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番外編 西国三十三箇所巡礼 第三番札所 風猛山 粉河寺(こかわでら)の御朱印

まずは粉河寺の様子を動画でご覧ください。

動画を見るには画面真ん中をクリックしてください。


2012.2.11 「西国三十三箇所巡礼」の続きをご紹介します。

「施福寺」を後にした僕は次の目的地「粉河寺」を目指しカーナビ君の言うがままに車を走らせました。

途中「こんなところ走って行って大丈夫かな?」というような山道を走りました。

しかもかなりの寒さで路面は時々雪がうっすら積もっているような状態でした。

自分が今どこを走っているかもまったくわからないままの運転は真剣に怖かったです。

しかしなんとかカーナビ君のおかげで「粉河寺」に到着できました。

大きな朱塗りの「大門」が見えてきました。

粉河寺
「大門」


それではここで「ウィキペディア」の説明文を引用して「粉河寺」について


粉河寺(こかわでら)は、和歌山県紀の川市粉河にある天台系の寺院。西国三十三箇所第三番札所。山号は風猛山(ふうもうざん、かざらぎさん)。宗派は天台宗系の粉河観音宗総本山。

本尊は、千手千眼観音菩薩。伝承によれば創建は宝亀元年(770年)、大伴孔子古(おおとものくじこ)によるとされる。

歴史

草創の縁起は『粉河寺縁起絵巻』(国宝)に伝えられている。

「粉河寺縁起」には2つの説話が語られている。1つ目の話は粉河寺の草創と千手観音の由来に関するものである。紀伊国の猟師・大伴孔子古は宝亀元年(770年)のある日、山中に不思議な光を発する場所を見つけて、そこに小さな庵を営んだ。これが粉河寺の始まりという。その後のある日、孔子古の家に一人の童子(童男行者)が訪ねて来て、一晩泊めてくれと言う。童子は宿を借りたお礼にと言って、7日かけて千手観音の像を刻んだ。8日目の朝、孔子古が見てみると童子の姿はなく、金色の千手観音の像だけがあった。孔子古は殺生をやめて観音を信仰するようになったとのことである。

2つ目の話は千手観音の霊験説話である。河内国の長者・佐太夫の娘は重い病で明日をも知れぬ命であった。そこへどこからともなく現れた童行者が千手千眼陀羅尼を称えて祈祷したところ、娘の病は全快した。喜んだ長者がお礼にと言って財宝を差し出すが童行者は受け取らず、娘の提鞘(さげざや、小太刀)と緋の袴だけを受け取り、「私は紀伊国那賀郡におります」と言って立ち去った。長者一家が那賀郡を尋ねて行くと、小さな庵に千手観音像が立ち、観音の手には娘の提鞘と緋の袴があった。長者一家は、あの行者が観音の化身であったことを知ってその場で出家し、孔子古とともに粉河寺の繁栄に尽くしたとのことである。

以上の説話がどこまで史実を反映したものかは定かでないが、粉河寺は平安時代には朝廷や貴族の保護を得て栄えたことは確かである。清少納言の『枕草子』194段には「寺は壺坂、笠置、法輪(中略)石山、粉川、志賀」とあり、『梁塵秘抄』に載せる今様には、「観音験(しるし)を見する寺、清水、石山、長谷の御山、粉河(後略)」とある。西行の『山家集』や、架空の物語である『うつほ物語』『狭衣物語』にも粉河寺への言及があるなど、遅くとも平安時代中期・10世紀には観音霊場として著名であったことがわかる。平安時代後期には、その頃から始まった西国三十三箇所観音霊場巡りの札所の1つとして栄えた。

天正13年(1585年)、豊臣秀吉が紀州に攻め入り、根来寺や雑賀衆とともに抵抗したものの全山焼失した。この時、粉河寺縁起絵巻も焼損した。正徳3年(1713年)にも火災があり、現在の伽藍はほとんどがそれ以降の江戸時代の再建である。

大門から南に約1キロメートル続くJR粉河駅前通は、門前町として栄えたが、県道の拡幅工事により、かつての面影はなくなってしまっている。



ここで粉河寺の御朱印です。

粉河寺


そして御詠歌です。

「父母の 恵みも深き 粉河寺 ほとけの誓ひ たのもしの身や」

そして御本尊は

「千手千眼観世音菩薩」

です。


粉河寺


駐車場に車を止めて、まずは「大門」へ。

「大門」をくぐると「不動堂」があります。

粉河寺
「不動堂」


「不動堂」から右へ曲がり川に沿って1列にお堂や仏像などが並びます。

粉河寺

粉河寺
「童男堂」
粉河寺

粉河寺
「念仏堂」(光明殿)
粉河寺
「太子堂」
粉河寺


そして立派な門が見えてきました。

粉河寺
「中門」

左右の間に四天王像を安置する。棟札によれば明和(1764 - 1772年)頃から長い年月をかけて天保3年(1832年)に完成した。「風猛山」の扁額は紀州十代藩主徳川治宝の筆

大体僕の経験上門には「仁王様」がいるはずなんですが、この門には「四天王」がいらっしゃいます。

珍しいんではないでしょうか。しかし立派な門です。

この「中門」をくぐるとさらに奥に建物があります。

いつも書いてますが下調べ無しで探索していますので、ここ「粉河寺」がこんなに大きなお寺だとは知りませんでした。

粉河寺


粉河寺
「丈六堂」


この2つの建物よさらに階段を登るとさらに大きなお堂が姿を表します。

粉河寺の「本堂」です。

粉河寺
「粉河寺本堂」


西国三十三箇所の寺院の中で最大級の堂で、中門の先、一段高くなった敷地に建つ。享保5年(1720年)上棟。本尊千手観音(秘仏)を安置する正堂(しょうどう)と、礼拝のための礼堂(らいどう)を前後に並べた形式になり、西国札所として、多数の参詣者を収容する必要から、礼堂部分を広く取っている。外観は高さの違う入母屋屋根を前後に並べ、千鳥破風を付し、さらに唐破風造の向拝を正面に付した複雑な構成になる。礼堂は入母屋造単層、本瓦葺き。柱間は正面9間、側面4間で、前半分の2間分を建具を設けない吹き放しとし、参詣者用の空間としている。正堂は入母屋造重層、本瓦葺き。柱間は正面7間、側面6間で、前方の2間分は礼堂に組み込まれている。様式的には、虹梁形の頭貫や台輪を使用する点、正堂の組物を詰組とする点など、細部に禅宗様の要素がみられる。正堂内部には正面3間、側面3間の内陣を設ける。内陣の正面1間分は須弥壇とし、千手観音の眷属である二十八部衆像と風神雷神像計30体を左右15体ずつ安置する。その奥の正面2間、側面2間は千手観音像の安置場所で、扉と壁で囲まれた閉鎖的なスペースとする。その内部は公開されていないが、土間床とし、中央に六角形の厨子を安置する。ここに安置する千手観音像は「お前立ち」像とされ、真の本尊は本堂下の地中に埋められているという。

説明の通りかなり大きな「本堂」です。

しかも屋根が複雑な構造になっていて僕好みの建物です。

ここで御本尊「千手千眼観世音菩薩」は秘仏だそうでお前立ちの観音様を参拝したあと「納経所」でお目当ての御朱印をいただきました。

それにしても立派な「本堂」です。

僕もそれなりにたくさんのお寺の「本堂」を見てきましたがなかなかのもんだと思います。

ちょっと偉そうですね。

しかしここ「粉河寺」は他にもたくさんのお堂を持つすごいお寺です。

粉河寺
「千手堂」

宝暦10年(1760年)建立。本堂の左に建つ宝形造(ピラミッド形屋根)の小堂である。本尊の千手観音立像は秘仏で、2008年10月1日から10月31日までの間、217年ぶりに開扉された。

粉河寺
「行者堂」


「本堂」裏手には神社もたくさんあります。

お寺の中に神社があるのは全然普通のことなんですよ。

粉河寺
「産土神社」


粉河寺


隣接して「十禅律院」もあります。

粉河寺
「十禅律院」


正直「こんなところにこんなに大きなお寺があったなんて」という気持ちです。

まだまだ僕が知らない大きなお寺が近畿にはたくさんあるんでしょうね。

粉河寺
「粉河寺庭園」

国指定の名勝。本堂の擁壁を兼ねた前庭は、豪壮な石組みに植栽を合わせた座視式の枯山水蓬莱庭園である。桃山時代・上田宗箇の作庭とされる先例のない様式。

「本堂」前に広がる「粉河寺庭園」も大きな石をたくさん使った迫力ある庭園ですよ。

この他にもまだいくつかのお堂があった「粉河寺」です。

ただ単に「西国三十三箇所」の一つというだけでなく、お寺全体の雰囲気も十分楽しめる「粉河寺」でした。

十分に「粉河寺」を満喫した僕は今日の最終目的地「護国院」(紀三井寺) を目指し再び車を走らせるのでした。

しかしこの続きは次回ということで。

それではまた!

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粉河寺(こかわでら)和歌山県紀の川市粉河2787  TEL 0736-73-4830・3255

アクセス JR西日本和歌山線粉河駅下車徒歩10分

拝観料 境内自由 本堂の内陣拝観400円

拝観時間 8:00~17:00










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