「三重塔」

慶長二年(1597)、豊臣秀吉によって伏見城に移築された大和の比蘇寺の塔を慶長五年に徳川家康が三井寺に寄進したものです。

園城寺
「観音堂」

西国三十三箇所観音霊場の第十四番礼所。本尊は如意輪観音。

園城寺


園城寺


園城寺
「毘沙門堂」

毘沙門堂は、もともと園城寺五別所のひとつ尾蔵寺の南勝坊境内に元和二年(1616)に建立され、明治以降に三尾社の下に移築、戦後の修理に際して現在地に移りました。

とにかく今回は国宝「智証大師坐像」(中尊大師)が見られたことが最大の喜びでした。

これで僕が肉眼で拝観した国宝彫刻は近畿2府4県の国宝彫刻121件のうち110件になりました。

残り11件です。

これからの1件1件は難関揃いです。

死ぬまで見られないものもあるかもしれません。

しかし見られることを夢見て生きていきたいと思います。

またこれから次のターゲットを考えます。

紅葉の京都もいいですね。

それではまた!

拝観料 大人500円、中高生300円、小学生200円

駐車場 あります(有料) 1日500円

時間 8:00~17:00







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