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番外編 西国三十三箇所巡礼 第四番札所 槇尾山 施福寺(せふくじ)の御朱印

まずは施福寺の様子を動画でご覧ください。

動画を見るには画面真ん中をクリックしてください。


2012.2.4から始めた「西国三十三箇所巡礼」の旅。

早速次の週2012.2.11にも行っちゃいました。

この日回ったお寺は、大阪府和泉市の「施福寺」と和歌山県紀の川市の「粉河寺」、和歌山県和歌山市の「護国院」(紀三井寺)の3箇所です。

この日は車での探索にしました。

午前7時過ぎに自宅を出発。

8時半ぐらいには「施福寺」の駐車場に到着していたでしょうか。

正直僕も東大阪でも生駒山の麓近くに住んでいるのでまあ田舎の方だと思ってましたけど、ここ「施福寺」のある和泉市というところは「ここ大阪府ですか?」とききたくなるようなぐらいのところでした。

カーナビ君が無いと一発ではたどり着けないような感じの山中に「施福寺」の駐車場はあります。

さらにそこから「施福寺」までは徒歩30分と書いてありました。

今までの経験から「これは登山やな」と察しました。

この日もかなりの冷え込みだった上に「登山」ですので先が思いやられるなあと思いました。

この前も書きましたが、はっきり言って僕は初めてのお寺に行くからといって下調べはしません。

何も知らないで行った方が感動も大きいと思うからです。

しかしその逆もあります。

例えばこの「施福寺」のように山の上にあるなんて全く知らないできて結構嫌いな「登山」をしなければならない時です。

結構ショックはきついです。

しかしいやだろうとなんだろうと登らねばならんのなら登るのが僕です。

施福寺


早速気合を入れて結構急な坂道を歩き始めました。

湧き水が岩肌に流れたところが凍ってつららが出来るほどの寒さです。

1年半前からタバコはやめたんですが、やっぱりぜいぜいいいます。

倒れそうになりながらも坂道を登っていくと、「仁王門」らいしきものが見えてきました。

施福寺
「仁王門」


施福寺
「お迎え観音」


施福寺


結構早かったなと思ったのもつかの間でした。

ここからがまた長かったんです。

しかし僕より明らかにお年を召した方がガンガン登っていかれるのには驚きでした。

ていうか、僕の体力がなさすぎるのか。

とにかくきつい上り坂でした。

施福寺


施福寺
「弘法大師姿見の井戸」


さらに坂を登っていくとようやく建物が見えてきました。

それではここで「ウィキペディア」の説明文を引用して「施福寺」についいて


施福寺(せふくじ)は、大阪府和泉市にある天台宗の仏教寺院。通称槇尾寺(まきおでら、まきのおでら)。山号は槇尾山(まきのおさん)。本尊は弥勒菩薩(札所本尊は千手観音)。槇尾山の山腹に位置する。西国三十三箇所観音霊場の第四番札所である。

歴史

創建伝承

古くは槇尾山寺と呼ばれた山岳寺院で、葛城修験系の寺院として創建されたものとみられる。南北朝時代成立の寺史である『槇尾山大縁起』(正平15年・1360年書写)によると、施福寺は欽明天皇の時代、播磨国加古郡の行満上人が創建したものであるという。

札所本尊の千手観音像については、次のような説話が伝承されている。宝亀2年(771年)のこと、当時槇尾山寺に住していた摂津国の僧・法海のもとに、一人のみすぼらしい格好をした修行僧があらわれ、夏安居(げあんご)の期間をこの寺で過ごさせてくれと頼んだ。この修行僧は客僧として槇尾山寺に置いてもらえることとなり、夏安居の期間、熱心に修行に励んだ。予定の期間が終わって寺を辞去しようとする際、客僧は帰りの旅費を乞うたが、寺僧たちはそれを拒んだ。すると、客僧は怒り出し、「何ということだ。この寺は、見かけは立派だが、真の出家者などはいないではないか。このような寺はいずれ滅び去り、悪鬼の棲家となるであろう」と叫んで、出て行ってしまった。驚いた法海が後を追うと、修行僧ははるかかなたの海上を、沈みもせずに歩いている。これを見た法海は、あの修行僧は自分らを戒めるために現れた観音の化身であったと悟り、千手観音の像を刻んで祀ったという。

縁起には役小角(役行者)、行基、空海(弘法大師)などに関わる伝承もある。役小角については、彼が自ら書写した法華経の巻々を葛城山の各所の秘密の場所に埋納し、最後に埋めたのがこの山であったことから巻尾山(槇尾山)の名が付いたとする、地名起源伝承がある。また、空海は延暦12年(793年)、20歳の時、槇尾山寺において勤操(ごんそう)を導師として出家剃髪し、沙弥戒を受けたとする伝えがある。空海の当地における出家剃髪は史実とは認めがたいが、空海が唐からの帰国後、都に戻る直前の大同4年(809年)頃、当寺に滞在した可能性は別の史料から指摘されている。縁起には、延喜16年(916年)、定額寺に定められるとするが、施福寺は度重なる火災で古記録が失われており、これも史実か否か不明である。

以上のように、施福寺の初期の歴史は伝説色が濃く、判然としないが、『日本霊異記』に言及されている「和泉国泉郡の血渟(ちぬ)の山寺」は当寺のこととされ、同書の成立した9世紀前半には著名な寺院であったことが伺われる。

中世以降

正嘉年間(1257 - 1259年)、後白河上皇所縁の法華経と仏像が奉納されたことが縁起に見え、寺が所蔵する「法華経妙音菩薩品」(平安時代の装飾経)がそれにあたると推定されている。仁治年間(1240 - 1243年)には、仁和寺菩提院の僧・行遍によって灌頂堂(密教の師資相承の儀式を行う堂)が建立されており、中世には当寺は仁和寺の支配下にあった。

南北朝時代には南朝方の拠点の一つとなり、寺の衆徒も南朝方に与した。そのため戦火に巻き込まれることが多く、寺は衰亡した。天正9年(1581年)には織田信長と対立したことが原因で一山焼き払われるが、豊臣秀頼の援助により、慶長8年(1603年)に伽藍が復興された。

近世には徳川家の援助で栄え、その関係で寛永年間頃に真言宗から天台宗に改宗、江戸の寛永寺の末寺となった。江戸時代末期の弘化2年(1845年)の山火事で仁王門を除く伽藍を焼失。現在の本堂等はその後に再建されたものである。


ここで施福寺の御朱印です。
施福寺


そして御詠歌です。

「深山路や 檜原松原 わけゆけば 槇の尾寺に 駒ぞいさめる」

そしてご本尊は

「千手千眼観世音菩薩」

です。



登り始めた頃は大変寒かったんですが、今はもう汗だくになっていました。

そしてようやく初めての建物に到着です。

「愛染堂」です。

施福寺
「愛染堂」


そして「愛染堂」のすぐ上には「弘法大師御髪堂」があります。

施福寺
「弘法大師御髪堂」


先ほどの説明文にもあったように空海は延暦12年(793年)、20歳の時、槇尾山寺において勤操(ごんそう)を導師として出家剃髪し、沙弥戒を受けたとする伝えがあるそうです。

そしてここから最後の階段を上りきるとようやく「本堂」に到着します。

施福寺
「施福寺本堂」

現在の本堂は弘化2年(1845年)の焼失後、安政年間(1854 - 1860年)に復興されたものである。本尊は弥勒菩薩、両脇に千手観音と文殊菩薩を安置し、このうち千手観音が西国三十三箇所の札所本尊となっている。西国札所巡礼の中興者とされる花山法皇を馬が道案内をしたと伝えられており、本尊と背中合わせの後堂(本堂の裏側)には馬頭観音が安置されている。

この「本堂」周辺のわずかなところだけが平地になっている「施福寺」です。

本当に淋しい所にポツンとあるという感じです。

その他の建物です。

施福寺
西国三十三箇所観音堂」


そして「本堂」裏手の少し小だかいところ2つのお堂があったんですが、たしかどちらかが「大師堂」だったと思います。

施福寺


施福寺
「槇尾明神」


施福寺

施福寺


これでほとんど全てだといっていいと思います。

そして本堂にある「納経所」でお目当ての御朱印をいただきました。

これだけしんどいおもいをしてたどり着いただけに感慨ひとしおというところです。

施福寺
「納経所」


御本尊に手を合わせたあと山を降り始めました。

降りはじめてすこしのところで素晴らしい風景が見えました。

施福寺


この1点だけというスポットです。

こんな淋しいところです。

ここで修行されていた方にとってこの景色だけが癒やしだったんではないでしょうか。

それぐらい素晴らしい風景でした。

ここ「施福寺」は今まで訪れたお寺の中でもかなりの急斜面だったと思います。

駐車場に戻ったころには膝が笑ってました。

出来れば2度と登りたくなくなるほどでした。

でももしかしたらまた来てしまうかも。

それはわかりません。

一服したあと次の目的地「粉河寺」を目指し車を走らせる僕なのでした。

しかしこの続きは次回ということで。

それではまた!

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施福寺(せふくじ)大阪府和泉市槙尾山町136 TEL0725-92-2332

アクセス 南海難波駅内 泉北高速、和泉中央駅下車 槙尾山口行きの南海バスで槙尾中学校前で下車 シャトルバスに乗換え終点で下車、徒歩約30分
南海本線泉大津駅よりバス槙尾山行 約1時間

駐車場 あり 無料

拝観料 境内自由 

拝観時間 12月1月2月末日 8:00~16:00
     3月~11月末日 8:00~17:00










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