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東大寺の国宝「僧形八幡神坐像」(そうぎょうはちまんしんざぞう)と地図

まずは東大寺の様子を動画でご覧ください。




また久しぶりのブログアップになってしまいました。

が、しかし

僕にとっては待ちに待った日の探索記です。

というのも、これまで何度となく通った「東大寺」の国宝建造物と国宝彫刻をすべてこの目で拝観出来るという日がやってきたからです。

2013.10.5 その日です。

このブログの最大の目的は「近畿2府4県の国宝建造物と国宝彫刻をすべてこの目で見る」ということです。

現在までに近畿2府4県の国宝建造物157件のうち153件を拝観、145件を写真に収めました。

現在までに近畿2府4県の国宝彫刻122件のうち113件を肉眼で拝観することができました。

そのうち奈良県の国宝建造物は64件。

これは2011.4.9 にすべてを拝観することができました。

そして奈良県の国宝彫刻は70件。

うち

吉野水分神社の国宝「木造玉依姫命坐像」と

東大寺の国宝「木造僧形八幡神坐像」

この2件のみが未だに見ることができていませんでした。

そのうちの1件が今回拝観した東大寺の国宝「木造僧形八幡神坐像」です。

仏像の中には「秘仏」というものがあって、絶対見ることができないもの、数年に一度だけ開帳されるもの、年に一度だけ開帳されるもの、ひと月に一度だけ開帳されるものなどがあります。

今回拝観した東大寺の国宝「木造僧形八幡神坐像」は1年に1日、10月5日のみ開帳される貴重な仏像です。

僕のようなサラリーマンではなかなか思った日に休みをとることはむずかしいものです。

でも今年の10月5日が土曜日で本当によかったです。

DSCF1819 (480x360)



もう何度もご紹介していますが改めて東大寺について

ウィキペディア(Wikipedia)より
東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺である。現別当(住職・220世)は、北河原公敬。

金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁僧正(ろうべんそうじょう)である。

奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、現存する大仏殿は江戸時代の18世紀初頭(元禄時代)の再建で、創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されている。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けられた。

東大寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。

歴史

創建と大仏造立

8世紀前半には大仏殿の東方、若草山麓に前身寺院が建てられていた。東大寺の記録である『東大寺要録』によれば、天平5年(733年)、若草山麓に創建された金鐘寺(または金鍾寺(こんしゅじ))が東大寺の起源であるとされる。一方、正史『続日本紀』によれば、神亀5年(728年)、第45代の天皇である聖武天皇と光明皇后が幼くして亡くなった皇子の菩提のため、若草山麓に「山房」を設け、9人の僧を住まわせたことが知られ、これが金鐘寺の前身と見られる。金鐘寺には、8世紀半ばには羂索堂、千手堂が存在したことが記録から知られ、このうち羂索堂は現在の法華堂(=三月堂、本尊は不空羂索観音)を指すと見られる。天平13年(741年)には国分寺建立の詔(みことのり)が発せられ、これを受けて翌天平14年(742年)、金鐘寺は大和国の国分寺と定められ、寺名は金光明寺と改められた。

大仏の鋳造が始まったのは天平19年(747年)で、このころから「東大寺」の寺号が用いられるようになったと思われる。なお、東大寺建設のための役所である「造東大寺司」が史料に見えるのは天平20年(748年)が最初である。

聖武天皇が大仏造立の詔(みことのり)を発したのはそれより前の天平15年(743年)である。当時、都は恭仁京(くにのみや 京都府相楽郡加茂町)に移されていたが、天皇は恭仁京の北東に位置する紫香楽宮(しがらきのみや 現・滋賀県甲賀市信楽町)におり、大仏造立もここで始められた。聖武天皇は短期間に遷都を繰り返したが、2年後の天平17年(745年)、都が平城京に戻ると共に大仏造立も現在の東大寺の地で改めて行われることになった。この大事業を推進するには幅広い民衆の支持が必要であったため、朝廷から弾圧されていた行基を大僧正として迎え、協力を得た。

難工事の末、大仏の鋳造が終了し、天竺(インド)出身の僧・菩提僊那を導師として大仏開眼会(かいげんえ)が挙行されたのは天平勝宝4年(752年)のことであった。そして、大仏鋳造が終わってから大仏殿の建設工事が始められて、竣工したのは天平宝字2年(758年)のことであった。

東大寺では大仏創建に力のあった良弁、聖武天皇、行基、菩提僊那を「四聖(ししょう)」と呼んでいる。

東大寺と橘奈良麻呂

大仏造立・大仏殿建立のような大規模な建設工事は国費を浪費させ、日本の財政事情を悪化させるという、聖武天皇の思惑とは程遠い事実を突き付けた。実際に、貴族や寺院が富み栄える一方、農民層の負担が激増し、平城京内では浮浪者や餓死者が後を絶たず、租庸調の税制も崩壊寸前になる地方も出るなど、律令政治の大きな矛盾点を浮き彫りにした。

天平勝宝8年(756年)5月2日、聖武太上天皇が崩御する。その年の7月に起こったのが、橘奈良麻呂の乱である。7月4日に逮捕された橘奈良麻呂は、藤原永手の聴取に対して「東大寺などを造営し人民が辛苦している。政治が無道だから反乱を企てた」と謀反を白状した。ここで、永手は、「そもそも東大寺の建立が始まったのは、そなたの父(橘諸兄)の時代である。その口でとやかく言われる筋合いは無いし、それ以前にそなたとは何の因果もないはずだ。」と反論したため、奈良麻呂は返答に詰まったという。

奈良時代・平安時代の東大寺

奈良時代の東大寺の伽藍は、南大門、中門、金堂(大仏殿)、講堂が南北方向に一直線に並び、講堂の北側には東・北・西に「コ」の字形に並ぶ僧房(僧の居所)、僧房の東には食堂(じきどう)があり、南大門 - 中門間の左右には東西2基の七重塔(高さ約70メートル以上と推定される)が回廊に囲まれて建っていた。天平17年(745年)の起工から、伽藍が一通り完成するまでには40年近い時間を要している。

奈良時代のいわゆる南都六宗(華厳宗、法相宗、律宗、三論宗、成実宗、倶舎宗)は「宗派」というよりは「学派」に近いもので、日本仏教で「宗派」という概念が確立したのは中世以後のことである。そのため、寺院では複数の宗派を兼学することが普通であった。東大寺の場合、近代以降は所属宗派を明示する必要から華厳宗を名乗る[3]が、奈良時代には「六宗兼学の寺」とされ、大仏殿内には各宗の経論を納めた「六宗厨子」があった。平安時代には空海によって寺内に真言院が開かれ、空海が伝えた真言宗、最澄が伝えた天台宗をも加えて「八宗兼学の寺」とされた。

また、平安時代に入ると、桓武天皇の南都仏教抑圧策により「造東大寺所」が廃止されるなどの圧迫を受け、また講堂と三面僧房が失火で、西塔が落雷で焼失したり、暴風雨で南大門、鐘楼が倒壊したりといった事件が起こるが、後に皇族・貴族の崇敬を受けて黒田庄に代表される多数の荘園を寄進されたり、開発した。やがて、南都の有力権門として内外に知られるようになり、多数の僧兵を抱え、興福寺などと度々強訴を行っている。

中世以降

東大寺は、近隣の興福寺と共に治承4年12月28日(1181年1月15日)の平重衡の兵火で壊滅的な打撃(南都焼討)を受け、大仏殿を初めとする多くの堂塔を失った。この時、大勧進職に任命され、大仏や諸堂の再興に当たったのが当時61歳の僧・俊乗坊重源であった。重源の精力的な活動により、文治元年(1185年)には後白河法皇らの列席のもと、大仏開眼法要が行われ、建久元年(1190年)には、再建大仏殿が完成、源頼朝らの列席のもと、落慶法要が営まれた。

その後、戦国時代の永禄10年10月10日(1567年11月10日)、三好・松永の戦いの兵火により、大仏殿を含む東大寺の主要堂塔はまたも焼失した(東大寺大仏殿の戦い参照)。仮堂が建てられたが慶長15年(1610年)の暴風で倒壊し大仏は露座のまま放置された。その後の大仏の修理は元禄4年(1691年)に完成し、再建大仏殿は公慶上人(1648 - 1705年)の尽力や、将軍徳川綱吉や母の桂昌院を初め多くの人々による寄進が行われた結果、宝永6年(1709年)に完成した。この3代目の大仏殿(現存)は、高さと奥行きは天平時代とほぼ同じだが、間口は天平創建時の11間からおよそ3分の2の7間に縮小されている。また、講堂、食堂、東西の七重塔など中世以降はついに再建されることはなく、今は各建物跡に礎石や土壇のみが残されている。



そして僕の大好きな国宝のご紹介

建造物
* 金堂(大仏殿)
* 南大門
* 本坊経庫
* 開山堂
* 鐘楼
* 法華堂(三月堂)
* 二月堂
* 転害門

彫刻
*(秘仏)塑造執金剛神立像(法華堂安置) 天平時代
*乾漆不空羂索観音立像(法華堂安置) 天平時代
*乾漆(梵天/帝釈天)立像(法華堂安置) 天平時代
*乾漆四天王立像(法華堂安置) 天平時代
*乾漆金剛力士立像(法華堂安置) 天平時代
*塑造(日光仏、月光仏)立像(所在法華堂) 天平時代
*塑造四天王立像(所在戒壇堂) 天平時代
*銅造誕生釈迦仏立像 銅造灌仏盤 天平時代
*銅造盧舎那仏坐像(金堂安置) 天平時代
*(秘仏)木造良弁僧正坐像(開山堂安置) 平安時代
*(秘仏)木造俊乗上人坐像(俊乗堂安置) 鎌倉時代
*木造金剛力士立像(所在南大門) 鎌倉時代
*(秘仏)木造僧形八幡神坐像(快慶作(八幡殿安置) 鎌倉時代

その他
* 絹本著色倶舎曼荼羅図
* 紙本著色華厳五十五所絵巻
* 花鳥彩絵油色箱
* 金銅八角燈籠(大仏殿前所在)
* 葡萄唐草文染韋(そめかわ)
* 梵鐘
* 賢愚経 巻第十五(四百六十七行)* 東大寺文書100巻(979通)、8,516通
* 東大寺金堂鎮壇具 一括

以上


実に国宝彫刻13件です。

そして「秘仏」とされる仏像が4件。

その御開帳日は。

良弁僧正坐像・執金剛神立像は12月16日のみ。

俊乗上人坐像は7月5日のみ。

僧形八幡神坐像は,10月5日のみ。

このようになっています。

つまり、いつ行ってもすべての国宝彫刻をすべて見られるというわけではありません。

あと誕生釈迦仏立像等は奈良国立博物館に寄託されています。

国宝建造物の「本坊経庫」(ほんぼうきょうこ)も特別な時でないと公開されません。

で、結局ここまで5年もかかってしまったわけです。

ここまでの東大寺の探索記も掲載しておきます。

2008.2.24の探索記その一 その二
2009.12.26の探索記
2010.4.11「俊乗上人坐像」の探索記
2010.12.16「秘仏良弁僧正坐像と執金剛神立像開帳」の探索記
2011.3.4「お水取り」(修二会)の探索記
2011.4.9 東大寺の国宝「本坊経庫」(ほんぼうきょうこ)探索記
2011.8.15 「万燈供養会」(まんとうくようえ)の探索記
2012.1.14 東大寺ミュージアム探索記

この日は天気はあいにくでしたが、気持ちは晴れやかだったので気にもなりませんでした。

お目当ての国宝「僧形八幡神坐像」は大仏殿の西側を下ったあたり「戒壇堂」のすぐ東側の日頃は公開されていない一画の中の一番奥にある「八幡殿」という建物に安置されています。

DSCF1843 (480x360)


東大寺
「八幡殿正面」


DSCF1839 (480x360)


この写真左側の後ろの建物が「八幡殿」だと思います。

ここに国宝「僧形八幡神坐像」は安置されていました。

東大寺
国宝「木造僧形八幡神坐像」
パンフレットより


国宝「僧形八幡神坐像」

木造 像高87.1cm

鎌倉時代(建仁元、1202年)

本像は、東大寺の鎮守八幡宮(現在の手向山八幡宮)の御神体であったが、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈によって、東大寺に移されたものである。同宮は治承四年(1180)12月の平氏の焼き討ちにより炎上したが、造東大寺大勧進俊乗坊重源上人が再建した。その際、消失した御神体の新造が計画された。当初重源は、京都、鳥羽勝光明院に伝来した空海感得の御影の下賜を後鳥羽院に願ったが、東寺再興の文覚上人や石清水八幡宮も競望するところとなり、結局東大寺には下賜されなかったので、重源は信頼厚き快慶に依託して、この像を新造したのである。
本像は桧製で頭・体部は正中線で縦木二材を合わせる。内部は頭部に至るまで内りを施してあり漆で麻布が貼られている。ここに任阿弥陀仏寛宗の筆になる長文の墨書銘があり、その中には、後鳥羽上皇や七条・八条両女院、仁和寺守覚法親王を初め今はなき後白河院、東大寺別当弁暁や造像に従事した快慶を中心にした結縁の仏師二八人、同細工師業基、漆工三人、或いは笠置寺貞慶の叔父澄憲や明遍等の名も記されている。

とにかく感想はこれほどまでに色鮮やかな国宝彫刻は見たことがないということです。

800年以上経ってもこの鮮やかさですからね。

すぐ近くまで寄って見ることができましたが、本当に綺麗でした。

僕の東大寺の国宝彫刻ラストを飾る素晴らしい彫刻でした。

流石に5年かけてやっと巡り会えた国宝彫刻ですので、感慨もひとしおというところです。

いつも書いていますが、僕がこのブログで国宝彫刻のことを書くにあたって大事にしているお寺が3箇所あります。

「東大寺」「興福寺」「法隆寺」です。

東大寺 13件

興福寺 17件

法隆寺 17件

この3寺で実に43件もの国宝彫刻があるのです。

近畿2府4県で122件、全国で127件ですから3割以上になります。

ようやくこの3寺の国宝彫刻も制覇できました。

これで114件の国宝彫刻をこの目で見たことになりました。

しかしここからの8件が大変です。

ご紹介しますと、

奈良県

吉野水分神社
*玉依姫命坐像 鎌倉時代

京都府

教王護国寺(東寺)
*不動明王坐像、天蓋西院御影堂(大師堂) 平安時代
*弘法大師立像西院御影堂(大師堂) 鎌倉時代
*僧形八幡神坐像(鎮守八幡宮) 平安時代

和歌山県
慈尊院
*(秘仏)弥勒仏坐像 平安時代

熊野速玉大社
*熊野速玉大神座像等 平安時代

滋賀県
園城寺
*智証大師坐像(御骨大師)(唐院大師堂) 平安時代
*新羅明神坐像(新羅善神堂) 平安時代

このうち慈尊院の国宝「弥勒仏坐像」は21年に一度の御開帳が2015年に迫っています。

その他の7件はよほどのことがない限り開帳されないのではないかと思います。

しかし、そのわずかな希望を胸に頑張りたいと思います。

もしも御開帳があるという情報をお持ちの方はぜひご一報ください。

コメントでも、掲示板でもかまいません。

しかし自分でもいい趣味を持ったもんだと思います。

目標がある限りがんばれますもんね。

まだまだ先は長い旅になりそうです。

次回は、久々に「西国三十三箇所巡礼」第1番札所「青岸渡寺」です。

こちらもぼちぼちですが、がんばりたいとおもいます。

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部でもあります。

お楽しみに。

それではまた!

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「大仏殿」拝観料 大人500円・小人300円

駐車場 近隣に市営、民間駐車場あります


大きな地図で見る


2008.2.24の探索記その一 その二

2009.12.26の探索記

2010.4.11「俊乗上人坐像」の探索記

2010.12.16「秘仏良弁僧正坐像と執金剛神立像開帳」の探索記

2011.3.4「お水取り」(修二会)の探索記

2011.4.9 国宝「本坊経庫」(ほんぼうきょうこ)探索記

2011.8.15 「万燈供養会」(まんとうくようえ)の探索記

2012.1.14 東大寺ミュージアム探索記

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亀吉の探索済みの京都府の世界遺産と国宝スポット
亀吉の探索済みの奈良県の世界遺産と国宝スポット
奈良県には国宝建造物64件国宝彫刻70件があります 
奈良のお寺・神社一覧(178件)

奈良公園周辺

興福寺
2008.2.24
2009.12.26
2010.10.23

東大寺
2008.2.24(1)(2)
2009.12.26
2010.4.11
2010.12.16
2011.3.4
2011.4.9
2011.8.15
2012.1.14

正倉院

春日大社
2008.2.24
2010.12.16
2011.8.15

元興寺
2008.2.24
2012.1.14

平城宮跡
2009.12.26
2010.5.1

春日山原始林

平城京左京三条二坊宮跡庭園

新薬師寺

十輪院
2008.3.8
2012.1.14

奈良国立博物館
2009.12.26
2010.10.23



奈良南西部及び西の京
佐保、佐紀路辺り


薬師寺
2008.2.24
2010.10.23
2011.3.19

唐招提寺
2008.2.24
2009.11.8
2010.6.5(1)(2)

秋篠寺

般若寺

法華寺
2008.3.8
2010.3.22

海龍王寺


旧柳生街道

円成寺


天理市

石上神宮


奈良市西部

長弓寺

霊山寺


斑鳩の里

法隆寺 
2008.3.2(1)(2)(3)(4)
2009.12.12(1)(2)(3)(4)
2010.3.13
2010.3.22
2010.4.11

法起寺

中宮寺


葛城市

当麻寺
2008.3.2
2010.4.29(1)(2)



飛鳥 桜井

岡寺

聖林寺

長谷寺
2008.3.2
2011.4.29

安倍文殊院new


宇陀市

室生寺

宇太水分神社


五條市

栄山寺


吉野

金峯山寺
2008.3.16
2010.10.16

吉野水分神社

赤字は世界遺産
亀吉の探索済みの滋賀県の世界遺産と国宝スポット
滋賀県には国宝建造物22件国宝彫刻4件があります


大津市

石山寺

園城寺 
2008.4.12
2010.8.7
2011.10.29

日吉大社

延暦寺


野洲市

御上神社

大笹原神社


蒲生郡

苗村神社


彦根市

彦根城


長浜市

渡岸寺(向源寺)

竹生島 宝厳寺と都久夫須麻神社


犬上郡

西明寺


愛知郡

金剛輪寺


湖南市

善水寺

常楽寺

長寿寺

赤字は世界遺産
亀吉の探索済みの和歌山県の世界遺産と国宝スポット
和歌山県には国宝建造物7件国宝彫刻5件があります


高野山

金剛峰寺
2008.5.4(1)(2)
2011.10.20(1)(2)(3)(4)(5)

金剛三昧院
2008.5.4
2011.10.20

慈尊院と丹生官省符神社と丹生都比売神社
2008.5.4
2011.10.20


岩出市

根来寺


海南市

善福院

長保寺


日高郡

道成寺

赤字は世界遺産

亀吉の探索済みの兵庫県の世界遺産と国宝スポット
兵庫県には国宝建造物11件国宝彫刻1件があります

姫路市

姫路城


神戸市

太山寺
加古川市

鶴林寺
小野市

浄土寺
加西市

一乗寺
加東市

朝光寺

赤字は世界遺産
亀吉の探索済みの大阪府の国宝スポット
大阪府には国宝建造物5件国宝彫刻4件があります


大阪市

住吉大社
2008.3.22
2011.10.1


藤井寺市

葛井寺
2008.3.30
2010.4.18

道明寺
2008.3.30
2010.4.18


河内長野市

観心寺
2008.3.30
2010.4.18


堺市

桜井神社


貝塚市

孝恩寺


泉佐野市

慈眼院


交野市

獅子窟寺


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